第2話 独居老人 其の二 天然

 出会い以来、由衣と大樹は大学の行き帰りや昼食などほぼ一緒だ。大樹の堅苦しい言葉遣いは由衣に対してのみ少々改善された。

 入学後の最初の日曜日、由衣は大樹を散歩に誘い、朝の十時少し前に大樹の住むアパートに向かった。

 アパートの前で待つ大樹は、両手を握り締めて東の空を嬉々として見上げていた。どうやら電線にとまるつがいのキジバトを眺めているようだ。

 微笑ましいとも、風変わりとも、どうにも形容しがたい大樹の姿に、由衣は思わず顔をほころばせた。

 だがこのとき、由衣は気付く。少女マンガに出て来る理想の美青年とは、外見はともかく中身はかけ離れていると。平たく言うと”ガキっぽい天然”だ。だからといって諦める由衣ではない。ガキなら自分の理想に向けて育て上げればよい。歳が同じ青年に対し、なんとも不埒な企みである。


「おっはよっ! キジバト見ているの?」

「うん、あいつ、彼女ができた。こっちに来たばかりの頃はいなかった」

「大樹君みたいね」

 由衣は、からかい半分で自分の気持ちを伝えたのだが、大樹はこういう場合の返しかたが分からない。

「えっ!」

「アハハハハハ」

 すぐさま顔を真っ赤に染める大樹に、由衣は爆笑した。

「ところで大樹君、一羽一羽のキジバトをどうやって区別するの?」

「えっ! 一目でわかるけど…… まあ、首の辺りのしま模様の形や数で区別できる。それなら由衣さんもできるでしょ?」

「そんなのできる人、大樹君ぐらいのものよ。あたしの知っている限り」

「そうですか…… やっぱり」

 大樹は顔を曇らせた。

 由衣は、見ている世界が、彼と自分は違うと確信した。

「多分、普通の人にはない能力を大樹君は持っているの。医者になって、その力を医療の世界でどう役立てるか考えたらいいわ。あたしは外科医が向いていると思うけど」

「もしかして僕は……」

「サヴァンかもね」

「じゃあ、ASDも……」

 ASDとは自閉スペクトラム症のことだ。サヴァン症候群とASDは密接に関連しているが、サヴァン症候群の人は必ずしもASDであるわけではない。サヴァン症候群は脳機能の偏りや神経接続の特殊性に起因すると考えられ、今後の研究が期待されている。

「それは違うわよ。大樹君は、まあまあ社会性はあるし、特定の行動に固執しないし」

「そうだよね」

 大樹は笑みを浮かべた。

「でもガキだけどね」

「えっ!」

 一気に落ち込む大樹、親しくなるほど遠慮なく切り込む由衣である。


 二人は神社に参拝し、満開の桜を楽しみながら公園の中を一時間ほど歩き回った。由衣は精神科医になりたいと明かしたが、大樹は、まだ決めていないと応じた。

 そもそも由衣は医師になるつもりはなかった。半年程前、たまたま読んだ男性外科医と女性精神科医の恋愛マンガがグッと来て、現実世界に重ねたくなったのだ。

 かといって首都圏を離れる気持ちはさらさらなく、私立の医学部に入学するほど親は学費を出せない。私大文系は合格済みで、国公立で難なく通えるところをダメ元で受験したら、思いがけず合格したのだ。

 第一関門を突破した由衣は、次に大樹を外科医にしようとたくらんでいる。

 一方、大樹は、由衣には明かさなかったが、あることがきっかけで人の記憶を研究をしたいと考えていた。


 二人は一休みしようと、神社の参道沿いのコーヒーショップに入った。

「佐藤さん、元気だったのにわからないものね。死因は急性心不全で事件性はないって」

「えっ! 警察は事件性ないって判断したのですか?」

「そうらしいわよ。お兄ちゃんから聞いたんだけどね」

「あの…… 事件の可能性があるのだけど」

「えーっ! うそー! どうしてそう思うの?」

「えーとね」

「待って、お兄ちゃんを呼ぶ」

 由衣はすぐさま携帯で上の兄を呼び出した。

「お兄ちゃん、参道のカフェアプロにすぐ来て、佐藤さんの件で話があるの」

 十分ほど経って由衣の長兄、高見沢康太たかみざわこうたが現れた。 

 精悍な顔立ちの背が百八十数センチの好男子、警察庁にキャリア入庁の警部、二十七歳、犯人のプロファイリングを行う行動分析課に所属し、警視庁と関東各県警を支援している。

 家を出て近隣のマンションに住むが自活には程遠い。休みの日は実家の自室でゴロゴロ、食事と洗濯は実家で母親任せ、埼玉県庁職員の彼女がおり、この秋に結婚の予定だ。


 康太は由衣の前の席に腰を下ろした。

「まったく、日曜日ぐらいゆっくり寝かせてくれよー。えーと、コーヒーをホットで」

 由衣は大樹に顔を向ける。

「お兄ちゃんも一応警察官でしょ。彼が、この前話した福光大樹君。佐藤さんの件で話しがあるって」

 康太は大樹をしげしげと眺めた。

「君が由衣の彼氏か…… ふーん、なるほどー! 由衣が好きになるのも無理はない。いじくりがいのありそうな美少年…… イテッ!」

 由衣の顔は真っ赤になり、康太の向こうずねを蹴った。

「お兄ちゃん、それ以上言うなっ!」

「イテーだろっ! 本気で蹴りやがって」

「いいから大機君の話を聞いて。実は大機君が最初に人が倒れているって気づいたの。さらに今日は事件性があるかもって」

 康太は大樹に鋭い目を向けた。

「そうか…… 福光君がそう思う根拠を話してくれないか?」

「はい、佐藤さんの家の玄関に西日が当たってドアの鍵穴に新しい擦れた跡が見えました」

「誰かがピッキングした可能性があるってことか!」

「はい、あと佐藤さんの足裏全体が角化症ですが、微かに赤い斑点が視認できました」

「衝撃による皮下出血した可能性があると!」

 運ばれてきたコーヒーを一口飲み、康太は腕を組んた。康太は近所で起きたことなので、埼玉県警の知り合いの刑事に詳細を聞いていた、

「ピッキングの痕跡は現場検証で発見できず、足裏の皮下出血は検視では確認できなかった。なぜ気付いたのかな?」

「僕は見たことを人に話すと、変な顔をされることが時々あるんです」

 大樹の困った様子を見て由衣が口を挟んだ。

「大樹君は、おそらくサヴァン症候群なの」

「サヴァンか! …… なるほど納得した。現場検証はやり直しだ。司法解剖が必要になる。もう一つ、侵入者が佐藤さんに危害を加えた可能性は?」

「それは何とも言えません」

「アハハ、欲張り過ぎたな。我々の仕事だ。ありがとう。すぐに県警に知らせる。近いうちに刑事が君に会いに来るだろうからよろしく」

 万札をテーブルに置いて康太は足早に出て行き、由衣がさっと取って笑みをこぼした。

「これで美味しいもの食べに行こ」

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