第3話 独居老人 其の三 猫の爪

 三日後、大樹が希望する夜八時、埼玉県警の刑事、米田警部補と青山巡査長がアパートを訪ねてきた。米田刑事は五十歳前後で、風采は冴えないが人の良さそうな雰囲気、青山刑事は二十代後半の新米刑事のようで、大人しそうな印象だ。

 部屋に入るなり、米田刑事はいきなり大樹を質した。

「君はサイパン症だってな?」

 大樹が困惑して返事に困っているが、米田刑事は続けた。

「サイパン島の風土病か? 伝染する? うちの娘が友達と行くなんて言っているし、大丈夫かな?」

 青山刑事は米田刑事の袖を引いて止めようとし、同席する由衣は、あまりの頓珍漢ぶりに我慢できず、割って入った。

「刑事さん、サイパン症じゃなくてサヴァン症候群です」

 そのヘンテコな病名は、康太から捜査一課長、係長、米田刑事へと連絡が回るうちに、伝言ゲームの如く変容したようだ。

「まあ、呼び名はどうでもいいから、どんな症状なんだい?」

「だから、伝染病じゃないんです。刑事さんは、バラバラに落ちたつま楊枝を一目見て本数を言い当て、カジノでディーラーが出したカードを全て覚えてしまう男を描いたアメリカ映画見たことあります?」

「おー! 見た見た。あの俳優、なんと言ったけ? そうそう、ダスチン・モップマンだ」

「ブッ!」

 由衣と青山刑事は、酷い言い間違えに吹き出してしまった。

「彼は、その俳優さんが演じる人物と同じような能力を持っているんです。ただし、自閉症ではないので誤解しないでくださいね」

 青山刑事は何度も頷き、米田刑事は破顔した。

「そうか! 係長の奴、訳のわからんこと言っていたが、今、やっとわかった。いやー、驚いたよ! あの鍵穴、ノブを外して科捜研で調べてもらったら、奥の方に小さな新しいキズがあった。足裏の皮膚が厚くて検死では見落としたが、司法解剖で皮下出血が確認できた」

 由衣は目を丸くして隣に座る大樹を見た。

「凄い! 大樹君の言った通りね…… んっ?」

 大樹はボーッと口を半開きにし、顔を斜め上に向けたまま目を閉じていた。

 なんと居眠りをしている。


 米田刑事は苦笑しながら、由衣に顔を向けた。

「ところで君達、佐藤さん、ご近所と何かトラブルを抱えていたとか、何か知らないかい?」

 由衣が答えようとしたとき、呼び鈴が鳴った。

 目を覚ました大樹が玄関に行ってドアを開けると、女性のかん高い声が響いた。

「あらっ! カワイイー」 

 由衣は慌てて玄関に飛んで行った。

「お母さん、失礼でしょっ! 大機君はもう大人よ。オバ……」

(オバンから見れば子供でしょうけど)

 由衣は出かかった言葉を危ういところで飲み込んだ。後が怖いからだ。

「ご免なさい。つい…… 由衣の母です。娘がいつもお世話になっています。これ、手作りのチーズケーキ。お口に合えばいいけど」

 由衣の母親、高見沢美代子たかみざわみよこ・五十三歳は、年齢を感じさせない明るく美しい女性で、いわゆる美魔女である。美代子はさいたま市内の公立中学校の教頭を務めている。

「お母さん、何で来たのよ⁈」

「いいでしょ。事情聴取って一度、経験したかったの」

「まったく、何かと首を突っ込みたがる悪い癖!」

「それは、あなたも同じ。今日だって刑事さんは大樹君の話を聞きに来たんでしょ」

「まあ、いいわ。お母さんにちょうどよい話になったし。刑事さん、あたしの母です」

 大樹は、チーズケーキ受け取って美代子を中に通した。

 美代子は佐藤氏についてよく知っていた。

「佐藤さん、ご近所と揉め事なんかなかったですよ。よく外食してました。特にラーメンが大好き。大酒飲みでイカの塩辛なんか塩辛いものばかり買ってました。奥さんが去年ガンで亡くなって注意する人がなく、やりたい放題でした」

「うらやましいなー」

 米田刑事がポツリと洩らした。

「娘さんが二人いるのですが、千葉と横浜に住んでます、交互に様子を見に来てるけど、長女が家を売って一緒に住もうと言っても、頑として受け付けないってぼやいてました」

 こういった調子で美代子は喋りまくり、米田刑事がときどき口を挟み、青山刑事は黙々とメモを取り続けた。

「どうもありがとうございました」

 青山刑事が帰り際に玄関先で挨拶すると、由衣はニッと笑った。

「刑事さん、初めてお声を聞きました」

 青山刑事は苦笑して頭を下げ、米田刑事は彼の額を軽く小突いた。

「お前、そんなこっちゃなかなか一人前になれんぞ」


 翌日、亀田彰かめだあきら・四十歳・住所/職業不詳が、住居侵入と傷害致死の容疑で事情聴取を受けた。亀田は窃盗で前科二犯だが、ここ十年、逮捕されることはなかった。

 佐藤氏の死亡推定時刻は午前二時から四時、近くのコンビニの防犯カメラには、午前二時三十六分に亀田が映っていた。また、臨家の聞き込みで、午前三時半頃、佐藤家の方から「オス猫同士の喧嘩のような大きな唸り声が聞こえた」との証言もあった。

