第13話 ざまぁはもう準備は整った

 留守電を転送して、スマホを伏せた。

 画面が暗くなっても、耳の奥ではまだあの声が響いている。


『うちの紗羅が泣いてるんだけど。どういうこと?』


 ……泣いてるのは、私だって泣きたかった。

 でも私はもう、"泣いて終わる側"には戻らない。


 風華のメッセージが、追い打ちみたいに私を現実へ戻す。


『出ないで。明後日の面談まで、個別の連絡は全部遮断。私が先生に共有する。あなたは今夜、休んで』


 私は深く息を吸って、ゆっくり吐いた。

 怖さは消えない。けれど、怖さの扱い方は分かってきた。


 ――反応しない。記録する。公式で潰す。


 枕元に置いた予備端末だけを手に取り、アラームをセットする。

 制服の袖を畳む。鞄のファイルを整える。明日のための作業を淡々とこなすほど、心が少しずつ落ち着いていく。


 そして、ようやく灯りを消した。


 ※ ※ ※


 翌朝。


 学校へ向かう道で、風華はいつも通りに歩いていた。

 背筋が伸びていて、表情は落ち着いている。私の隣に"揺れない人"がいるだけで、世界の見え方が変わる。


「眠れた?」


「……ちょっとだけ」


「十分。今日は"証言を固定する日"よ」


 風華の声は静かだった。

 でも、その静けさが私の背中を押す。


 校門をくぐる直前、浅葱から通知が来た。


『朝から匿名垢さらに増えた。内容は"柚葉は会長のコネで〜"系。でも逆に、拡散の癖が同じ。ログ取ってる。心配しないで』


 真白からも短い。


『本日昼休み、風紀室で美咲の正式聴取。柚葉は同席不要。生徒会室で待機してください』


 同席不要。

 その一言がありがたいのに、少しだけ悔しい。自分のことなのに、私はまだ"前に立つ"のが怖いんだ。


 風華が私の表情を見て、言った。


「悔しい?」


「……少し」


「それは強さよ。今は"守られて悔しい"でいい。その悔しさは、あなたが取り戻したい証拠だから」


 私は頷いた。

 取り戻したい。奪われたものを。私の評判を。私の尊厳を。私の人生を。


 ※ ※ ※


 昼休み。


 私は生徒会室で待機していた。

 机の上には、昨日の脅しメモの封筒の控えと、匿名DMのログ、そして留守電の記録。全部"積み上げ"だ。


 真白が資料を整理しながら言う。


「今日の美咲の聴取で決めたいのは二点。紗羅が『黙らせたい』と発言した事実。そして"手伝って"という指示があったかどうか」


 千景が腕章を直し、頷く。


「美咲が怖がって逃げても、証言の形だけは取ります。脅しメモが出た以上、こちらも甘くできない」


 浅葱が椅子をくるくる回しながら、軽い声で言った。


「美咲ちゃん、正直ビビってるよ。紗羅に逆らうの怖いって顔してた。でもさ、怖いってことは"何かされる"って知ってるってことでもある。そこを言葉にさせれば勝ち」


 私は指先を握りしめた。

 美咲の"怖さ"は、私の昨日までの怖さと似ている。

 だけど、似ているから許せるわけじゃない。


 風華が私の前に立ち、視線を合わせた。


「柚葉ちゃん。今日はあなたが直接戦う日じゃない。でも、あなたが折れない顔でここにいることが、もう"反撃"よ」


「……はい」


 返事をした瞬間、扉がノックされた。


「会長、風紀室で聴取始めます」


 風紀委員の一年生が呼びに来たらしい。

 千景が立ち上がる。


「行ってきます。柚葉さんはここで待ってて」


 真白も立つ。


「私も同行。記録係です」


 浅葱が片手を上げる。


「私も行く。空気の圧迫役」


「……圧迫役って何」


 思わず私が言うと、浅葱がにっと笑った。


「やさしく詰める役。会長は怖いからね」


「浅葱」


 風華の低い声に、浅葱は「ひぇ」とわざとらしく肩をすくめた。


 扉が閉まり、残された生徒会室が静かになる。

 静けさの中で、私の心臓だけがうるさい。


 ――美咲、ちゃんと話せ。

 ――紗羅のやり方を、ここで止めて。


 ※ ※ ※


 昼休みが終わる少し前。

 生徒会室の扉が開き、千景たちが戻ってきた。


 真白の表情は変わらない。

 でも、その目がいつもより鋭い。――"取れた"時の目。


「柚葉。結論から言うね」


 真白が、机の上に記録用紙を置いた。


「美咲は"紗羅が言った"と認めた。内容は二つ。

 一つ目、『柚葉を黙らせたい』。

 二つ目、『明日ちょっと手伝って』と指示された」


 胸がどくん、と跳ねた。

 私は言葉が出ない。


 浅葱が続ける。


「しかも美咲ちゃん、LINEのスクショも出した。『柚葉、調子乗ってる』って愚痴からの、『ちょっと手伝って』の流れ。完全に"流れが紗羅主導"」


