第9話 非常階段 其の二 サイコパス
事件の二日後、四時限目の講義が休講になり、由衣と大樹は帰宅前に学内のカフェに立ち寄った。
「少しお話しできますか?」
由衣と大樹が座っている席の向かいに、前方から近付いてきた男が座った。
大樹が先日、スケッチブックに描いた男である。
由衣は得体の知れない危うさを感じ、大樹が不用意に答えるのを恐れてとっさに応じた。
「はい、どのようなことでしょうか?」
「ありがとう。申し遅れました。僕は
この男、
「はい、そうです。私は高見沢、彼は福光って言います」
「で、そちらの福光君、事件のあった日、規制線ギリギリに立ってじっと見てましたよね。何か理由があるのですか?」
大樹が答える前に由衣は割り込んだ。
「金山さんは、亡くなった沢木さんの同級生ですよね?」
「そうです。もっとも僕は就職して一年で辞め、それから三浪してます」
「沢木さんは何で亡くなったと思われますか?」
「僕は自殺だと思います。彼女は一年留年したんですよ。三年になって実習が入るようになり、血を見るとか、動物を解剖するとか、彼女、その辺が大変苦手で悩んでいました」
金山をじっと観察していた大樹が、スケッチブックをバックから取りだし、金山の前で開いた。沢木愛のポートレートである。
金山は無表情で眺め、冷ややかな顔を大樹に向けた。
「そっくりだな。君は実に絵がうまい。口元のホクロなど彼女の特徴を細かく捕えている。君は彼女と付き合っていたのかい?」
「いいえ。たまたま沢木さんが近くにいたとき、ノートの表紙に沢木愛って書いてありました。沢木さんが亡くなったので描きました」
「亡くなったからって友達でも何でもない人の絵を、普通は描きませんよね?」
「笑顔が印象に残ったからです。悩みを抱えてるようには見えませんでした」
「人は外面だけでは心は読めないからな。で、これをどうするつもりかい?」
「よろしければ差し上げます」
「そうですか…… 僕は遠慮する。彼女を忘れないよう君が持っていたらどうだい? さてと、用事を思い出した。これで失礼する」
金山はすくっと立ち上がり、足早にカフェを出て行った。
由衣ほっとした表情を見せる。
「大樹が変なこと言わないかと思ってハラハラした」
「聞いてみたかったことがあったんだけど、その前に行っちゃった」
「何を聞きたかったの?」
「あなたは、沢木愛さんを殺害しましたか? って」
「キャッ! 変な冗談は止めてね」
「由衣は人を騙したり、おだてたり、凹ませたり、怒らせたりするの得意でしょ?」
大樹がいきなり聞いた。金山と話した当日、二人が大樹のアパートに帰り、テーブル着いた途端だ。
「えっ! あたしってそんなに酷い人間?」
「ごめん、そういう意味じゃない。僕は苦手だから代わりにやって欲しくて」
「アハハハ、確かに大樹はたわいない嘘もつけないからね。この前、あたしのアイス食べたって聞いたら、嘘つこうとして口が曲がっちゃったもんね」
ここのとこ由衣は大樹の冷蔵庫を使わせてもらうことが多い。
「それで誰を騙くらかすの?」
由衣は期待が顔に出てしまい、ニヤニヤしながら返事を待っている。
「金山」
由衣は少しがっかりした。
「なんで?」
「おそらく金山が沢木さんを殺害したから」
「えーっ! さっきのは冗談じゃなかったんだ。どうして? 証拠あるの?」
「沢木さんの転落現場を観察していた僕に金山は接触してきた。沢木さんの絵を見せたとき、一瞬目を逸らしたり、顔面に微かに震えが走ったり、僅かな不安や緊張が見て取れた。もし沢木さんを殺害していたら説明がつく」
「ふーん、大樹凄いわね。でも本当にやっていたら、私でもわかると思うけど」
「金山はおそらくサイコパスだよ。サイコパスは良心や共感が欠如している。普通の人なら動揺が隠せないけど、彼らは無責任で感情が浅く自己中心的だから平静でいられる。動機が沢木さんに振られたのだとしたら、サイコパスは自尊心が高いので理由を知りたいはず。彼は僕と沢木さんの関係を気にしてた」
大樹は由衣を見詰めた。その眼差しは怖いほどである。
瞳に微かに光るものを見つけ、由衣は大きく頷いた。
「わかった。あたしも金山は普通じゃないって思っていたし。大樹に協力する」
大樹は一気に笑顔になった。
「警察が証拠を見つけて逮捕できればよいけど、金山は頭が良く犯行に当たって細心の注意を払ったはず。さらに事件が起きた昨夜は風雨にさらされ、証拠の発見は期待できない。それで、金山を呼び出して由衣は会話して刺激する。彼の興奮が頂点に達するのを見計らって僕が罠をかける。彼は墓穴を掘る。もちろん録音を取る」
「あたしは、怒らせたり、不安にさせたりして興奮させればいいのね?」
「うん、由衣が得意そうなことだね」
由衣はニッと白い歯を見せる。
「そうそう、お兄ちゃん達にさんざんやったわよ。大樹にだってそのうち…… あっ! 何を言わせるんじゃ。こらっ!」
「イテテテテ」
由衣は大樹の頬をつねった。何とも理不尽である。
「あっ! ごめん、つい。お詫びにオッパ…… ん!」
大樹は慌てて身を乗り出し、由衣の口を塞いだ。
「それ以上、口にしないで。重要なことを話すので。サイコパスは冷静でなかなか我を忘れるほど興奮しない。でも彼らの特徴の一つに、己の合理的な行動や知性を誇示したいという強い欲望がある。そこを刺激するといい。金山が怒ったり、動揺したりしたら膝を由衣に当てる。程度に応じて強さを変えるから」
由衣は口を塞いでいる大樹の手をペシペシ叩く。
「ふう…… もう言わないから。わかった。他には?」
「サイコパスは自分が嘘をつくのが得意だから、相手の嘘を見抜くのも得意だよ。だから十分注意しないと」
「了解。大樹は嘘つけないけど、見破るのは得意よね」
「まあ」
由衣は速やかに姿勢を正して真顔になった。
「大樹、今回は協力するけど、これを機にあたし達別れない? 大樹は正義漢が強くて優しくて良い人。でもね。子供過ぎてあたし疲れちゃったの」
「えっ!」
大樹は下を向いて唇を噛み、目をしょぼつかせて両手を握り締めた。
「嘘に決まってるでしょ。あたし、騙すのうまいでしょ?」
「二度とやらないでください」
由衣は大樹に抱きついた。
「絶対離さないから」
いつもと違って大樹は逃げない。二人は生まれて初めてのキスを交わした。
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