第5話 残像 其の一 AED
翌週の土曜日、由衣は朝食中に母親の美代子から言われた。
「大樹君、サヴァンなんでしょ。あんまりからかっちゃダメよ。あの子が快適に感じて、あの子のペースでコミュニケーション取らなきゃ」
「そんなこと百も承知よ。でも、そればかりだと、大樹の社会性はなかなか改善しない。会ったばかりの頃、大樹の話し方、堅苦しくてどうしようもなかったんだから。きっと言葉のコミュニケーションが苦手で失礼がないように、そんなふうになっちゃったのよ。普段は大樹の好きそうなこと話題にしてるし。たまにからかうのは七味のようなもん。ちょっとかければ美味しくなる」
「あなたも考えているのね。安心した。けど、この前、大樹君のアパートの前でやったのは、かけ過ぎよ」
「えっ! 見ていたの? 聞いちゃった?」
「しっかりとね。回覧版を回しに行ったとき二人がいたから、声かけようとしたら、二人で泊まるって言葉が耳に入って……」
「ヤバッ!」
「あんなこと言ってはしたない。大機君、真っ赤になっていたじゃない」
「あっ! 時間がない。行かなくちゃ。お母さん、後お願い」
由衣は立ち上がり、慌ててダイニングを出て行った。
「こらっ! 待ちなさい! 片付けもしないでまったくー」
呼び鈴がなり、大樹は玄関ドアを開けた。
「おっはよっ」
ニコニコと笑みをこぼす由衣を見て、パジャマ姿の大樹は少々とまどう。
「早くない? あと一時間以上あるよ」
二人はこの日、映画を見に行く約束をしていた。
「天気いいから歩いて行こうと思って。一駅ぐらい散歩にちょうどいいでしょ」
嘘である。大樹を赤面させた先日の件を母親に追求されて逃げた、なんで言えるわけがない。
「じゃあ、着替えなきゃ。ちょっと待って」
大樹は目の前でパジャマをボタンも外さずパパッと脱ぎ捨てる。
パンツ一枚の姿がイヤでも目に入る。細身で色白、少し浮き出た筋肉が走る滑らかな肌、パンツ一枚で動き回る兄達を見慣れている由衣もつい見とれる。
大樹は、玄関脇のクロゼットから、丸めて放り込まれたTシャツとジャケットとチノパンを取り出してさっと着込んだ。
「行く?」
大樹は恥ずかしげも無くキョトンとした眼差しを向けた。
「脱いだものは片付けましょ。しまうときはきちんと畳んでね。洗濯機はどこ?」
「ないけど」
由衣は部屋の隅に置かれたパンツなどが山盛りになった洗濯籠にチラッと目を向けた。由衣は初めて大樹の部屋に入ったときのことを思いだした。押し入れからシャツの袖がはみ出ていた。
「ちょっと上がらせてね」
と断って由衣は部屋に上がった。
何気に阻もうとする大樹を押しのけて由衣が押入れを開けると、ドサッドサッと丸まったシャツやズボンなどが、雪崩のように床に落ちた。
「はあぁぁー、こんなに溜めてー! そこのコインランドリーに行こうね」
サヴァン症候群の人は、観察力や記憶力などで驚異的な能力を持つ反面、日常の整理整頓や服装など無頓着な傾向があることを、由衣は承知しており、長い目で見ようと覚悟した。
それにしても、このガキっぽさは異常だ。それも親しい自分にだけ見せ、大学の同期生など他の人達に対しては過度に礼儀正しい。大樹は家族のことを話さない。もしかして幼い頃虐待され、その反動かと由衣は考えた。
結局、時間が取られ、二人は電車で行くことにした。映画館は一駅先のショッピングモールの中にあった。
連休初日で天気も良い。駅とショッピングモールを繋ぐ歩行者デッキは、人で埋め尽くされ、二人は流れに乗って映画館に向かった。
二人が映画館のチケット売り場に並んでいると、外から「どうした?」「おいっ!」「大丈夫か!」「痙攣しているぞ」「通報しろ」「救急車、救急車」などと騒ぎ声が聞こえてきた。
「行かなくちゃ」
大樹が声を上げ、二人が外に出ると、歩行者デッキに人だかりが出来上がっていた。二人がかき分けて中に入ると、仰向けに横たわる男がいた。
「僕がやる」
大樹は、男の呼吸と脈を確認後、男にまたがって胸骨に両手を重ね、心臓マッサーを開始した。由衣はAEDを探し回った。
「AEDよ」
由衣は持って来たAEDを男の横に置き、大樹は男の胸に電極パッドをセットした。AEDが定期的に電気ショックを発生する間、大樹は心臓マッサージを続けた。大樹が疲れた様子を見せると、由衣がを交代した。
救急車のサイレンの音が近付き、歩行者デッキの真下で大音量を放って立ち消え、程なく救急隊員が現場に駆け付けた。
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