第6話「飛翔」
翌日。
また、スタジオに向かう電車の中。
窓の外を流れる景色をぼんやり眺めながら、考えていた。
——まだ、決められない。
怖さは消えない。不安も消えない。
でも、逃げたくないという気持ちも、消えない。
スマホを開く。
タカシに、DMを送ろうとして——やめた。
聞きたいことがある。でも、今はまだ聞けない。
聞いたら、きっと何かが変わってしまう気がして。
電車が駅に着く。
今日は『ソラノオト』の収録じゃない。別の仕事。ラジオの収録だ。
——ラジオか。
顔が見えない。声だけの仕事。
ボクには、そっちの方が向いてるのかもしれない。
でも、今の声優には顔を出す仕事もある。イベントにも出る。SNSで発信もする。
避けられない。声以外にもやることが多い。
——声だけで勝負したいのに、声だけじゃ済まない業界だ。
矛盾だ。
エリカみたいに、矛盾を抱えて生きている。
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ラジオの収録が終わった。
一人でブースから出て、廊下を歩く。
足音が響く。ペタ、ペタ、ペタ。自分の足音だけが聞こえる。
「イオリくん」
声をかけられて、振り向いた。
——鷹宮さんだった。
「た、鷹宮さん? な、なんでここに……」
「別の仕事があってな。終わったところ」
偶然か。それとも、マネージャーが何か言ったのか。
「ちょっと時間あるか?」
「……はい」
鷹宮さんの後について、近くの喫茶店に入った。
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窓際の席。
コーヒーの匂いが漂っている。BGMはジャズ。音量は小さく、会話の邪魔にならない程度。
鷹宮さんが、コーヒーを一口飲んでから言った。
「深山監督のオファー、聞いたぞ」
「……はい」
やっぱり、知っていたのか。
「迷ってるんだろ」
「……はい」
隠しても仕方ない。
「女役、なんです」
「ああ、聞いた」
鷹宮さんは、少し考えてから言った。
「女で男役をやる声優は、山ほどいる」
「少年の主役を張ってる大半は、女性声優だ。お前だって知ってるだろ」
「……はい」
知ってる。野沢雅子さん、田中真弓さん、高山みなみさん、朴路美さん。少年役で、しかも主役を張ってるのは、ほとんどが女性だ。
「じゃあ逆に——男で少女ヒロインの主役を張ってる声優は?」
「……」
考える。
思いつかない。
ネタとして女装キャラをやる声優はいる。大人の女性役なら蒼井翔太さんとか有名……でも、主役の少女ヒロインを男がやった例は——
「……分からないないです」
「だろ」
鷹宮さんが、ボクの目を見た。
まっすぐな視線。逸らせない。
「男性の名優が女性役をやってた例はある。だが、主役の少女ヒロインとなると……聞いたとないだろ」
——たしかに。聞いたことがない。
「それが出来れば、唯一無二だと思わんか?」
その言葉が、頭の中で反響した。
「女に見られるのが嫌なんだろ」
「……はい」
「『可愛い』で片付けられるのが嫌なんだろ」
「……はい」
「でも、それは——事実だ」
「……」
「お前の見た目は女に見える。声も高い。それは変えられない」
わかってる。
二十三年間、わかってる。
「でも、それを武器にする方法はある」
「……武器」
「女に見える男が、女を演じる。しかも主役。それは『女のふり』じゃない」
鷹宮さんが、コーヒーカップを置いた。
「『男が、声で、女を創る』。役者として——それは、新しい地平だ」
——新しい地平。
考えたことがなかった。
ボクはずっと、「女に見られたくない」と思っていた。
でも鷹宮さんは、「女を演じること」と「女に見られること」を、分けて考えている。
「俺は男で男役しかやれない。この声だから当たり前だ。でもお前は違う」
「……」
「お前には、俺にはできないことができるかもしれない」
——俺にはできないこと。
鷹宮さんが、そう言っている。
あの、THE・男性声優の鷹宮さんが。ボクがなりたかったものを全部持っている人が。
「でもまあ、お前が女役をやれば、『女の子』だとか『男の娘』とかって言うやつはいるだろうな』
「……はい」
「でも、『男なのにすげえ』って言うやつも、いる」
「……」
「どっちの声を聴くかは、お前が決めろ」
鷹宮さんが立ち上がった。
「俺は、お前の声が好きだ。ハルキの声も好きだし、エリカの声も——きっと好きになる」
「……鷹宮さん」
「深山監督は、見る目がある。お前の声を選んだ理由は、ちゃんとあるはずだ」
そう言って、鷹宮さんは伝票を持って行ってしまった。
ボクは一人、窓際の席に残された。
外は夕暮れ。オレンジ色の光が、窓ガラスに反射している。
——唯一無二。
——新しい地平。
——男が、声で、女を創る。
頭の中で、言葉がぐるぐると回っている。
怖さは、まだある。
でも——
「逃げたら何も変わらない」という言葉が、胸の奥で響いている。
エリカの言葉も。
「見ることをやめたら、夢も終わっちゃう」
——夢。
ボクの夢は、なんだっけ。
「男らしくなりたい」?
