第12話 BとG 其の一 生い立ち

 六月初旬、そろそろ梅雨の季節、由衣は昨夜、康太から衝撃的な話を聞かされた。

 大樹は家族に関わることは、さりげなく話を逸らした。由衣は今その理由が解り、これから大樹にどう接すればよいか悩んだ。

 康太の話は以下である。

 十五年前の三月三十日、大樹の両親、福光英輔ふくみつえいすけ・製薬会社勤務・当時三十二歳と、妻の福光真紀ふくみつまき・同製薬会社勤務・当時三十一歳が、厚木市の自宅で殺害された。

 両者とも死因は頸動脈損傷による失血死、死亡推定時刻は午前一時から三時、犯人は捜査中。前日十七時頃から雪が降り始め、夜半過ぎにみぞれになり、明け方近くに雨に変わった。犯人の下足痕等の痕跡は発見できなかった、

 当時、三歳の長男は当日、午前四時に同家で警察官が保護。まさに大樹である。

 康太は福光という姓に覚えがあり、気になって調べたのだ。

 由衣は悩んだ末、やはり大樹に確認すべきと結論づけた。

 三歳ではほとんど覚えてないだろう。だが、大樹はどのように乗り越えて来たか知りたい。今も悲しみや苦しさを抱えているなら少しでも共有したいと。


 翌日の土曜日、由衣はアパートで大樹と昼食を供にした。食後、由衣はコーヒー入れて大樹の前に出し、テーブルを挟んで向かい合わせに座った。

「ねえ、大樹の家族のこと聞いていい?」

 大樹は目の奥に光るものを見せ、つかの間、由衣を見詰めた。

「事件と事件後のことだよね? そのうち聞かれると思っていた」

「うん、昨日、お兄ちゃんから聞いたの。どうしても気になって」

 

 大樹は静によどみなく語った。

「事件のときの記憶はない。事件後、川崎市に住む子のない伯母夫婦に引き取られて養子になった。父の姉である義母は、口が利けなくなった僕に優しく接してくれた。義母に守られて少しずつ立ち直り、四歳になって普通に喋れるようになった。でも、五歳のとき、銀行員だった義父は横領が発覚して解雇された。その後、義父は、しばしば僕に暴力を振るうようになった。義母は義父を責め立てて大喧嘩になった。離婚が決まった矢先、義母は、僕を幼稚園に連れて行く途中、横断歩道で信号無視の車に僕を庇って追突されて亡くなった」

「何てことに! なぜ大樹ばっかり……」

 由衣は目を真っ赤にして大樹の手を両手で握り締めた。本当は抱き締めてあげたいのだが、逃げるかも知れないのでできない。

「葬儀を終えてすぐに地獄が始まった。義父の暴力が再開し、女性が七歳と、五歳の兄妹を連れてアパートに居座った。一年後、義父はその女性と再婚した。後で知ったが、兄妹は義父と女性の実子だった。義父は不倫をしていた。新しい義母はあからさまに僕と兄妹を服装やご飯のおかず等で差別した。服は義兄のお古、おかずは、僕はコロッケ、他の皆はトンカツといった具合に」

「酷い! 大樹、辛かったらそれくらいで今日のところは止めても」

 由衣は目に涙をいっぱい溜めていた。

「この際、全部話すから聞いて」

「うん、ごめんね」


「小学三年の頃から、義兄からも暴力を振るわれた。義兄の学校の成績が酷いのに僕の成績が良かったからだと思う。中学校に上がって柔道を習い始めた。一生懸命やって大会でいい成績を残すようになると、彼らは僕に手出しをしなくなった。けど、もっと嫌なことが始まった。義父母は僕と義妹を将来結婚させようと画策を始めた。僕が医者になるって言ったからだと思う」

「最低な連中ね! で、その義妹って……」

「容姿はそこそこだけど、性格が最悪。意地悪で自分本位、男は美人の自分に奉仕するものだと思い込んでいた。だけど、僕には度々迫ってきた」

 由衣の目がギラギラ光った。

「その女、思いっきり引っぱたいてやりたい」

「で、なんとか逃げ出そうと思った。昨年末、小さい頃からお菓子をくれたり、遊んでくれたりした近所のボロアパートに住むオジサンに久しぶりに会って相談した。オジサンは司法試験に一昨年合格して弁護士になっていた。オジサンが尽力してくれて、家裁で養子解消が認められて元の福光の姓に戻った」


