第10話 脅しの責任を取らせる

風華に手を取られたまま、私は校門を抜けた。

 指先の温度が、やけに現実的で――それが逆に、さっきまでの小会議室の緊張を"終わったもの"にしてくれる。


 振り返らない。

 紗羅の視線が背中に刺さっているのは分かった。けれど、振り返った瞬間に相手の土俵へ乗る。


「……風華」


 私が小さく呼ぶと、風華は手を離さずに言った。


「なに?」


「私、いま……変です。怒ってるのに、ちょっと安心してて……」


 風華は歩幅を緩め、私の横顔を見た。


「変じゃない。正しい反応よ。あなたが今感じてる安心は、"守られてる"から。怒りは、"奪われた"から。どっちも本物」


 言葉が胸に落ちた。

 私は自分の感情がバラバラだと思っていたけど、整理すればちゃんと理由がある。


 浅葱が後ろから、あくび混じりに言う。


「まー、安心していいよ。今日の聴取、完全に勝ち。あとは反撃を"想定通り"に処理するだけ」


 真白は淡々と補足した。


「相手は次に、情緒か世論か、どちらかで揺さぶってきます。"謝罪"で油断を誘うか、"被害者"を演じて同情を取りに来るか。あるいは両方」


 千景が小さく頷く。


「取り巻きも、いま止まってるだけです。必ずまた動きます。噂の形を変えて」


 私は息を吐いた。

 もう、驚かない。驚かない――と言い聞かせる。


 ※ ※ ※


 帰り道の途中で、浅葱は「私は寄り道」と言って手を振った。

 "空気"の戦場に戻るんだろう。情報屋は情報屋で忙しい。


 千景も「風紀に報告」と言って別れ、真白は「資料を整理して顧問に提出」と言って生徒会へ戻った。


 最後に残ったのは、私と風華だけだった。


 駅前の人混み。

 帰宅する学生、部活帰りの集団、夕飯の買い物袋。

 いつもなら何でもない景色が、今日は"他人の平和"に見えて少し眩しい。


「……家まで送ろうか」


 風華が言った。


「大丈夫です、駅からは近いので」


「大丈夫、という言葉を信じたいけど――今日は信じない」


 さらりと言い切られて、私は少しだけ笑ってしまった。

 その笑いが出た自分に驚く。


「……じゃあ、お願いしてもいいですか」


「もちろん」


 風華は、当たり前のように頷いた。


 歩いていると、不意にスマホが震えた。

 私は反射的に身構えたが、真白からのメッセージだった。


『紗羅・謙也の保護者面談、日程仮押さえ。明後日放課後。それまでに追加の虚偽発言が出たら即共有してください』


 明後日。

 保護者。

 その単語に、今度は相手の顔が浮かぶ。紗羅も謙也も、あそこまで軽くやっていたのに、親が出てきた瞬間に"現実"になる。


 私が画面を見つめたまま止まると、風華が覗き込む。


「真白から?」


「……明後日、保護者面談だって」


 風華の目が一瞬鋭くなる。


「決めに行くわね。逃げ道を潰す面談」


 その言い方に、私は背中が少し震えた。

 怖い。でも、頼もしい。


 家の近くまで来た時――。


 後ろから、走ってくる足音がした。


「柚葉っ!」


 聞き覚えのある声。

 心臓が嫌な跳ね方をする。


 私は振り返らない。

 でも風華が、私を半歩後ろへ庇うように前に出た。


 謙也が、息を切らして立っていた。

 さっきの会議室の"焦った顔"のまま、取り繕う笑みを浮かべている。


「……話、あるんだけど」


 風華が低い声で言う。


「接触禁止が出たばかりよ。何をしに来たの?」


「いや、ちげーし。学校のやつ、ちょっと大げさで……。柚葉とちゃんと話せば、丸く収まるっていうか」

 

