第3話 アミーゴ ホアン

「大丈夫かぁー?」チーフの第一声である。


 30代半ばだが、見かけ、動作ともに40代後半の風格を見せるレストランの総責任者兼板前の返事は否定的ではなかったが、これまでの状況をお前も知っているだろうと問い返すような口調だった。ホアンを皿洗いとして堺屋で雇えないだろうかとチーフに相談したのだが、この反応は当然だ。アミーゴ(中南米出身の男性を総称してこう呼んでいる)の新規採用に躊躇するのは仕方がない。


 ここ日本町のほとんどの和食レストランでもアメリカ国内の他のレストラン同様、中南米からの不法移民を皿洗いや掃除夫として雇っていた。しかし突然バックレたり、盗難騒ぎがあったりしてトラブルの元にもなっていた。そこそこの高級和食レストラン堺屋でも開店当初5、6人ほど中南米からのヒスパニック系不法移民を雇ってはいたのだが、始まって初日に1人クビになり、1週間後には2人バックレて、1年経った今では一人のアミーゴもいなくなってしまったのだった。まあそれらアミーゴたちの状況のみならず、オレに対するチーフの評価が低いためオレの紹介では不安だ…とチーフの顔に書いてもいたけど。


「まあでも、あいつはええんちゃうか」


 堺屋のもう一人の凄腕板前(板前の凄さを表現する級や段などあればいいのだが、板前に関するボキャブラリーが少ないので悪しからず。とにかくすごい板前なのです)の北さんが呟くように助け舟を出してくれた。チーフより少し若く、痩せて小柄だが包丁の切れ味そのままのような鋭い目をしたこの凄腕は、普段は人事のことになど全く口を挟まない。珍しく彼がそう提案したのも、今キッチンでは人手が足りなくて困っており、チーフもまともな働き手を探していたからだ。さらにホアンと出会ってからまだ1ヶ月程度だったが、オレも北さんもホアンを応援したいと思うようになっていた。


 つい1ヶ月前、サンタモニカでホアンと遭遇した際、オレのランチを天使の微笑で強奪していった妹から取り返してもらってから、ホアンとは既に何度か会うようになっていた。そう、例の天使はホアンのお下がりを纏った妹だった。人相に親しみを持ったのだろうか、ホアンもいきなりスペイン語で挨拶をしてきて、オレことをメキシカンだと思いこんで全く疑わなかったらしい。挙句、「ハポネス?(日本人?)」と目を真ん丸くして驚いていた。語学学校では中近東系、町中ではラテン系と日本人に思われないことにはもう慣れっこだけどね。

 あの後、スタローンが3日で書き上げたという「ロッキー」のペーパーバックをオレが持っているのを発見して、ホアンは妹とは違う目の端がつり上がった茶色い瞳を輝かせた。丸くしたり輝かせたり、目元忙しい奴だ。


「ロッキー、ノーノー。チャベス、カンペオーン」

「ロッキーは映画やがな」


 奇跡的に〔ボケ・ツッコミ〕を身振り手振りで成立させると、メヒコの英雄、無敗のチャンピオン、フリオ・セサール・チャベスが、最強の挑戦者エクトル”マッチョ”カマチョと対戦するという、その夜行われる世紀のボクシングマッチにオレを招待してくれたのだった。招待といっても何もラスベガスの決戦場に入場するチケットが手に入ったわけではない。ホアンのアミーゴ仲間のアパートでTV観戦しようというお誘いだった。それでもケーブルTVであの白髪とんがりヘアの前科モノプロモーターに59ドル95セントも支払って観なければならないプレミアマッチなのだ。彼らの日雇いの仕事からすればたった1晩のTV番組にその視聴料は破格の金額だろう。