違う。
本当の夢は——
「声で、誰かの心を動かしたい」
そうだ。
ボクが声優になった理由。ハルキを演じている理由。
見た目じゃなく、声で勝負したかった。
——だったら。
エリカを演じることは、その夢に反しているか?
反して——ない。
むしろ、夢に近づくかもしれない。
「男が少女を、しかも主役を演じる」
異端かもしれない。
でも——それは、「声で勝負する」ことの、究極の形かもしれない。
見た目は女。でも男。
そのギャップを、武器にする。
「可愛い」で消費されるんじゃなく、「声」で評価される。
——そうなれるかもしれない。
まだ、答えは出ない。
でも——「断る」という選択肢は、消えつつあった。
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家に帰った。
台本を、もう一度開く。
『ヒロイン:蒼穹のエリカ』
エリカの台詞を、声に出して読んでみる。
「私も、飛べるかな」
「それでも、私は空を見る」
「見ることをやめたら、夢も終わっちゃうから」
——ボクの声で、エリカが喋っている。
悪くない。いける、と思う。
スマホが震えた。
タカシからのDMだ。
『@takashi_cv:お、生きてた? 今日何してた?』
『@iorin_kage:ちょっと、考え事を』
『@takashi_cv:珍しいな。何かあった?』
——言えない。
言えないけど、聞きたいことがある。
ずっと、聞きたかったこと。
『@iorin_kage:……もし、いおりんが女役をやったら、どう思いますか?』
送信してから、後悔した。
変な質問だ。なんでそんなこと聞くんだ、って思われる。
でも——返事が来た。
『@takashi_cv:ん? 別にいいんじゃね?』
『@iorin_kage:……そうですか?』
『@takashi_cv:声優は役者だろ。役者だから色んな役や、色んな人格がやれるんだろ』
——役者だから、やれる。
そうか。ボクは役者なんだ。
『@takashi_cv:てかむしろ、いおりんの声の幅、見てみたいけどな。少年役うまいのはわかったから、他の引き出しも気になる』
『@iorin_kage:……それが、可愛い女の子の……少女役とかでも?』
聞いてしまった。
核心を。
『@takashi_cv:女の子役?いおりんが?』
『@takashi_cv:……それ面白いだろむしろ』
『@iorin_kage:……面白い?』
『@takashi_cv:新しいじゃん。いおりんの声なら、たぶんできると思うし』
『@takashi_cv:てか、できたらめちゃくちゃかっこいいと思う。前例ないことやるの、ロックだわ』
——ロック。
かっこいい。
「可愛い」じゃなく、「ロック(かっこいい)」と言ってくれた。
『@takashi_cv:なんで急にそんなこと聞くん? 何か噂でもあった?』
『@iorin_kage:いえ、ただの妄想です。すみません』
『@takashi_cv:いいよ別に。でもマジで、いおりんには期待してる。何やっても応援するわ』
——何やっても。
その言葉が、胸に染みた。
『@iorin_kage:ありがとうございます。……ちょっと、勇気もらいました』
『@takashi_cv:? よくわかんねーけど、どういたしまして?』
スマホを閉じた。
——答えは、出た気がする。
まだ怖い。不安もある。
でも——逃げたくない。
『蒼穹のエリカ』
——この子の声を、ボクが創る。
男のボクが、女の子を創る。
前例がない。異端かもしれない。
でも——「声」で勝負できるなら。
それでいい。
翌朝。
マネージャーに電話をかける。
コール音が鳴る。一回。二回。三回。
繋がった。
『おはよう、イオリくん。どうした?』
「……オーディション」
声が震える。
でも、止まらない。
「受けます」
沈黙。
一秒。二秒。
『——そうか』
マネージャーの声が、少し笑っていた。
『決めたんだね』
「……はい」
『よし。じゃあ、連絡しとくね。深山監督に、イオリユウの声を聴かせてやろうよ』
「……はい」
通話が切れた。
スマホを握りしめたまま、窓の外を見る。
朝日が、街を照らしている。
——ボクの声で、エリカを創る。
怖いけど。
不安だけど。
——飛んでみよう。
エリカみたいに。空を見上げて、それでも飛ぼうとするあの子みたいに。
ボクも、飛んでみよう。
女の子に見える、男の声優として。
(つづく)
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