第8話「彼氏」
新宿駅東口。
土曜日の午後。人が多い。
ガヤガヤという声と、駅のアナウンスと、信号の音が混ざり合っている。スクランブル交差点を渡る人の波。誰かの香水の匂いが、風に乗って流れてくる。
——人混み、やっぱり苦手だ。
壁際に寄って、スマホを握りしめる。14時まであと5分。早く着きすぎた。
周囲のこっちをチラチラと見る視線が気になる。
自意識過剰とかでなく顔を見られてる気がする。
イオリユウなんて新人声優を、こんな一般の人たちが知るわけないと思うけど、不安だ。
——気にするな。誰もボクなんか見てない。
そう言い聞かせても、肩が強張る。
「ねえ、一人?」
知らない声だった。
振り向くと、男が立っていた。二十代後半くらい。チャラい感じ。香水の匂いが強い。
「ひとり?よかったらお茶でも——」
「あ、えっと、その……」
声が出ない。断りたい。でも言葉が出てこない。
「可愛いね、どこ住み?」
近い。距離が近い。一歩下がる。壁に背中が当たる。逃げ場がない。
「あの、ボク——」
「おう」
その時、低い声が、割って入った。
振り向くと、鷹宮さんが立っていた。
180センチの長身が、ナンパ男との間に入る。
「……あ、相手いたのか。わりぃわりぃ」
男が、手を振って去っていく。
また、女に間違われた。
これだから、外の待ち合わせは苦手なんだ。
「大丈夫か」
「……はい」
鷹宮さん。黒いシャツに、グレーのジャケット。細身のパンツ。シンプルだけど、かっこいい。
180センチの長身。広い肩幅。ナチュラルに風になびく髪。
どこからどう見ても、男らしい。
——さすがボクがなりたかったもの、全部持ってる人。
もしボクが女性なら、テンション上がるんだろうな。
「待たせた?」
「い、いえ、ボクも今来たところで……」
定型文が口から出た。実際は20分前から来てたけど。
「だいぶ緊張してるな」
「……わかりますか」
「顔に出てる」
鷹宮さんが、少し笑った。
「まあ、服屋なんて俺も得意じゃないけどな。行くか」
「はい」
鷹宮さんの後について歩き出す。人混みの中を、鷹宮さんはすいすいと進んでいく。背が高いから、人の流れが自然と避けていく感じがする。
ボクは逆だ。人にぶつかりそうになる。避けようとして変な方向に動いてしまう。
「ほら、はぐれるぞ」
鷹宮さんが振り返って、手招きする。
「す、すみません……」
小走りで追いつく。鷹宮さんの背中を見失わないように、必死でついていく。
-----
最初の店は、駅ビルの中のセレクトショップだった。
ドアを開けると、空調の冷たい風がふわっと顔に当たる。店内BGMが小さく流れている。洋楽。何の曲かわからない。
メンズフロア。並んでいるのは、黒、紺、グレー。モノトーンの服たち。
——ボクの世界にない色だ。
鷹宮さんと一緒に、棚を見て回る。
「サイズがな……」
鷹宮さんが、シャツを一枚手に取って、また戻す。
そしてボクの体を上から下までじっ見つめる。
それがなんか恥ずかしくて俯いてしまう。
「XSでも大きいかもしれんな」
「……ですよね」
わかってた。母親の言葉が頭をよぎる。「メンズで悠に合うサイズ、ほとんどないの」。
——でも、探すって決めたんだ。
鷹宮さんは黙って、次の棚に移動していく。背中を追いながら、ボクは考えていた。
——このままじゃ、鷹宮さんに全部やってもらうことになる。
それは嫌だ。
付き合ってもらっただけでもありがたいのに、ボクが何もしないなんて。
店員を探す。少し離れたところに、一人立っている。20代後半くらいの男性。爽やかな笑顔で、別の客を見送っている。
——話しかけなきゃ。
サイズのこと、聞かなきゃ。
心臓がうるさい。ドクン、ドクン、ドクン。
ボクは、いつも店員が近くに寄ってくるだけで逃げ出したくなる。
まして、自分から話しかけるなんて。
——大丈夫。
店員にサイズを聞くだけだ。それだけ。死ぬわけじゃない。
深呼吸。吸う。吐く。
店員がこっちを見た。今だ。
足を踏み出す。一歩、二歩、三歩。
「あ、あの……」
声が出た。小さいけど、出た。
店員が笑顔を浮かべる。目が合う。
うぁぁだめだ、目を逸らしたい。でも逸らしちゃダメだ。
絶対に変なやつだと思われる。
「すみません、えっと、その……」
言葉が出てこない。頭の中で文章を組み立てようとするけど、バラバラになる。
「サイズ、が……小さめの、メンズを……探して、いて……」
店員が、ボクを上から下まで見た。
たぶんじろり、と。
数秒の沈黙。
「あちらの、彼氏さんへのプレゼントですか?」
——え。
店員の視線が、後ろにいる鷹宮さんに向いている。
——彼氏?