 亀田は佐藤家への侵入を不定した。「俺なら鍵穴にキズを残すようなヘマはしねえ。経験の浅いしろうとの仕業だ」と主張した。


 翌朝、寛太にご飯をあげている由衣に、康太が声を掛けた。

「佐藤さんの件で、大樹君と話したいのだが?」

「なんで?」

「亀田は、佐藤家への侵入を不定するんだ。奴の指紋もⅮNAも他の痕跡もない。この前は、大樹君、ほとんど喋らなかったそうだな。俺なら何か引き出せるかも知れん」

「条件が三つ。一つ、大樹が嫌がったらダメ。二つ、あたしも同席する。三つめは……」

 由衣はニッと白い歯を見せて手の平を突き出した。

「まったくー! 言わんでもわかるよ」

「大樹は受け取らないから、あたしにね」

 康太は、由衣の手の平をバシッと叩いた。

「終わってからだ!」


 当日午後、大宮警察署の一室で大樹、由衣、康太が席に着き、事務員が各自の前にコーヒーを置いて退出した。

 康太はテーブルに現場写真を十数枚並べた。

「大機君、佐藤さんの件で、他に何か気になったことはなかったかい?」

 大樹は、招きの子が写った玄関の写真に目を留め、ツイッと顔を上げた。

「今、思い出しました。寛太の爪が赤黒く汚れてました」

「何それ?」

 由衣が首を傾げ、大樹は康太に顔を向けた。

「侵入者を引っ掻いたかも知れません」

「でも、寛太の爪、切っちゃったじゃん」

「掃除してないので、まだ落ちている可能性が高いです」

「よしっ! DNAが検出できるかも。大機君、良くやった!」

 弾けるような声を上げて康太は出口に向かった。

「お兄ちゃん、アレ忘れないでよ」

 手をかざす康太の後ろ姿を見届けた由衣は、大樹を睨んだ。

「呆れた! 一週間も掃除してなかったのね」

 

 大樹の部屋で採取した寛太の爪から、付着していた皮膚片と血液が採取され、DNA検査した結果、亀田のものと判明した。

 証拠を突き付けられ、亀田は佐藤家への侵入と現金三百万円を盗んだことを認めた。しかし、佐藤氏の死亡について、関わりを一切不定した。

 亀田は次のように供述した。

「タンスの引き出しから札束を詰めていたら、猫が近付いてきた。手懐けようと手を出したら引っ掻かれた。騒がれるとまずいので早々に逃げた」


 取調べに同席した康太は、取調官が退出後、世間話で亀田の口を軽くさせてから、切り出した。

「ところでピッキングってどれくらいかかるんだ? まあ、俺は新米だから単なる興味さ」

「俺に聞いても参考にならねえぞ。十秒もかかってない。普段通り……  あっ!」

「アハハハ、口が滑ったか。で、やっぱり下調べはしたのかい?」

「当り前だろ! 新米刑事さんよ。周囲に防犯カメラはないし、一人住まいの爺さんで身なりもいい。高級車もあった。結構な額の現金を置いているはず。だからやったんだよ」

「お前はプロ中のプロだなー」

「嘗めんなよ。音を立てずに踏み入り、金のありかも大方わかる。五分ほどで仕事を終える。お前らの鑑識と同じような使い捨ての手袋とシューカバーを着けて痕跡は残さない。事実、ここ十年も俺を捕まえられなかったろ。まあ、今回は指先の感覚を保てる極薄の手袋が仇となったが。それにしても爺さん、どんだけ溜め込んでたんだか、金庫には八桁は入っていたんだろうな。今回は開ける暇がなかった。惜しいことをした…… あっ!」

「アハハハ、今回を最後に、足を洗ったらどうだ? まだやり直せるぞ」

「そうだな…… ネコのせいで捕まっちまったんだから、俺も焼きが回ったか……」

「ところで、ピッキングの傷跡と猫の唸り声、お前の後に別の者が侵入した可能性がある」

「前から言ってるだろ。爺さんが死んだのは俺のあとから入ったド素人のせいだ。経験不足だからドアが開いているのも気付かずにヘタなピッキングして音を立て、傷を残した」

「逃走後、誰か見なかったか?」

「うーん…… かなり離れたところで振り返ったら、人影を見たような気が……」

 康太は、亀田の逃走後、佐藤家に侵入した者がいると確信を深めた。

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