第4章:口論


実家に来て3日目。


父親の病院の予約を取った。


来週の水曜日。


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俺は、その日まで実家にいることにした。


会社には、有給を申請した。


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上司からは、「今忙しいのに」と言われた。


でも、断れなかった。


父親のことを話すと、渋々了承してくれた。


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美咲にも連絡した。


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「もう少し、実家にいる」


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美咲からは、すぐに返信が来た。


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「わかった。お義父さんのこと、よろしくね」


「颯太は?」


「元気よ。パパに会いたがってるけど」


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その言葉が、胸に刺さった。


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「ごめん。もうちょっとで帰る」


「わかってる。気をつけてね」


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俺は、スマホを置いた。


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颯太の顔が浮かんだ。


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会いたい。


でも、今は、ここにいなきゃいけない。


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午後、俺は父親と2人でリビングにいた。


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母親は買い物に出かけていた。


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テレビがついていたが、どちらも見ていなかった。


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父親は、ソファに座って、新聞を読んでいた。


俺は、スマホをいじっていた。


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沈黙。


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重い沈黙。


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俺は、何か話そうとした。


でも、何を話せばいいのか、わからなかった。


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父親との会話。


子どもの頃から、苦手だった。


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何を話しても、父親は「そうか」としか言わない。


会話が続かない。


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だから、いつも黙っていた。


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でも、今は違う。


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俺は、父親に聞きたいことがあった。


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「なあ、父ちゃん」


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俺が言うと、父親は新聞から目を上げた。


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「仕事、辞めてどうだ?」


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父親は、少し考えた。


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「……暇だ」


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「暇か」


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「ああ。何十年も働き続けてきた。急に何もなくなると、何をしていいかわからん」


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父親は、新聞を膝の上に置いた。


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「朝、目が覚めても、行く場所がない。やることもない」


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その声には、寂しさがあった。


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「何か、趣味とか始めたら?」


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「趣味か。そんなもん、考えたこともなかった」


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父親は、苦笑した。


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「ずっと仕事だけだったからな」


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俺は、何も言えなくなった。


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仕事だけ。


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それが、父親の人生だった。


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「お前は、仕事、どうだ」


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父親が聞いてきた。


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俺は、少し驚いた。


父親から、仕事のことを聞かれたのは初めてだった。


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「……忙しい」


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「そうか」


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「毎日、終電。休日も、仕事してる」


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父親は、黙って聞いていた。


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「部下は潰れるし、クライアントは無茶言うし、上司は数字しか見ない」


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言葉が、止まらなくなった。


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「正直、もう限界だと思う」


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父親は、俺を見た。


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「なら、辞めろ」


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その一言が、あまりにもあっさりしていて、俺は戸惑った。


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「辞める?」


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「ああ。限界なら、辞めればいい」


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「でも、家族がいる。颯太もいる。生活が……」


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「生活は、何とかなる」


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父親は、言い切った。


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「お前が壊れたら、元も子もない」


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俺は、何も言えなかった。


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父親が、そんなことを言うとは思わなかった。


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「でも、父ちゃんは、ずっと無理して働いてきただろ」


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俺が言うと、父親は頷いた。


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「ああ。だから、お前には同じことをしてほしくない」


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その言葉が、重かった。


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「俺は、間違えた」


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父親は、静かに言った。


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「仕事ばかりで、家族を見なかった。お前との時間も作らなかった。それは、間違いだった」


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俺は、息を止めた。


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父親が、自分の過ちを認めた。


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初めてだった。


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「お前には、同じ間違いをしてほしくない」


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父親は、俺を見た。


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その目には、後悔があった。


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でも、俺は納得できなかった。


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「でも」


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俺は言った。


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「俺、父ちゃんと同じことしてる」


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父親は、何も言わなかった。


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「毎日遅くまで働いて、颯太の顔もろくに見ない。美咲にも、迷惑かけてる」


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俺は、拳を握った。


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「父ちゃんみたいになりたくなかったのに、結局、同じになってる」


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父親は、俺を見ていた。


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「なら、変えろ」


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「変えられない」


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俺は、声を荒げた。


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「変えたくても、変えられないんだよ。仕事を減らしたら、評価が下がる。評価が下がったら、給料が下がる。給料が下がったら、生活ができない」


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「それは、言い訳だ」


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父親が、言った。


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「言い訳?」


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「ああ。俺も、同じ言い訳をしてきた」


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父親は、立ち上がった。


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「家族のため、と言いながら、本当は自分のためだった」


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「どういうことだよ」


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「仕事をしてる方が、楽だったんだ」


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父親は、窓の外を見た。


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「家に帰って、家族と向き合うより、仕事をしてる方が楽だった。家族と何を話していいかわからなかった。だから、仕事に逃げた」


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俺は、何も言えなかった。


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「お前も、同じだろ」


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父親が、俺を見た。


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「仕事に逃げてるだけだ」


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その言葉が、胸に刺さった。


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「違う」


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俺は、言った。


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「俺は、逃げてない」


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「なら、何だ」


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「家族を守るために、働いてる」


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「それが、逃げだって言ってるんだ」


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父親の声が、大きくなった。


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「本当に家族を守りたいなら、そばにいてやれ。金を稼ぐだけが、守ることじゃない」


