第4話 独居老人 其の四 フレーメン反応
一方、佐藤氏の遺体が発見された二日後、さいたま市北区の自宅マンションで、職業自称投資家・
横浜市に住む姉が、父親の一周忌の件で連絡を取ろうとしたが応答がなく、心配して自宅に訪ねた。郵便受けは満杯で呼び鈴を押しても反応は無い。管理人の立会いで部屋に入ると、高木氏は目を開けたままベッドに横たわっていた。
通報を受けた県警が駆け付け、検視によりその場で死亡が確認された。司法解剖の結果は、急性硬膜下血腫で死後二日と判断された。
高木氏の部屋の現場検証が実施された。争った形跡は無く、高木氏以外の指紋や毛髪などは発見されず、何者かが侵入した痕跡はなかった。
その二日前の午前四時十ニ分、マンションの敷地前の防犯カメラに帰宅する高木氏が映っており、それ以降、外出する映像はない。死亡推定日の前日には、宅配業者がピザを配達していた。
以上から高木氏は自宅マンションの外で何らかの理由で後頭部を強打し、硬膜下血腫が徐々に悪化し、帰宅後二日で死亡したものと推定された。事件か事故かの判断は今後の捜査に委ねられた。
高木氏は親の遺産をマンション購入に当て、残った金で株の信用取引をした。だが、失敗し、多額の負債を抱えていた。
早朝、由衣は大樹の自宅アパートの呼び鈴を連打し、寝ぼけ眼の大樹にまくし立てた。
「ねえ、今朝、新聞を取りに玄関を開けた隙に寛太が逃げちゃったの。庭を探したけど見つからないの。まだ遠くには行ってないと思う。一緒に探して、お願い」
「佐藤さんの家に行ったかも知れないです」
二人が佐藤家に行くと、規制線こそ残っていたが、警察は撤収していた。
大樹は佐藤家の垣根の隙間から玄関の方を覗いた。
「いました」
「よかったー!」
寛太は飛び石の間の地面をしばし嗅いた後、頭を上げて変顔をした。
「あの顔! よっぽど臭かったのね。アハハハハ」
爆笑する由衣に大樹が説明した。
「フレーメン反応です」
「何それ?」
「フェロモンや未知の臭い、危険性の有無を確認したときに見せる反応です」
寛太は、そこにチョコッとオシッコをし、前足で土をかいて被せた。
「寛太がオシッコをしました」
「ヤダー!」
「侵入者が排尿したのかも知れません。寛太は、自分の縄張りだと主張したのかと。DNA検査をするべきです」
「お兄ちゃんを呼ぶわ。けど、きったねー! 鑑識の人も大変ねー」
由衣が携帯を取り、大樹が「寛太」と呼びかけると、寛太はノソノソと二人の傍に来た。
鑑識が土を採取し、科捜研がDNA検査を実施した。結果、猫と人のDNAが検出された。人のものは亀田ではなく、データベースにも該当はなかった。
康太は、自宅マンションで死亡した高木氏の帰宅時刻が、佐藤氏の死亡推定時刻に近いことに着目した。高木氏が佐藤家から徒歩で帰宅した可能性を考え、県警は高木氏の姉の了承を得て遺体のDNA検査を行った。結果、佐藤家の玄関先の土から検出した人のDNAと一致した。
さらにマンションの住民から、高木氏はゴミの分別をせずに出して放置される事が多いとの情報を得て、当初対象外だったゴミ置き場を捜索した。メモを付けられて回収されなかったゴミ袋から失禁の痕跡がついたハーフコートとズボンが見つかった。尿のDNAが高木氏のものと一致し、コートから佐藤氏の指紋と猫の毛が採取され、猫の毛は寛太のものだった。
現場の状況と種々の物証と証言から、康太と県警が推察した本事件の状況は以下である。
多額の負債を抱えていた高木は、佐藤氏が即金で高級車を買った話を知人から聞き付け、家に大金があると考えた。亀田の証言通り、高木は玄関の鍵が外されていることに気付かず、ピッキングして侵入した。
佐藤氏と寛太は物音に気付き、二階の寝室から階段を駆け下りた。その際、佐藤氏は衝撃で足裏が皮下出血して貧血になり、急性心不全を発症した。佐藤氏は、がたいが良い割に食が細く貧血気味だった。さらに日頃の食生活で過度な飲酒と塩分の取り過ぎにより、高血圧症になって血管が脆くなっていた。
階段は玄関に向かって一直線に下っており、侵入した高木に駆け下りた佐藤氏が激突し、寛太が飛び掛かった。細身の高木は半開きの玄関ドアに弾き飛ばされ、そのまま外の地面に後頭部を強打して失禁、ドアは自動的に閉じた。その後、高木は徒歩で帰宅。発症した硬膜下血腫が進行して二日後に死亡した。
佐藤氏の死亡については、高木の住居侵入が原因とする傷害致死とされ、被疑者死亡で書類送検された。高木の死亡については事故死として処理された。
一方、亀田は首都圏の未解決窃盗事件について追及されることになる。
康太は大樹の自宅アパートを訪れ、事件の全容を伝えた。
翌日の土曜の午後、アパートの前で由衣と大樹は落ち合った。
大樹の脳裏に、佐藤家の玄関に飾られた家族写真、満面の笑みの佐藤夫婦と三人の子供達が、ふと浮かんだ。
「佐藤さんの玄関に三十年くらい昔の家族写真が飾ってありました。佐藤さん夫婦と、中高生の三人姉弟。佐藤さんには、息子さんがいるのですね」
由衣は少し表情を曇らせた。
「佐藤さんの息子さん、中二のとき、苛めで首吊り自殺しちゃったの。首謀者が高木だったって」
「えっ!」
「兄が事件の結末を語ったら母が話してくれた。母は、佐藤さんの息子さんと高木が通っていた中学校の国語教師だったの。佐藤さんが、高木の家に怒鳴り込んだりして噂が広まり、高木一家はいたたまれず千葉の方に引っ越した。佐藤さん一家も、息子さんの思い出が詰まった家に住み続けるのが耐え難く、今の家に移ったの。母は担任じゃなかったけど、息子さんのことよく知っていて、なぜ気付かなかったのかって悔やんでた」
高木は、自分が自殺に追い込んだ同級生の遺族の家とは、思いもよらなかったのだろう。佐藤という苗字は大変多いからだ。
高木が佐藤家の玄関に入って家族写真を見て凍り付き、佐藤氏が高木を目にし、顔面を紅潮させて全身を震わせる映像が、大樹の頭に流れた。もちろん大樹は実際に見ていない。彼の特殊な脳神経系が、断片的な情報から映像を組み上げてしまったのだ。
映像を掻き消す為か、大樹はフイッと東の空を眺めた。
「あっ! あいつと彼女、ワラをくわえている。巣を作るんだね」
「例のキジバト夫婦ね。仲がいいわねー」
キジバト夫婦の健気な姿を目にして、淀んでいた二人の心は冴え渡った。
「じゃあ、そろそろ行きましょ、お兄ちゃんからたんまりもらったから。西口のホテルの展望レストランなんかどう? 何なら二人で泊まってもいいし。ダブルで」
「えっ!」
大樹の顔が見る見るうちに赤くなる。
「アハハハハハ、冗談よ」
由衣は好ましく思う人ほど悪い癖をよく発揮する。格好の標的になってしまった大樹である。
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