第12話 勝負-次のステージへ-

 生徒会室に戻る途中、廊下の空気がまた変わっているのが分かった。

 誰かがスマホを覗き込み、誰かが小声で「マジ?」と漏らす。視線が私に刺さる――刺さるのに、昨日までの"嘲り"と違う。


 噂は、形を変えて揺れている。

 揺れた瞬間が、回収のチャンスだ。


 風華は歩幅を落とさず、私の右側を固めたまま言う。


「ここからが勝負。相手は"空気を戻す"ために動く。だから今日中に、空気を固定する」


 真白が淡々と頷く。


「先生が"接触禁止"を再確認した時点で、紗羅側は校内での攻撃が難しくなります。だから次に来るのは、裏からの揺さぶり――DM、匿名、周辺人物、そして"評判"」


 浅葱がスマホを見せてくる。


「はい来た。匿名垢増殖。『柚葉、会長に取り入って調子乗ってる』って系。"正義の皮を被った嫉妬"ってやつね」


 千景が眉をひそめた。


「……最低」


「最低だけど、想定内」


 風華の声は落ち着いている。


「想定内なら潰せる。柚葉ちゃん、今日は"見ない"。SNSは封印。必要な連絡だけ予備端末で」


 私は頷いた。

 でも胸の奥では、言い返したい言葉が暴れている。

 ――取り入る? 調子乗る? ふざけるな。私がどれだけ痛かったか、お前ら知らないくせに。


 それを飲み込み、私は歩く。

 飲み込めている自分が、少しだけ誇らしい。


 生徒会室に入ると、真白がホワイトボードを出して、今日の"防波堤"を具体化し始めた。


【防波堤:今日やること】

① 席替え・動線変更(担任+風紀)

② 接触禁止の再周知(関係者)

③ メモの保全(証拠化完了)

④ SNS・匿名の揺さぶりは"ログ化"して無視

⑤ 夕方の再接触に備えて同行固定


 その文字を見た瞬間、私は現実に引き戻された。

 復讐じゃない。これは、取り戻す作業。

 作業だから、やることが明確だ。明確なら、踏み外さない。


 風華が私を見る。


「柚葉ちゃん、担任に伝える。席替え、休み時間の動線、保健室利用も含めて。あなたが安全に過ごせる導線にする」


「……そんなにしてもらっていいんですか」


「いいの。あなたの安全は"学校の責任"でもある。遠慮する必要はない」


 その断言に、胸がじんとする。

 私は今まで、遠慮して壊れてきた。

 遠慮しないでいい、と言われるだけで、息ができる。


 千景が腕章を整えた。


「担任への同席、私がします。風紀として提案します。"被害者を守る"は、風紀の仕事です」


 浅葱が軽く手を挙げる。


「じゃ私は空気側。匿名垢の動き、まとめてログにして先生に渡す。あと、紗羅の取り巻きが次に誰を使って揺さぶってくるか、予測する」


 真白が淡々と補足する。


「揺さぶりの対象は"あなたの周辺"。家族、友人、部活、先生。紗羅は"柚葉が孤立する状況"を作りたい。だから、孤立しない仕組みを先に作る」


 風華は短く言った。


「よし、動く」


 ※ ※ ※


 担任のいる職員室へ向かう廊下。

 風華、千景、そして私。三人で歩く。

 視線は刺さるが、刺さったまま通り過ぎる。


 担任の佐久間先生は、私たちの顔を見るなり察したように椅子から立った。


「新井。……大丈夫か」


 その一言に、喉が詰まりかけた。

 大丈夫じゃない。

 でも私は、倒れない。


「……はい。大丈夫、ではないです。でも、学校に相談できています」


 風華が補足する。


「先生。紗羅側の虚偽流布と、当事者への脅しが発生しました。顧問からも対応指示が出ています。クラス内の環境調整をお願いします」


 千景が風紀としての提案を出す。


「具体的には、席替え・当番の組み替え・休み時間の動線の調整です。当事者間の接触を物理的に避けたい」


 担任は深く頷いた。


「分かった。今日中にやる。新井、君は今後、休み時間は生徒会室に来てもいい。出席や課題は配慮する。それと……クラスには、"調査中"であることを私から伝える。憶測で話すな、と」