 由衣の表情が穏やかになった。

「大樹は苦労したのね。話を戻して悪いけど、伯母さんが亡くなられたとき、他に引き取ってくれるような親戚はいなかったの?」

「北海道で酪農をやってる父方の伯父夫婦が、僕を引き取ろうとしたが、義父が拒絶した。僕が相続した両親と叔母の遺産と事故の補償金が目当てだった。両親と伯母が残した預金は、あいつらが勝手に使い切ってしまった」

 由衣の表情がまた険しくなった。

「何たる強欲の人でなし! 大樹が医者になったら思いっきりたかるつもりだったのね。(お前を育てたのは誰だ!)とか言って。弁護士のオジサンは何とか出来なかったの?」

「オジサンから養育費を差し引いても取り分は結構ある。民事訴訟で多少は取り返せる。刑事告訴もできると言われた。けど、あいつら、まともに仕事してない。後々恨まれるのも嫌だし、奨学金は目一杯借りたし、何より早く関わりを断ちたかったから何もしなかった」

「その方がいいかもね」

「でも、それから大変だった。大学に合格したとき、まだ義父の籍だった。大急ぎで市役所と大学に提出する書類を揃えた。養子解消を進めるにあたって、あいつらにいろいろ邪魔された。弁護士のオジサンに警告してもらい、全ての手続きを終え、北海道の両親と伯母の墓参りに行き、とんぼ返りでアパートに戻った。翌日が大学のオリエンテーションで由衣に初めて会った」

「大変だったわねー 大樹は凄い!」

「あいつらから離れたくて必死だった」

「ところで、お母さんの方の親戚はいるの?」

「母は日系米国人で父が留学中に知り合った。だから母方の親戚は日本にいない。両親が亡くなって母の両親と妹が日本に来て、僕と伯母と一緒に北海道まで墓参りに来たと伯父から聞いた。今も近況を伝え合っている」


 由衣はこのとき得心した。大樹が今の様になったのは、虐待されて育ったからだ。オカンの言う”大樹は猫のお仲間説”は正しいだろうが、本能であって無意識、こっちは後天的。

 バカ丁寧な言葉遣いや過度な礼儀正しさは、自分を守るために身に着けた習慣。だから、安心感を与えられる人にだけ心を開き、普通に会話ができて、幼い頃出来なかったガキっぽい振る舞いをする。自分に対する態度がまさにそれだ。

 そして、少女マンガの主人公のような外面も内面も理想的な美青年に育て上げる為に、今後の方針を由衣は決めた。

 これからは、もっといろいろしてあげて信頼を高め、日常生活、女性への接し方、大人らしい素行など、成人男性としてのスキルを、アドバイスしながら段階的に上げて行こう。

 分析と今後のアプローチはそこそこ合っているが、動機が何とも不純である。だが、由衣は、自分が考える理想像が大樹の本来の姿で、元に戻さなければならないと、使命感に燃えているのだ。


 由衣は早速実行に移した。

「あたしは大樹の為にこれからどうすればいい? 正直に言って欲しい」

 頷いた大樹は姿勢を正し、由衣もならい、二人は正対した。

 濃紺の瞳から放たれた光が、黒緑の瞳に降り注ぐ。大樹は心の内を明かした。

「由衣には近くに、ゆくゆくはずっと傍にいて欲しい」

 由衣は破顔し、指先で目尻の涙を拭った。大樹が初めて自分への想いを口にしてくれた。だが、プライドの高い由衣は平静を装う。

「それは、あたしも同じ。そういうことじゃなく、何かして欲しいことない?」

 大樹はしばし思いを巡らした。

「じゃあ一つだけ。僕は子供の頃から卵焼きを、伯母が作ったの、惣菜屋で買ったの、寿司屋のなど、いろいろ食べ、いつも何か違うって感じてた。おそらく母のと比較している。これは母のだって思う卵焼きを食べたい」

 大樹は事件の記憶は残っていない。但し、寝ていたわけではなく、何かを見たと自身が感じていた。はっきり残っている記憶は、晩御飯に卵焼き食べたこと、窓の外に雪が舞っていたこと、その二つである。

「わかった。やってみる」

 由衣は軽い気持ちで引き受けた。

(たかが卵焼き、オカンに聞きながら片っ端から調味料を変えるなどして、食わせてみればいい) 

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