 丸く収まる。

 その言葉に、胃の底が冷えた。

 "丸く収める"ってつまり、私が黙って飲み込むってことだ。


 風華は微笑まない。


「丸く収めたいなら、手順に従いなさい。個別接触は禁止」


「だから、ちょっとだけ――」


 謙也が一歩近づこうとした瞬間、風華がスマホを取り出した。

 画面は既に録音画面。


「いまの発言、記録した。これ以上近づいたら、顧問と風紀に即連絡する」


 謙也の顔が引きつった。


「は? 録音とか、キモ……」


「"キモい"のは、同意なく送った動画の方よ」


 風華の声は静かなのに、切れ味が鋭い。

 謙也が言い返そうと口を開いたが、言葉にならなかった。


 その沈黙の隙に、私は一歩前に出た。

 風華の背中の陰からじゃなく、ちゃんと前へ。


「謙也」


 自分の声が思ったより落ち着いていて、私自身が驚いた。


「……今さら、丸く収めるとか言わないで。私、あなたと話すこと、もうないから」


「おい、柚葉――」


「今は"個別で話す場"じゃない。先生の前で話して」


 私は、事実だけを言った。

 言い返さない。怒鳴らない。泣かない。

 "主導権ムーブ"。


 謙也の目が泳ぐ。

 逃げ道を探す目だ。


「……だって、紗羅がさ、勝手に噂流して――」


 その瞬間、風華が一歩前へ。


「責任転嫁。あなたはあなたで、あなたの行為の責任がある。それを今ここで軽くしようとするなら、さらに不利になる」


 謙也は唇を噛み、苛立ちをごまかすように笑った。


「……分かったよ。もういい。でも柚葉、後悔すんなよ」


 捨て台詞。

 だけど、その声は震えていた。


 謙也が去っていく背中を、私は見送らなかった。

 見送ったら、何かが戻ってきそうだから。


 風華が録音を止め、私の方へ向き直った。


「よく言えた」


「……怖かったです」


「怖くていい。でも、あなたは引かなかった」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなる。


 ※ ※ ※


 夜。

 部屋に戻ってからも、謙也の"後悔すんなよ"が耳に残った。

 でも同時に、風華の「よく言えた」も残っている。


 スマホが震える。

 今度は知らないアカウントからのDM。


『柚葉、やりすぎじゃない?紗羅泣いてたよ?』


 ……来た。世論。

 同情で私を悪者にするやつ。


 私は深呼吸して、真白の指示を思い出す。

 反応しない。個別に戦わない。記録する。


 スクショを撮り、浅葱と真白に転送した。


 数分後、浅葱から返事。


『ナイス。こういうのが増えるほど、相手の組織的な動きが見える。明日、私が"空気"側から締める』


 真白からも短い返信。


『記録ありがとうございます。保護者面談前の揺さぶりです。無視で正解』


 私はスマホを伏せて、天井を見上げた。


 紗羅は、次に何をする?

 泣いて同情を集める?

 それとも、もっと汚い手?


 その答えはすぐに来た。


 翌朝、教室に入った瞬間。

 机の上に、折りたたまれた紙が置かれていた。


 震える指で開く。


『ねえ柚葉。これ以上やるなら、あなたが困ることを増やすよ』


 紙の端に、小さくハートが描いてあった。


 ――紗羅。


 私は紙を握り潰そうとしたが、寸前で止めた。

 怒りを、戦略に戻す。


 私は立ち上がり、鞄からファイルを取り出す。

 真白に渡すための"記録用ファイル"。


 そこにその紙を挟んだ。


 もう、感情で動かない。

 これは"脅し"だ。

 なら、公式で潰す。


 私はスマホを取り出し、風華へ短く送った。


『紗羅から脅しのメモ。保存しました。生徒会に行きます』


 既読はすぐについた。


『来て。絶対に一人で動かないで』


 その文を見て、私は小さく頷いた。


 ざまぁは、次の段階へ。

 今度は、"脅し"の責任を取らせる番だ。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 


あとがき


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