 先生の言葉は、私の足元を固める。

 "調査中"――それは盾だ。

 噂を言えば言うほど、言った側が危ない空気になる。


 私は頭を下げた。


「……ありがとうございます」


 担任は少し苦い顔をした。


「本当は、こんなことで君に頭を下げさせたくない。でも、君が動いてくれてよかった。動かなかったら、噂に潰されてた」


 私は頷く。

 動いたのは、私だけじゃない。

 風華たちが、私を引っ張り上げてくれた。


 ※ ※ ※


 席替えは、その日の午後に実施された。

 先生が言う。


「席替えをする。理由は説明しない。文句があるなら後で個別に来い。それと――今、誰かの噂で盛り上がってる奴は、次は自分が燃やされると思え。以上」


 教室が静まった。

 こういう時、教師の強さは絶対だ。


 私は窓側の前列へ移動した。

 紗羅の席は、後方へ離れる。

 距離ができるだけで、呼吸が楽になる。


 でも、完全に終わったわけじゃない。

 席を移っても、視線は残る。

 人は、"結論"より"刺激"を求める。


 ――だから相手は、刺激を作る。


 放課後。

 私は担任の許可で、生徒会室に避難するように移動した。

 その途中、階段の踊り場で、誰かが待っていた。


「柚葉」


 低く呼ばれ、私は足を止めた。

 振り向きたくない。でも、声の主は――。


 美咲だった。

 紗羅の取り巻き。さっきの聴取で泣きそうになっていた子。


「……何?」


 私は距離を取ったまま言う。

 風華が言っていた。"個別は罠"。

 でも今の美咲は、罠というより、逃げ道を探す顔だった。


「ごめん。……私、ほんとに見たわけじゃないのに、言っちゃった。紗羅が、『柚葉が私を脅してくる』って言ってて……信じた」


 私は唇を噛んだ。

 怒りが湧く。

 でも同時に、理解もする。

 紗羅は、そうやって周りを使う。


「……謝っても、終わらないよ」


 美咲は顔を歪めた。


「分かってる。だから……言う。今朝のメモ、紗羅が書いたと思う。見たわけじゃない。でも――」


「でも?」


「昨日の夜、LINEで『柚葉、黙らせたい』って……。私に『明日、ちょっと手伝って』って言ってきた。断ったら、急に機嫌悪くなった」


 心臓が、静かに速くなる。

 それは"証言"になるかもしれない。

 でも、ここで私が詰めたら、また土俵がズレる。


 私は短く言った。


「その話、風紀か先生に言って。私には言わないで」


 美咲が目を見開いた。


「え……?」


「私が聞いたって言われたら、また揉める。……あなたが本当に止めたいなら、公式に言って」


 美咲の目に涙が溜まる。


「……分かった。言う。私、怖かっただけ。紗羅に逆らったら、私もやられると思って……」


 私は少しだけ、息を吐いた。

 その怖さは、私も知っている。

 ただ、怖さで誰かを傷つけた責任は消えない。


「……じゃあ、ちゃんと止めて」


 美咲は何度も頷いて、その場から走り去った。


 私はその背中を見送らず、生徒会室へ向かった。

 今の会話は――大きい。

 紗羅の"指示"の匂いが、初めて形になった。


 ※ ※ ※


 生徒会室で、真白に状況を共有すると、真白の目が鋭くなる。


「"黙らせたい"。重要なキーワード。ただし、あなたが直接聞いた形は避けたい。美咲本人に、風紀と顧問の前で言わせる必要がある」


 千景が即答した。


「今から呼べます。風紀室で聴取します。記録も取ります」


 浅葱が笑う。


「いいねえ。取り巻きが寝返ると、一気に崩れる。紗羅、次は間違いなく焦る」


 風華は私の方へ向き直り、低い声で言った。


「柚葉ちゃん。今からが危ない。焦った相手は、"強い手"を打つ。だから、あなたは絶対に一人にならない。放課後は私と一緒に帰る」


 私は頷くしかなかった。


「……はい」


 ざまぁの歯車が噛み合ってきた。

 でも歯車が噛み合うほど、相手は抵抗する。


 その日の夜。

 スマホに、知らない番号から着信が入った。


 私は出ない。

 出ないまま、留守電の通知を見る。


 ――メッセージが一件。


 震える指で再生すると、女の声が入っていた。


『あなたが柚葉? うちの紗羅が泣いてるんだけど。どういうこと?』


 紗羅の母親。

 ついに、外の世界が入ってきた。


 私はスマホを握りしめた。

 怖い。

 でも、怖いからこそ――手順だ。


 私はすぐに、風華へ転送した。


『紗羅の母親っぽい留守電が来ました。どうしたらいいですか』


 既読はすぐについた。


『出ないで。明後日の面談まで、個別の連絡は全部遮断。私が先生に共有する。あなたは今夜、休んで』


 私は深呼吸して、スマホを伏せた。


 紗羅は、親を使った。

 なら、こちらも親と学校で返す。


 勝負は、次のステージへ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 

あとがき


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