——いや、違うし。
——しかも彼氏じゃないし。
——ていうか男同士なんだけど。
頭の中が真っ白になる。言葉が出てこない。口をパクパクさせてる自分がわかる。金魚みたいだ。情けない。
「い、いえ、あの、自分の、服を……探していて……」
やっと声が出た。かすれてる。震えてる。
店員が、目を丸くした。
「あ、失礼しました!」
そう言って、また上から下までボクを見る。
「最近は……ボーイッシュな感じでメンズを着られる女性の方、増えてますよ! かっこいいですよね!」
——違う。
——そうじゃない。
「いや、あの、ボクは、その……」
言葉が詰まる。説明しなきゃ。でも、どう説明すればいいんだ。「ボクは男です」って言えばいいのか。でも信じてもらえなかったらどうしよう。変な空気になったらどうしよう。
「こいつ、こう見えて男なんですよ」
鷹宮さんの声が、背後から聞こえた。
振り返ると、鷹宮さんがすぐ後ろに立っていた。いつの間にか近づいてきてくれていた。
「俺は友人として付き添ってるだけです。サイズの小さいメンズを探してるんですが、XS以下ってありますか?」
淡々と、でもはっきりと。
店員が、固まった。
「え……男性なんですか?」
「はい、男です」
鷹宮さんが、当たり前のように言った。
「だから、メンズで探してるんです」
沈黙。
店員の顔に、困惑が浮かんでいる。視線がボクと鷹宮さんの間を行ったり来たりしている。
「し、失礼しました……! えっと、サイズですよね、少々お待ちください……」
店員が、慌てて棚の方に向かった。
「あ、こちらがXSになりますが……」
シャツを一枚持ってきた。白いオックスフォードシャツ。シンプルなやつ。
「試着されますか?」
「……はい」
試着室に入った。
カーテンを閉める。シャラリ、という音。
シャツを着る。
——大きい。
肩幅が合わない。袖が余る。着丈が長すぎる。
鏡の中の自分は、お兄ちゃんの服を借りてきた妹みたいだった。
「……どうだ?」
カーテンの外から、鷹宮さんの声。
「……ダメです。やっぱり大きいです」
「出てみろ」
カーテンを開ける。
鷹宮さんが、腕を組んで見ている。店員も、後ろで申し訳なさそうな顔をしている。
「……申し訳ありません。当店のメンズですと、一番小さいサイズでもお客様には少し……」
——だろうな。
わかってた。わかってたけど。
「レディースでしたら、メンズライクなデザインのシャツがございますが……」
「いや、メンズで探してるんだ」
鷹宮さんが、きっぱり言った。
「他の店も回るから、大丈夫。ありがとう」
「かしこまりました……またお越しくださいませ」
店を出た。
ボクは結局、何も買えなかった。
「……すみません」
「なんで謝る」
「全部、鷹宮さんに……」
「いいから。次行くぞ」
-----
二軒目。三軒目。
結果は同じだった。
「サイズがちょっと……」
「こちらのXSでも大きいですね……」
「レディースなら……」
——レディースなら。
その言葉を、何度聞いただろう。
店に入るたびに、同じことを説明しなきゃいけない。「男です」「メンズを探してます」「サイズはXS以下で」。そして、店員の困惑した顔。
四軒目を出たところで、鷹宮さんが足を止めた。
「……悪い。俺の知識が足りなかった」
「え?」
「普通のメンズじゃ、サイズが合わないのは想定してた。でも、ここまでとは思わなかった」
「……ボクの体型が悪いんです」
「体型が悪いんじゃない。店の品揃えが合ってないだけだ」
鷹宮さんが、スマホを取り出した。
「ユニセックスのブランド、探してみるか。メンズでもレディースでもない、中間のやつ。最近増えてるだろ」
「……あんまり詳しくないです」
「俺もそこまで詳しくないけど、知り合いに聞いてみる」
鷹宮さんが、誰かにメッセージを送っている。
数分後、返信が来たらしい。
「……あった。ここから歩いて10分くらいのとこに、サイズ展開が細かい店があるらしい」
「行きます」
即答していた。
-----
これで最後にしようと訪れた五軒目は、路地裏の小さな店だった。
看板は英語で、読み方がわからない。ガラス張りの外観。中が見える。シンプルな内装。服の数は多くない。
「ここ、サイズ0からあるらしい」
「0……?」
「XSより小さいサイズだ。XXSって感じか」
ドアを開ける。チリン、とベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
店員は女性だった。30代くらい。黒い服を着ている。シンプルで、でもどこかおしゃれ。
——また説明しなきゃいけないのか。
また「女性の方ですか」って聞かれるのか。
「シャツを探してる。白くて、シンプルなやつ。サイズは0か1で」
鷹宮さんが、先に言ってくれた。
店員が、ボクをちらりと見た。
——来る。また来る。「彼女さんに?」って——
「かしこまりました。サイズ0と1でしたら、こちらにございます」
——え?
