第2話「素顔」


 開演十分前——

 

 会場はすでに熱気に包まれていた。


「さて、主役の”イオリユウ”はどんな声優かな」


 作品として『ソラノオト』に惚れ込んでいるタカシは、イベントの中央付近で、客層を眺めていた。


「ねえ、いおりんどんな子だろうね」


「絶対可愛いよ。声聴けばわかるじゃん」


 最前列に陣取った二人組の女性ファン——ユキとマホは、青いペンライトを握りしめていた。二人とも二十代前半。『ソラノオト』の放送開始からハルキを、そして「いおりん」を追いかけてきた。


「ボクっ子だよ? 絶対ボーイッシュ系の美少女」


「わかる。ショートカットで、猫みたいな目してそう」


 二人の妄想は止まらない。


 後方の席では、三十代の男性——タカシが静かにパンフレットを読んでいた。彼は声優オタクだ。見た目より声を重視するタイプ。


(イオリユウ、新人か。ハルキの声、良かったからな)


 プロフィール欄に「男性」と書いてあるのは知っている。でも周りのファンは気づいていないようだ。あるいは気づいていても信じていないのか。


(まあ、声が良ければどっちでもいいけど)


 開演五分前。


 会場のざわめきが大きくなる。


「いおりんコール、する?」


「する!」


 誰かが始めた。


「いおりん! いおりん!」


 コールが波のように広がっていく。千人近い観客が、まだ見ぬ「いおりん」の名前を叫んでいる。


 -----


 暗転。


 スピーカーからジングルが流れる。


『本日はお集まりいただきありがとうございます! ソラノオト・スペシャルイベント、いよいよ開演です!』


 歓声が爆発した。


 舞台に照明が灯る。


 司会者が現れ、キャストを一人ずつ呼び込んでいく。


「氷室レイ役、鷹宮翔さん!」


 長身の男性が現れる。イケメン。歓声。

 プロフィールのまんまの大人の男性。知ってた。


「音無ソラ役、水瀬あおいさん!」


 ふわふわした雰囲気の女性。可愛い。

 見た目も素敵な人気女性声優。知ってました。


 そして——


「それではいよいよ……主人公・春野ハルキ役、イオリユウさんです!」


 舞台袖から、小さな影が現れた。


 最前列のユキは息を呑んだ。


「——わぁ」


 隣のマホも固まっている。


「……やばい」


 その言葉が、会場中で同時に漏れた。


 小柄。おそらく155センチくらい。華奢な体。白いブラウスにベージュのワイドパンツ。

 透き通るような白い肌。優しい二重の丸い目、小さな鼻、薄い唇。

 ナチュラルで中性的なヘアスタイルに、サラサラで細い髪。


 ——どこからどう見ても、可憐な美少女だった。


「可愛いーーー!」


 ユキが叫んだ。


「天使!」


 マホも叫んだ。


 会場中から黄色い悲鳴が上がる。


「いおりん!」「いおりん可愛い!」「美少女!」


 ペンライトが激しく揺れる。青い光の海が、舞台上の小さな存在を照らしている。


 -----


 後方席のタカシは、少し違う視点で舞台を見ていた。


(……あれが、男性?)


 プロフィールには確かにそう書いてあった。でも目の前の存在は、どう見ても——


(いや、見た目で判断するのはやめよう)


 タカシはいわゆる『アニメオタク』だ。

 だからこその、作品重視。

 声優に関しても、見た目より声。中身より技術。


 それがポリシーだった。


 舞台上の「いおりん」ことイオリユウは、明らかに緊張している。


 目が泳いでいる。肩が強張っている。手を振る動きがぎこちない。ロボットみたいだ。


(やっぱまだ新人だな。初イベントか。緊張するよな)


 タカシにはわかる。あれは演技じゃない。本当に緊張している。


 でも会場の反応は——


「緊張してるのも可愛い!」


「守ってあげたい!」


「キョドキョドしてるの尊い!」


 ——全部「可愛い」に変換されていた。



 -----



 司会者がマイクを向ける。


「イオリさん、緊張されてますか?」


「あ……は、はい……」


 声が裏返った。


 最前列のユキとマホは顔を見合わせた。


「可愛い……」


「声まで可愛い……」


 二人とも、もう語彙力を失っていた。


「初めてのイベント、いかがですか?」


「えっと……その……」


 沈黙が落ちる。


 一秒。二秒。


 会場が固唾を呑んで見守っている。


「緊張で頭が真っ白です……」


 その正直すぎる回答に、会場がどっと沸いた。


「正直!」「天然!」「いおりん天然可愛い!」


 マホがユキの腕を掴む。


「ねえ、これ素でしょ?まじ天使にみえる」


「素だね。絶対素。演技じゃないもんあれ」


 二人は確信していた。


 あの小さな美少女は、天然キャラだ。緊張してキョドキョドしている姿が、計算じゃなくて本当なのだ。


 ——それが、たまらなく「尊い」。





 質問コーナーが始まる。



「最初の質問は、イオリさんへ!」


 会場が静まる。


「『普段はどんな性格ですか? ハルキくんみたいに明るいですか?』」


 舞台上のいおりんが、マイクを持つ手を震わせている。


 後方のタカシは、その震えを見ていた。


(本当に緊張してるんだな)


 新人声優にとって、初のファンイベントは試練だ。演技力だけじゃなく、トーク力も求められる。アフレコブースとは違う種類のプレッシャー。


(頑張れ)


 心の中で応援する。


「見ての通り、です……」


 その回答に、会場が笑いに包まれた。


「正直!」「いおりんらしい!」「ギャップ萌え!」


 最前列のユキは、ペンライトを振りながら思った。


(ハルキと正反対じゃん。ハルキはあんなに明るいのに、中の人はこんなにシャイなんだ)


 そのギャップが、たまらない。


 元気な少年を演じる、控えめな美少女。



「いおりん可愛い!」「完璧美少女」「いおりーん!手を振って!」



 美形の声優のイベントで、よくある構図だった。



 そして、それは唐突に来た。


「あの」


 いおりんが、自分から声を発した。


 珍しい。さっきまで聞かれたことに答えるだけだったのに。


「ボク、男なんですけど……」


 会場が——凍った。


 ユキは、マホは、そして千人近い観客全員が、一瞬、思考を停止した。


 シーン、という音が聞こえるくらいの静寂。


 それから——


「ええええええ!?」


 爆発だった。


「男!?」「嘘でしょ!?」「え、女の子じゃないの!?」


 会場がざわめきに包まれる。


 最前列のユキは、隣のマホと目を合わせた。


「……男?」


「……男……?」


 二人とも、処理が追いついていない。


 だって、目の前にいるのは——どう見ても美少女だ。


 あの顔、あの体型、あの仕草。女の子以外の何に見えるというのか。


 司会者が慌ててフォローに入る。


「本当にイオリさんは男性なんです! プロフィールにも書いてあるんですが……」


「プロフィールを細かく見てなかった……」


 マホが呟く。


「私も……」


 ユキも呟く。


 会場のあちこちから同じような声が聞こえる。


「知らなかった」「マジで?」「ていうか声変わりは?」


 後方席のタカシは、少しだけ優越感を覚えた。


(だから言ったじゃないか。プロフィールに書いてあるって)


 誰にも言ってないけど。


 でも、タカシ自身も驚いていた。


 知識としては知っていた。でも実物を見ると——やっぱり、女の子にしか見えない。



 ——でもそれって重要か?


 タカシはこのイベントを、いろんな意味で興味深く見守ることにした。



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