 私は唇を噛んだ。

 怒りが込み上げるのに、同時に少しだけ冷静になる。


 ――やっぱり。

 紗羅は"事故"じゃなくて"作業"で私を壊していた。


 千景が淡々と告げる。


「風紀として、虚偽流布の出所が紗羅である可能性はさらに高まりました。顧問にも提出します。今日のうちに"再度の緊急指導"が入るはず」


 風華は私を見て、短く言った。


「これで、脅しメモが"単発のいたずら"ではなくなる。『黙らせたい』の直後に出た"困ること増やす"メモ。繋がる」


 私はようやく息を吐いた。


「……美咲、言えたんですね」


「言えた。泣いてたけどね」


 浅葱が言って、少しだけ真面目な顔になった。


「怖いって言ってた。紗羅に逆らうと、次は自分がやられるって。――それ、柚葉ちゃんがずっと受けてた圧だよ」


 胸の奥がきゅっとなる。

 美咲を許すつもりはない。けれど、紗羅の"支配"がどれだけ広がっていたかが、やっと輪郭を持った。


 真白が淡々と紙を重ねる。


「そしてもう一つ。美咲は"メモを書いたのを見た"とは言っていない。ここは弱点。だから、次の面談で紗羅が『メモは知らない』と逃げる余地は残る」


 風華が頷いた。


「逃げる余地は残っていていい。今日の目的は"紗羅の意図"を固定すること。意図が固定されれば、行為の評価は重くなる」


 私は小さく頷いた。

 "知らない"は言える。

 でも"黙らせたい"は言い逃れできない。


 そして、その瞬間――生徒会室の電話が鳴った。


 風華が受話器を取る。


「生徒会室です。春波です」


 一瞬、空気が張り詰める。

 風華の表情が変わらないまま、目だけが少し鋭くなった。


「……はい。……承知しました。顧問に繋ぎます。少々お待ちください」


 受話器を置いた風華が、私たちを見た。


「……紗羅の母親。学校に電話を入れてきた」


 心臓が跳ねた。

 留守電の声が蘇る。


「何て?」


 浅葱が聞くと、風華は淡々と言った。


「"うちの子が被害者なのに、学校は何をしてるのか" "面談を前倒ししろ"……そういう内容」


 真白が即座に結論を出す。


「好都合です。前倒しは"逃げ場をなくす"。学校側の準備が整っているなら、むしろ早い方がいい」


 千景が頷く。


「保護者が感情的になるほど、学校は"記録と規定"で返せます。こちらはもう、証言もログも揃っている」


 私の喉が乾いた。

 親が出てくると、世界が大きくなる。怖い。けれど――。


 風華が、私にだけ聞こえる声で言った。


「柚葉ちゃん。あなたは何も悪くない。親が怒鳴っても、あなたが背負う必要はない」


 その言葉が、背中に鎧を着せた。


 ※ ※ ※


 放課後。

 顧問室で、村瀬先生と風華、真白が短い打ち合わせをした。私は同席せず、廊下で待機した。

 同席したら、また"感情"が揺れる。今は、揺れない場所にいるのが正しい。


 十分ほどして、風華が出てくる。


「決まったわ。面談、前倒し」


 私の心臓が跳ねる。


「いつですか」


「明日。放課後。紗羅の母親が強く要求した。学校側も"脅しメモ"と"証言"が出た以上、早急に止血する必要がある」


 真白が淡々と付け足す。


「明日までに、提出資料を一式まとめます。留守電の記録も、"学校への直接連絡"として扱えます。紗羅側が感情で押してきても、こちらは手順で受け止めて返します」


 浅葱が口角を上げた。


「いやー、紗羅ママ自爆コース入ったね。前倒し要求って、逃げ場を自分で消してる」


 千景が低い声で言う。


「明日は"決着の回"になりますね」


 ――決着。

 その言葉が、怖いのに、少しだけ嬉しい。


 風華が私の右側に立ち、私の手を軽く握った。


「今日は帰ろう。明日に備えて、ちゃんと食べて、ちゃんと寝る。あなたが倒れたら、相手の勝ちになるから」


「……はい」


 握られた手が温かい。

 その温度が、私の中の震えを抑えてくれる。


 帰り道、夕焼けが校舎を赤く染めていた。

 昨日までなら、ただの景色だった。

 でも今日は違う。


 明日、紗羅は親の前で"現実"に引き戻される。

 謙也も、逃げられなくなる。

 そして、私の世界は――取り戻せる。


 私は前を向いた。


 ざまぁは、もう準備が整った。

 あとは、"公式の場"で落とすだけだ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 

あとがき


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