第3話「寛容」


「よく女の子に、間違えられますか?」


 司会者がイオリに質問する。


「……はい。今日も、楽屋の案内で……」


 会場が笑いに包まれた。


「女性楽屋に案内されちゃった!」「エピソードまで可愛い!」


 最前列のユキは、笑いながらも考えていた。


(男……男かあ……)


 でも、不思議と嫌じゃなかった。


 だって——


「でも可愛いから許す!」


 気づいたら叫んでいた。


 周りからも同じ声が上がる。


「可愛いは正義!」「性別とか関係ない!」「いおりんはいおりん!」


 会場の空気が、一瞬で切り替わった。


「男だった」というショックから、「でも可愛いからOK」という受容へ。


 驚くほど早い適応だった。


 マホがユキに囁く。


「ねえ、なんかむしろアリじゃない?」


「わかる。可愛い男子って新ジャンル」


「いおりんの性別は『いおりん』ってことで」


 二人は頷き合った。


 舞台上のいおりんは、相変わらずキョドキョドしている。


 目が泳いでいる。声が小さい。時々声が裏返る。


 ——でも、それが全部「可愛い」に見える。


 男だと知っても、その印象は変わらなかった。


 むしろ——


(男であれだけ可愛いって、逆にすごくない?)


 ユキは本気でそう思った。


 -----


 質問コーナーが続く。


「好きな食べ物は?」


「……プリン、です」


「可愛いーーー!」


「休日の過ごし方は?」


「家で、アニメを……」


「インドア派!」「いおりんっぽい!」


 何を言っても「可愛い」に変換される。


 後方席のタカシは、その光景を複雑な気持ちで見ていた。


(見た目ばっかりだな)


 声優のイベントなのに、演技の話がほとんど出ない。「可愛い」「天然」「尊い」——そんな言葉ばかりが飛び交っている。


(まあ、新人だし、仕方ないか)


 でも少しだけ、もったいないと思った。


 あのハルキの声は、本当に良かったのだ。新人とは思えない——いや、新人だからこその、まっすぐな熱量があった。


 それを、ちゃんと評価してやりたい。


 -----


「ハルキを演じる上で意識していることは?」


 その質問で、空気が変わった。


 舞台上のいおりんが、少し黙った。


 会場が静まる。


「……ハルキは、ボクがなりたかったもの、なので」


 ——お。


 タカシは身を乗り出した。


「ボクには絶対なれない。でも、声だけなら、なれるから」


 声が、いつもより低かった。


 震えてはいるけど、さっきまでとは違う。覚悟のある震え方だ。


「だから、せめて声だけでも——ハルキでいたいな、って」


 沈黙。


 会場全体が、息を呑んでいた。


 最前列のユキは、気づいたら目が潤んでいた。


(なにそれ……)


「可愛い」じゃなかった。


 今の言葉は、「可愛い」なんかで処理できるものじゃなかった。


 役者だ。


 目の前にいるのは、キョドキョドした美少女——じゃなくて、役者だった。


 ハルキを演じることに、本気で向き合っている人間だった。


 拍手が起きた。


 パチパチパチ。最初は小さく、やがて大きくなっていく。


「感動した……」


 マホが呟く。


「うん……」


 ユキも頷く。


 会場中から声が上がる。


「いおりん最高!」「プロだ!」「声優の鑑!」


 でも次の瞬間——


「いおりん泣かないでー!」「表情も可愛いー!」


 ——また「可愛い」に戻った。


 後方席のタカシは、小さくため息をついた。


(結局そうなるのか)


 せっかくいい話だったのに。「可愛い」が全部を塗りつぶしていく。


 でも——仕方ないのかもしれない。


 あの見た目で、あの仕草で、「可愛い」と言うなという方が無理だ。


(でも俺は覚えておこう。さっきの言葉を)