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俺は、立ち上がった。


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「じゃあ、父ちゃんはどうだったんだよ」


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俺も、声を荒げた。


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「父ちゃんは、俺のそばにいたか? 俺が子どもの頃、父ちゃんはいつも家にいなかった」


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「……」


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「運動会にも来なかった。参観日にも来なかった。俺が話しかけても、『疲れてる』って無視した」


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俺の声が、震えた。


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「それで、今更、『間違えた』って言われても、困るんだよ」


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父親は、黙っていた。


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「俺は、父ちゃんみたいにはならないって、ずっと思ってきた。でも、結局、同じになってる。それが、どれだけつらいか、わかるか?」


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俺は、父親を睨んだ。


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「俺は、父ちゃんを許してない」


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その言葉が、口から出た。


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父親は、何も言わなかった。


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ただ、俺を見ていた。


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「許さなくていい」


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父親は、静かに言った。


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「俺も、自分を許してない」


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その声には、力がなかった。


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「でも、お前に同じ間違いをしてほしくない。それだけだ」


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「じゃあ、どうすればいいんだよ」


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俺は、叫んだ。


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「仕事を辞めろって言うのか? 家族を食わせられなくなったら、どうすんだよ」


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「お前は、家族を食わせることしか考えてないのか」


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父親が、言い返した。


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「家族は、金だけで生きてるわけじゃない」


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「わかってるよ」


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「わかってない」


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父親の声が、さらに大きくなった。


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「わかってたら、もっと家にいる。もっと、息子と話す」


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「父ちゃんに言われたくない」


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俺も、負けじと声を上げた。


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「父ちゃんこそ、俺と話したことなんて、ほとんどないだろ」


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「……」


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「いつも黙って、新聞読んでるか、寝てるかだった。それで、今更、説教されても、説得力ないんだよ」


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父親は、何も言わなかった。


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ただ、俯いた。


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その姿が、急に小さく見えた。


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「お前に、何がわかる」


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父親が、小さな声で言った。


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「何が?」


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「お前に、何がわかる」


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父親は、顔を上げた。


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その目には、怒りがあった。


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「俺が、どれだけ苦しんだか。どれだけ我慢したか。お前に、何がわかる」


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「……」


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「毎日、朝早くから夜遅くまで働いて。上司に怒鳴られて、部下に文句言われて、それでも黙って耐えた」


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父親の声が、震えた。


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「家に帰っても、疲れすぎて何も話せなかった。お前と遊びたかった。でも、体が動かなかった」


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「……」


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「それでも、働き続けた。家族を食わせるために。お前を大学に行かせるために」


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父親は、俺を睨んだ。


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「それを、『許せない』って言うのか」


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俺は、何も言えなかった。


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父親の痛みが、初めて見えた気がした。


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「俺だって、辞めたかったよ」


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父親は、続けた。


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「でも、辞められなかった。家族がいたから。辞めたら、食えなくなるから」


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「……」


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「だったらお前もわかるだろ」


---


父親は、言った。


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「辞められねえことくらい」


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その言葉が、俺の胸に突き刺さった。


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俺は、何も言い返せなかった。


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父親の言う通りだった。


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わかる。


わかってしまう。


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辞められない。


どんなにつらくても、辞められない。


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家族がいるから。


責任があるから。


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俺は、父親と同じだ。


---


同じ痛みを抱えて、同じように働いている。


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その事実が、俺を押しつぶした。


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「俺……」


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声が出なかった。


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「俺、父ちゃんと同じになってる」


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やっと、それだけ言った。


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父親は、何も言わなかった。


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ただ、俺を見ていた。


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その目には、悲しみがあった。


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「そうだ」


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父親は、静かに言った。


---


「お前は、俺と同じになってる」


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その言葉が、最後の一撃だった。


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俺は、リビングを出た。


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階段を駆け上がって、自分の部屋に入った。


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ドアを閉めて、ベッドに座った。


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頭が、混乱していた。


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父親と、口論した。


初めてだった。


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いつも黙っていた父親が、あんなに感情を出すとは。


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そして、父親の言葉が、胸に刺さった。


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「辞められねえことくらい、わかるだろ」


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わかる。


わかってしまう。


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俺は、父親を許せない。


でも、理解してしまう。


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その矛盾が、俺を苦しめた。


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俺は、ベッドに倒れ込んだ。


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天井を見上げた。


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何も変わっていない天井。


子どもの頃と、同じ天井。


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でも、俺は変わった。


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子どもの頃、俺は父親を憎んでいた。


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でも、今は、違う。


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憎めない。


理解してしまうから。


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父親も、苦しんでいた。


父親も、我慢していた。


父親も、限界だった。


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それでも、働き続けた。


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俺と、同じように。


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俺は、目を閉じた。


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涙が、出そうになった。


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でも、泣かなかった。


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泣いたら、何かが崩れてしまう気がした。


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俺は、ただ、天井を見つめ続けた。


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(第4章・了)

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