第8章:10分から始める
翌朝、目が覚めた時、隣に美咲はいなかった。
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階下から、颯太の声が聞こえた。
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「ママ、パパは?」
「まだ寝てるよ」
「起こしていい?」
「もう少し待ってあげて」
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俺は、ベッドから起き上がった。
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体が重かった。
昨夜の疲れが、まだ残っている。
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でも、俺は立ち上がった。
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階段を降りると、颯太が駆け寄ってきた。
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「パパ!おはよう!」
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「……おはよう」
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颯太は、俺の足に抱きついた。
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「今日、遊ぶんでしょ?やくそくしたでしょ?」
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颯太の顔を見下ろした。
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期待に満ちた目。
不安も、少しだけある目。
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「ああ」
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俺は言った。
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「約束した」
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颯太の顔が、ぱっと明るくなった。
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「やった!何して遊ぶ?公園?ブロック?恐竜ごっこ?」
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俺は、少しだけ笑った。
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「全部」
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颯太が、目を丸くした。
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「全部!?」
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「ああ。今日は、全部やる」
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朝食を食べた後、俺たちは公園に行った。
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3人で。
俺と、美咲と、颯太。
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土曜日の午前中。
公園には、家族連れが何組もいた。
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颯太は、ブランコに向かって走っていった。
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「パパ、押して!」
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俺は、颯太の後ろに立った。
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そして、ブランコを押した。
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颯太が、笑いながら揺れている。
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「もっと高く!」
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「これ以上高くすると、危ないぞ」
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「大丈夫!パパがいるから!」
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その言葉が、胸に沁みた。
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「パパがいるから」
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颯太は、俺を信じている。
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俺は、その信頼に応えられているだろうか。
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ブランコの後は、滑り台。
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砂場。
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鉄棒。
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颯太は、次から次へと遊具を巡った。
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俺は、その後をついて行った。
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途中で、颯太が転んだ。
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膝を擦りむいた。
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「痛い……」
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颯太の目に、涙が浮かんだ。
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俺は、颯太を抱き上げた。
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「大丈夫か」
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「痛い……」
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「ちょっと待ってろ」
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俺は、颯太をベンチに座らせた。
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美咲が、バッグから絆創膏を取り出した。
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「ほら」
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俺は、颯太の膝に絆創膏を貼った。
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「これで、大丈夫」
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颯太は、膝を見た。
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「パパ、ありがとう」
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そして、また笑顔になった。
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「もっと遊ぶ!」
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颯太は、また走り出した。
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俺は、ベンチに座った。
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美咲が、隣に座った。
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「お疲れ様」
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美咲が、笑いながら言った。
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「まだ午前中なのに、もうヘトヘトでしょ」
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「……ああ」
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俺は正直に答えた。
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「颯太の体力、すごいな」
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「毎日、こうよ」
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美咲は言った。
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「私、いつもこれをやってるの」
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俺は、何も言えなかった。
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美咲は、毎日、颯太と遊んでいる。
俺が仕事をしている間、ずっと。
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「ごめん」
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「謝らなくていい」
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美咲は言った。
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「今日、あなたがここにいてくれる。それだけで十分」
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俺は、美咲を見た。
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美咲は、颯太を見ていた。
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その横顔は、穏やかだった。
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午後、家に戻った。
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颯太は、疲れたのか、リビングのソファで寝てしまった。
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俺は、颯太に毛布をかけた。
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小さな寝顔。
満足そうな顔。
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俺は、颯太の頭を撫でた。
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柔らかい髪。
温かい頭。
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この感触を、俺は忘れかけていた。
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夕方、颯太が目を覚ました。
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「パパ、ブロックやろう」
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颯太が、おもちゃ箱を持ってきた。
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俺は、颯太と一緒に床に座った。
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ブロックを組み立てる。
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颯太が、「お城を作る」と言った。
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俺は、颯太の指示に従って、ブロックを積んでいった。
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途中で、崩れた。
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颯太が、「もう一回!」と言った。
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俺は、また最初から積み直した。
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何度も崩れた。
何度も、やり直した。
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でも、颯太は笑っていた。
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俺も、いつの間にか笑っていた。
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こんなに笑ったのは、いつ以来だろう。
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思い出せなかった。
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夕飯は、3人で食べた。
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カレー。
颯太の好物。
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颯太は、嬉しそうに食べていた。
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「パパ、今日楽しかった」
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颯太が言った。
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「そうか」
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「うん。また明日も遊ぼう」
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「……ああ」
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俺は頷いた。
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でも、心の中では思っていた。
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明日も、こうできるだろうか。
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来週は、また仕事が始まる。
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また、終電の日々が始まる。
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でも、今日は。
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今日だけは、颯太と一緒にいられた。
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それだけで、十分だった。
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夜、颯太を寝かしつけた。
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絵本を読んだ。
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颯太の好きな、恐竜の絵本。
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颯太は、俺の腕の中で眠りについた。
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俺は、颯太の寝顔を見た。
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穏やかな顔。
幸せそうな顔。
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俺は、颯太の額にキスをした。
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「おやすみ」
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小さな声で言った。
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リビングに戻ると、美咲が待っていた。
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「颯太、寝た?」
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「ああ」
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俺は、ソファに座った。
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疲れていた。
でも、悪い疲れじゃなかった。
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「今日、ありがとう」
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美咲が言った。
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「何が」
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「颯太と、ちゃんと遊んでくれて」
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俺は、首を横に振った。
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「当たり前のことだ」
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「でも、あなたにとっては、当たり前じゃなかった」
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美咲は言った。
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「だから、ありがとう」
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俺は、何も言えなかった。
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「これから、続けられる?」
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美咲が聞いた。
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俺は、少し考えた。
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「……わからない」
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正直に答えた。
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「来週から、また仕事が始まる。忙しくなると思う」
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「うん」
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「でも」
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俺は言った。
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「やってみる。10分でいいから、颯太と話す時間を作る」
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美咲は、頷いた。
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「10分でいい。それを続けてくれれば」
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俺は、頷き返した。
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その夜、俺はベッドに横になった。
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体は疲れていた。
でも、心は軽かった。
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颯太と遊んだ一日。
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たった一日。
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でも、その一日が、何かを変えた気がした。
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俺は、まだ完璧な父親じゃない。
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来週から、また仕事に追われるだろう。
家に帰れない日もあるだろう。
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でも、今日、俺は変わり始めた。
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10分から始めた。
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これを続ける。
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少しずつ。
一歩ずつ。
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俺は、目を閉じた。
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颯太の笑顔が、浮かんだ。
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「パパ、大好き」
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その言葉が、胸の中で響いていた。
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俺も、お前が大好きだよ。
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明日も、明後日も。
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ずっと、お前の父親でいたい。
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完璧じゃなくても。
不器用でも。
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それでも、お前の父親でいたい。
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俺は、眠りに落ちた。
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穏やかな眠りに。
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(第8章・了)
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