「声だけなら、なれる」。


 あれは本物の言葉だった。


 -----


 アフレコ再現コーナー。


「それでは、名シーンを生アフレコで再現していただきます!」


 会場が沸く。


 これだ。タカシが待っていたのはこれだった。


 舞台上のいおりんが、マイクの前に立つ。


 さっきまでのキョドキョドが、嘘のように消えた。


 背筋が伸びる。目つきが変わる。


「——みんな、待たせたな!」


 声が、響いた。


「太陽王子・春野ハルキ、ただいま参上!」


 ——鳥肌が立った。


 タカシだけじゃない。会場中が息を呑んでいた。


「ハルキだ……」


 誰かが呟いた。


「本物だ……」


 さっきまでキョドキョドしていた美少女が——消えた。


 そこにいるのは、春野ハルキだった。


 明るくて、真っ直ぐで、太陽みたいなヒーロー。


 声だけで、それが伝わってくる。


 最前列のユキは、涙が止まらなかった。


「すごい……」


 アニメで聴いていた声。画面越しに聴いていた声。


 それが今、目の前で鳴っている。


 生きている。


 あの小さな体から、あの声が出ている。


「……ハルキだ」


 マホも泣いていた。


 会場中から、すすり泣きの音が聞こえる。


 アフレコが終わる。


 そして——マイクから離れた瞬間。


「あ、えっと、次は……」


 声が萎んだ。目が泳ぎ始めた。さっきまでのハルキが、嘘みたいに消えた。


「……ギャップやばい」


 ユキが呟く。


「ほんとにやばい」


 マホも呟く。


 会場中から声が上がる。


「ギャップ萌え!」「二重人格!?」「マイクの前だけ覚醒する!」


 後方席のタカシは、静かに拍手を送っていた。


(これだ。これが声優だ)


 見た目じゃない。トークでもない。


「声」だ。


 あの声だけは、本物だった。


 -----


 エンディング。


「最後に一言ずつお願いします!」


 鷹宮が喋る。流暢だ。水瀬が喋る。柔らかい。


 そして——


「では、イオリさん!」


 会場が静まる。


 舞台上のいおりんが、マイクを握る。手が震えている。


「えっと……」


 声が震える。


「今日、すごく、緊張しました」


 会場から「わかるー!」の声が上がる。


「ボクは……ハルキみたいに明るくないし、喋るの得意じゃないし、見ての通り……こんな、感じで……」


 言葉が詰まる。


 でも、止まらない。


「でも……皆さんが、ハルキを好きでいてくれるのが、嬉しくて……」


 会場が静まり返る。千人近い人間が、一人の声に耳を傾けている。


「ボクは、ハルキになれないけど……ハルキの声を、これからも大事にしたいです」


 沈黙。


 一秒。二秒。


 後方席のタカシは、立ち上がっていた。


「いおりんの声が好きだ——!」


 叫んでいた。


 自分でも驚いた。こんなことをするタイプじゃない。声優オタクは静かに応援するものだと思っていた。


 でも、叫ばずにいられなかった。


「可愛い」じゃなくて、「声」。


 それを、伝えたかった。


 -----


 タカシの声が引き金になったように、会場が爆発した。


「いおりーーーん!」


「最高!」「好きー!」「また会いたいー!」


 ペンライトが激しく揺れる。青い光の海が、舞台を包んでいる。


 最前列のユキは、泣きながらペンライトを振っていた。


「いおりん……」


 最初は「可愛い美少女」だと思った。


 男だと知って驚いた。でも「可愛いから許す」と思った。


 そして今——


(可愛いだけじゃない)


 あの声は、本物だった。


「可愛い」を超えた何かが、あの小さな体の中にある。


 隣のマホが叫ぶ。


「いおりん最高ーーー!」


 ユキも叫ぶ。


「またイベント来てねーーー!」


 舞台上のいおりんが、深くお辞儀をする。


 顔が見えなくなる。


 幕が下り始める。


 最後に見えたのは——少しだけ、笑っているような表情だった。


 -----


 終演後。


 会場を出たユキとマホは、興奮冷めやらぬ様子で歩いていた。


「やばかった……」


「やばかったね……」


「いおりん男だったのまだ信じられない」


「でも可愛かったよね」


「可愛かった。めっちゃ可愛かった」


 二人は立ち止まって、顔を見合わせた。


「でもさ」


 マホが言う。


「可愛いだけじゃなかったよね」


「……うん」


 ユキは頷く。


「声、すごかった」


「ハルキだった」


「本物だった」


 二人は同時にスマホを取り出した。


 SNSを開く。


 ユキは打ち込む。


『いおりんイベント行ってきた! 可愛かった! あと男だった(衝撃) でも声がマジでハルキだった。生アフレコで泣いた。声優さんってすごい。いおりんの声が好き』


 投稿。


 マホも打ち込む。


『いおりん天然可愛すぎて死んだ 男とか関係なく可愛いものは可愛い でも一番やばかったのは生アフレコ マイクの前だけ別人になるの鳥肌立った いおりんの性別はいおりん 次のイベントも絶対行く』


 投稿。


 タイムラインが、「いおりん」の話題で埋まっていく。


『いおりん可愛い』『いおりん男だった』『でも可愛い』『声すごい』『ギャップやばい』『天然尊い』『また会いたい』


 -----


 後方席から出てきたタカシは、一人で歩いていた。


 スマホを見る。


 自分が叫んだ「いおりんの声が好きだ」という声が、誰かに拾われて拡散されていた。


『後ろの方で「声が好き」って叫んだ人いたけど、わかる』


『声オタの鑑』


『いおりんに届いてるといいな』


 タカシは、少しだけ笑った。


(届いてるかな)


 あの小さな声優に。


「可愛い」の洪水の中で、「声が好き」って、どうしても伝えたかった。



(つづく)

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