何も聞かれなかった。
店員が、棚から数枚のシャツを取り出した。
「バンドカラーと、レギュラーカラー、どちらがお好みですか?」
「……バンドカラー、って何ですか?」
「襟がないタイプです。こちらですね。すっきりした印象になります」
「……それで」
「かしこまりました。試着されますか?」
「……はい」
-----
試着室のカーテンを閉める。
白いシャツを手に取る。バンドカラー。生地は柔らかいけど、しっかりしている。
袖を通す。ボタンを留める。
鏡を見る。
——あれ。
肩幅が合っている。袖の長さもちょうどいい。着丈も、パンツにインすれば問題ない。
シンプル。清潔感がある。しかも——女子っぽくない。
「どうですか?」
カーテンの外から、店員の声。
「……いいかも、しれません」
「よろしければ、お出しください」
カーテンを開ける。
鷹宮さんが、腕を組んで見ている。数秒、無言。
店員も、静かに見ている。
「……いいな」
鷹宮さんが言った。
「本当ですか?」
「ああ。サイズ合ってる。シルエットも綺麗だ」
店員が、頷いた。
「とてもお似合いです。パンツもご覧になりますか? 黒のスラックスでしたら、同じサイズ感のものがございます」
「見ます!」
結局、シャツとスラックスと、細いベルトを買った。
店員が、丁寧に包んでくれる。紙袋に入れて、リボンはつけずに、シンプルに。
「ありがとうございました」
「……ありがとうございます」
店を出た。
紙袋を両手で抱える。軽い。でも、ずっしりと重い気もする。
「よかったな、見つかって」
「はい……鷹宮さんのおかげです」
「俺は店を探しただけだ。選んだのはお前だろ」
「……」
選んだ。自分で選んだ。
——そうか。ボクが選んだんだ。
時計を見ると、もう17時を過ぎている。三時間も経っていた。
「腹減らないか?」
「……言われてみれば」
「どっかで飯食ってくか。お前、何が好きだ?」
「……なんでも」
「なんでもは困るな。じゃあ、軽くカフェでいいか」
「はい」
-----
駅近くのカフェに入った。
窓際の席。西日が差し込んでいる。オレンジ色の光が、テーブルの上に模様を作っている。
コーヒーの香りが漂っている。BGMは小さなジャズ。音量は控えめで、会話の邪魔にならない程度。
鷹宮さんがブレンドコーヒーを頼んで、ボクはカフェオレを頼んだ。
「にしても、最初の店はひどかったな」
「……はい」
「『彼氏にプレゼント?』とか言われてたな」
「……聞こえてたんですか」
「聞こえてた」
鷹宮さんが、コーヒーを一口飲んだ。
「まあ、しょうがないっちゃしょうがないけどな。俺とお前が並んでたら、そう見えるのは——」
「——おかしいですよ」
思わず言い返していた。
「男同士ですよ」
「わかってる。でも、店員からしたら——」
「ボクは男なのに」
声が震えた。
「何回説明しても、信じてもらえない。見た目だけで判断される」
「……」
「鷹宮さんは、ボクを男として扱ってくれてます。でも、店員はボクを見た目で女って思った。だ、だから『彼氏に?』って聞いたんですよね」
カフェオレが運ばれてきた。白いカップ。ミルクの泡が椰子の木みたいな模様で浮いている。
「……すみません。愚痴、言っちゃいました」
「いや」
鷹宮さんが、首を振った。
「愚痴くらい言え。溜め込んでたら身体に悪い」
「……」
「俺はお前を男だと思ってるぞ。それは本当だ」
「……はい」
「男として接してるし、『くん』付けで呼んでる。それは変わらない」
「それに……俺はお前の、そういうギャップも、結構好だしな」
鷹宮さんが、カップを置いた。
「でも、正直に言うと——」
「……?」
「お前といると、脳がバグる」
「……脳が、バグる?」
「お前が男なのは知ってる。わかってる。でも、こうして向かい合って座ってると——なんか、違う回路が動く感じがする」
「……」
「悪い意味じゃないぞ。ただ、なんていうか——お前は、俺の知ってる『男』のカテゴリに収まらないんだよな」
——収まらない。
それは——どういう意味だろう。
「鷹宮さん」
「ん?」
「ボクは——鷹宮さんに憧れてるんです」
「……そうか」
「男として。声優として。ボクがなりたかったもの、全部持ってる人だから」
「買いかぶりすぎだ」
「本当です」
言葉を選ぶ。
「だから——ボ、ボクも鷹宮さんのこと、好きですよ——」
——もちろん、人ととして。
鷹宮さんの動きが止まった。
コーヒーカップを持ったまま、固まっている。
「……お前の顔と声でそう言われると、なんか変な気持ちになるんだが」
顔が赤い。
鷹宮さんの顔が、赤くなっている。
「い、いや! そういう意味じゃなくて! え?」
——いや、意味は合ってるんだよな。
ボクは何を焦ってるんだ?