「この辺、やばそうやなー。停めるところあるかな…」


 最近、大枚をはたいて購入した新車の300ZXを運転しながら、苦い顔で北さんがつぶやいた。

 オレはタダで観戦させてもらうことに気が引けたのと、さすがにひとりでアミーゴの巣窟へ向かうことに怖気づいて、ボクシング好きの北さんを誘ってホアンのアパートへ向かっていた。

 ホアンの自宅はビバリーブルバードから数ブロック北へ入ったアパート群の一角にあった。ビバリーと名前が付くとビバリーヒルズを想像して高級な住宅街を想像するかもしれないが、ここはビバリーブルバードをヒルズのほうからずっと東に下ったビバリーブルバードのなれの果て。一軒家の土地を無理やり4部屋か5部屋ずつの集合住宅に作り変えたアパートに中南米からの不法移民が親族、いや民族単位で住んでいる地区だ。町の看板にもスペイン語があふれ、スペイン語しか話さなくても充分に生活できる彼らの楽園である。

 事実、ロサンゼルスでは人口の約半分がヒスパニック系でその内のかなりの割合をスペイン語しか話せないアミーゴ(またはアミーガ)が占めている。ただ歴史を紐解けば南カリフォルニアはヒスパニック系の開拓民が先に入植し、町の大部分がスペイン語で命名されていて、後からやってきた侵入者が英語を振りかざしているのだから、仕方ないことだろう。

 ただし、現在ではほとんどが不法移民としてこの国にやってきているので、このあたりの地区が北さんが呟いたように「やばそう」な場所であることに間違いはない。不法移民がやばいという意味ではない。極端な話だが、アメリカ市民でもリーガルエイリアン(合法的に滞在する外国人)でもない彼らを守る必要がないため、官憲の力がこの辺りには届きにくいということである。

 ここから車で南へ5分くらいの所、サンタモニカのビーチからダウンタウンまで続くウィルシャーブルバードという大通りまで来るとMacArthur Park(マッカーサー公園)という市民憩いの場があり、ここ数ヶ月の雨不足で干上がったこの公園の池から5,6体のアミーゴがあがったそうである。

 北さんの大事な300ZXは、オレがホアンの案内でアパートのまん前にアミーゴ一人の監視をお願いして駐車しておいた。この時、この華麗な赤いボディが既に目をつけられていたとは夢にも思わなかったけど。


「2ケースぐらい持って行かんとあかんやろ」

「ですね」


 案の定、北さんの提案&スポンサードでビールを手土産に持っていこうということになったのだが(それを期待してのお誘いだったのだ)、抱えていったBudweiserの20本パック2ケースは、そこにいる頭数で割ると1人1本も行き渡らなかった。

 1階の誰かの部屋2つをぶち抜いて、横長になった部屋の真ん中にTVを据え、できるだけ多くの人間が見えるよう最大限に努力した結果、その部屋だけでも40人以上、さらに窓の外から顔を覗かせる奴らまで入れると50人を優に超える人間が重なり合ってTV画面を視界の端にでも入れようとがんばっていた。視聴料を頭数で割れば一人ずつの負担が少なくなるという思惑だろう。アミーゴの巣のようなそのアパートに遊びに来る物好きな(怖いもの知らずな?)ハポネス見たさの奴らも外野席には混じっているようだった。

 どの席がいくらになっているかは不明だったが、即席で作った観客席のど真ん中、モニターのまん前のアリーナ席を2つ、オレたちの為に用意してくれていた。ホアンと彼らの心遣いに感謝しつつ、追加のビールを頼みつつ、アンディフィーテッド・カンペオン(無敗の王者)、チャベスの匠ともいうべき老練なラッシュに誰彼構わず抱き合って狂喜したのだった。


 Mexicanos, al grito de guerra

 el acero aprestad y el bridón,

 y retiemble en sus centros la tierra

 al sonoro rugir del cañón.

 メキシコ人たちよ、戦争の叫び声で

 剣と馬勒を用意せよ

 そしてその真ん中で大地が震えんことを

 大砲の轟く音で



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