後編

 その後もしばらくはバイト生活でなんとか食いつなぐ日々が続いた。もちろん、生活は常にカツカツだった。

 だが正直、このままでも十分だと思っていた。今から何かを変えるには遅すぎるし、今の生活すらも失ってしまうのはさすがに避けたかった。


 だが、年々増してゆく親からの圧力と幸せそうに暮らす貴一夫婦を目の当たりにしたことで、その気持ちは徐々に揺らいでいった。


 そして三十路を目前に控えたある年、俺はついに転職することを決意した。その直接のきっかけとなったのは、帰省と同時期に行われた中学校の同窓会だった。貴一の結婚式以来、久々に引っ張り出したスーツに袖を通し、会場で受付を済ます。見知った名前がずらりと並んでいることに早くも懐かしさを覚えていると、ふいに肩を叩かれた。


「やっぱり! 卓也じゃん!」

「え、ヒデちゃん!? 久しぶり!」


 ヒデちゃんとは、保育園の頃からよくつるんでいた幼なじみだ。短く整えられた口ひげや少し丸くなった体型を無視すれば、あの頃のヒデちゃんそのままだ。


「最近どうよ?」

「まあ、ぼちぼちかな。ヒデちゃんは?」

「こっちもまあまあよ」


 笑いながら左手を後頭部に動かしたその刹那、俺は学生時代とのある違いを見逃さなかった。


「ヒデちゃん。いつの間に結婚したの?」


 俺が指さした方に目を向けると、ヒデちゃんは少しだけはにかんでみせた。


「ああ。ついこの間、籍を入れたんだ。来年のどこかで式をあげるつもりだから、その時は卓ちゃんも招待するよ」

「お、おう」


 思わず生返事が出てしまった。

 かつて一緒に遊び、ケンカし、笑い合ったヒデちゃんとの間には幾重ものガラスが敷き詰められている。それを認識してしまった俺は、ひとり取り残されたような気分になった。


 その後緩やかに始まった同窓会は最初こそ久方ぶりの再会を懐かみ、昔話に花を咲かせていたものの、気づけば近況報告会へと成り代わっていた。そこで交わされた会話は「子どもがかわいい」とか、「大きな仕事を任されて大変」といったものばかりで、俺は話についていくのが精一杯だった。


 かつて同じ天井の下で時間を過ごした皆が、各々の幸せを掴んでいる。その事実が俺の半生をまるごと否定してくるような気がして、せっかくのワインも満足に喉を通らなかった。


 ここまで危機感を感じたのは後にも先にもこの時だけだった。だからこそ、俺は覚悟を決めることができたのだ。


 バイト面接しかやったことのない俺にとって、転職活動は困難を極めた。俺の経歴で雇ってくれるような企業はそうそう見つからず、履歴書で落とされるばかり。運よく面接に進んだとしても、今まで避けてきたツケが出まくってなかなか上手くいかなかった。


 それでも、作法を一から覚え直し、必要な知識を必死こいて詰め込んだ。時には貴一のアドバイスも受けながら必死に頑張ったことで、翌年には一社からなんとか内定を勝ち取ることができた。


 さらに運命の歯車というのは、一度良い方向に回り出すとそう簡単には止まらないらしい。1年後にはその転職先で出会った年下の女性と結婚し、子どもも授かることができた。真優と名付けた我が子はこの世の何よりもかわいくてたまらない。


 仕事に子育てにと奔走している間に、今年も年末がやってきた。自分の稼いだお金を使って実家に帰ると、いつも以上に朗らかな顔の両親に出迎えられた。

 その後、兄夫婦も合流し、しばし和やかなムードが続いていった。特に貴一のお子さんは初めて触れる赤ちゃんに興味津々なようで、とにかくいろんなことを教えてあげようとしていた。その姿がまたなんとも微笑ましく、気づけば写真フォルダが二人の写真で埋まっていた。


 楽しい時間はあっという間に過ぎていき、良い子は眠りにつく時間となった。なかなか寝付けない真優を腕に抱えながら、俺は貴一に子育ての先輩としていろいろアドバイスを受けている最中だ。


 保育園に入る際に用意しておくべきことを聞いていたその時、貴一はふと思い出したかのように「あ、そうだ」と声を上げた。そしておもむろにカバンを取り出すと、中からひとつのポチ袋を取り出した。


「はい、お年玉。生まれてきてくれたお前の子のために」

「おお、ありがとう」


 言われるがままに受け取ったその瞬間、この数年間のめまぐるしい出来事が俺の頭にフラッシュバックした。それと同時に、全身を電流のようなものが走った。


「そうか」

「ん?」

「何年か前に、お年玉をあげることについて話したの覚えてるか?」

「ああ。もちろん」

「今、貴一からお年玉を受け取って、その意味がやっと分かった気がするんだ」

「というと?」

「お年玉ってのはさ、子どもがこれから夢に向かって羽ばたけるようにと願いを込めて渡すもんなんじゃないか?」


 かつて自分が投げかけた問いに自ら答える。その感覚が妙にこそばゆかった。


「分かってきたじゃないか」

「ようやくな」

「でも、それだけじゃない」

「?」

「子どもが一年間、健やかに成長してきたことを祝う意味もあるんだ。3月に生まれたこの子も、見違えるぐらい大きくなったんじゃないか?」


 そう問われて、視線が自然と下に落ちた。


 腕の中ですやすや眠る真優は、初めて抱っこした時よりひと回りもふた周りも大きくなっている。そういえば、ついこの間まではベビーベッドで小さく寝転がっていたはずだ。なのに今や、ハイハイであちこち探検するようになっている。


 毎日一緒にいるから気づきにくいが、こうして振り返ってみるとここまで育ってくれたことに生命の神秘というものを感じた。


「祝って願う、か」


 数年前の自分なら絶対に思いつかなかった。仮にその答えを教えてもらったとして、当時の俺は素直に飲み込めなかっただろう。それが分かっていたから、貴一はあえて濁したのだ。

 そう考えると、昔の俺はまだまだ青かった。だが、真優の穏やかな寝顔を見るためには、必要な過程だったのかもしれない。


 まだまだ小さいこの子が送る長い人生、その節目を大切に祝っていこうと俺は心の中で誓った。


 もうすぐ、年が明ける。どこか遠くから、除夜の鐘をつく音が聞こえてきた。


~完~

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お年玉をあげる意味 杉野みくや @yakumi_maru

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