「……わかってる。わかってるんだけどな」
鷹宮さんが、わざとらしく咳払いをした。
そして自分の口元を手で隠すような仕草をしたまま、少し顔を赤らめる。
「だからさ、お前といると……脳がバグるんだわ」
「ボクのせいですか……」
「お前のせいだろ」
理不尽だ。ボクは正しいことしか言ってない。
でも——なんか、こういうやり取りは嫌いじゃなかった。
「可愛い」じゃなく、「脳がバグる」。
それは——なんか、対等な感じがして。
-----
カフェを出た。
夕暮れの新宿。オレンジ色の光が、ビルの窓に反射している。人の流れは、まだ途切れない。
「今日は助かりました」
「おう」
「この服……一人じゃ絶対見つけられませんでした」
「お前が自分で選んだんだ。俺はただ付き添っただけだ」
鷹宮さんが、ボクの肩をポンと叩いた。
大きな手。温かい感触。
「オーディション、頑張れよ」
「……はい」
「深山監督は、お前の『声』が気になってる。見た目じゃなく、声をな」
「……」
「それだけは、忘れるな」
「……はい」
「じゃ、またな」
鷹宮さんが、手を振って歩いていった。
人混みの中に、その背中が消えていく。180センチの長身。すぐに見えなくなった。
紙袋を両手で抱え直す。
白いシャツ。黒いスラックス。
——男の服。
似合うかどうかは、まだわからない。
でも、自分で選んだ。
それが——少しだけ、嬉しかった。
-----
帰りの電車。
窓の外を流れる景色を眺めながら、今日のことを思い返していた。
鷹宮さんの言葉が、頭の中で反響している。
「お前といると、脳がバグる」
「お前を男として見てるのに、なんか別の感情も混ざる」
——別の感情。
それが何なのか、鷹宮さん自身もわかっていないみたいだった。
ボクにも、わからない。
でも——鷹宮さんの顔が赤くなったとき、ボクの心臓が跳ねた。それも、事実だ。
——なんなんだろう、この気持ち。
わからない。
わからないけど——嫌な気持ちじゃなかった。
スマホが震えた。
タカシからのDMだ。
『@takashi_cv:今日何してた?』
少し考えてから、返信を打つ。
『@iorin_kage:買い物です。服を買いました』
『@takashi_cv:お、どんな服?』
『@iorin_kage:白いシャツと、黒いパンツですね』
『@takashi_cv:シンプルだな。就活?』
『@iorin_kage:ちょっと、大事な用事があって』
『@takashi_cv:そっか。頑張れよ、なんだかわかんないけど』
——なんだかわかんないけど、頑張れ。
その言葉が、じんわりと温かかった。
『@iorin_kage:ありがとう』
スマホを閉じた。
電車が揺れる。ガタン、ゴトン、という規則的な音。
紙袋を膝の上に乗せて、窓の外を見る。
夕焼けが、夜に変わりつつある。オレンジから、紫、そして紺色へ。
——明後日、オーディション。
深山監督に、会える。
エリカの声を、聴いてもらえる。
冷静に考えると——怖い。
でも、逃げない。
ここ新しい、メンズ服を着て、行く。
自分で選んだ服と、声で、勝負しに行く。
電車が駅に着いた。
ドアが開く。プシュー、という空気の音。
紙袋を抱えて、ホームに降りた。
夜風が、頬に当たる。少し冷たい。でも、気持ちいい。
——飛んでみよう。
また、エリカの言葉が頭に浮かんだ。
空を見上げる少女。
彼女の声を、ボクが創る。
——もう少しだ。
(つづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます