第9話 ざまぁはもう始まってる
校門の前で風華が言った。
「明日、あなたの世界を取り戻そう」
その一言が、胸の奥で火になる。
熱いのに、焦げ臭くない。怒りだけじゃなくて、意志の熱だった。
「……はい」
声は小さかった。けれど、逃げない返事だった。
浅葱が、私の肩をぽん、と軽く叩く。
「じゃ、明日は"公式"で勝おうね。柚葉ちゃんは、変に強がらなくていい。勝つのは手順だから」
真白は資料を抱えたまま、淡々と告げる。
「夜に紗羅側から連絡が来ても無視。DMも通話も。同情を引き出すか、挑発して反応を取るか、どちらかです」
千景も頷いた。
「何かあったら、会長に連絡してください。風紀も動きます」
私は四人の言葉を胸の中で反芻しながら、家路についた。
夕暮れの空はいつもと同じ色なのに、今日は世界が別物みたいに見えた。
※ ※ ※
家に帰っても、落ち着かなかった。
制服を脱いで、髪をまとめて、机に向かってみる。けれど、教科書の文字が滑っていくだけで頭に入らない。
スマホが震えるたびに、心臓が跳ねた。
――来た? 紗羅? 謙也?
違う。クラスのグループ通知。
"誰かが誰かを笑った"みたいな、いつもならどうでもいいやり取り。
それが今日は、刃物みたいに見える。
私は息を吐いて、スマホを伏せた。
真白の言葉を思い出す。
夜の連絡は無視。
反応したら負け。
ベッドに横になっても眠れない。
目を閉じると、校舎裏の笑い声が蘇る。
「チョロい」
「退屈」
「どうせ何もできねーよ」
胸が痛い。悔しい。
だけど――。
同じくらい強く、風華の声も思い出す。
「あなたは悪くない」
「下を向かないで」
「あなたの世界を取り戻そう」
ふいに、スマホがまた震えた。
私は一瞬固まり、それからゆっくり画面を見る。
表示された名前に、胸が軽くなる。
【春波風華】
『寝られそう? 無理なら、深呼吸だけでも。明日は私が迎えに行く』
短いメッセージ。余計な飾りがない。
それなのに、私の中の緊張がすっとほどける。
私は少し迷ってから、返した。
『寝られてないです。でも……明日が怖いより、悔しいの方が大きいです』
送信すると、すぐに既読がついた。
『それでいい。悔しさは、あなたの味方。明日は手順で勝つよ』
その文面を見た瞬間、目の奥が熱くなった。
泣きたい熱じゃない。ちゃんと立っていたい熱。
私は深呼吸して、スマホを枕元に置いた。
――明日。
ここで逃げたら、本当に"その程度の私"で終わる。
私は、終わらない。
※ ※ ※
翌朝。
空気が冷たかった。
眠れたのか眠れていないのか分からないまま、私は制服に袖を通した。鏡の中の自分は、目の下にうっすら影がある。
それでも、背筋は伸ばした。
家を出てすぐ、スマホが震えた。
『今、駅前。右側のベンチ』
風華だ。
私は歩く速度を上げた。
駅前のベンチに、風華はいつも通りの姿勢で座っていた。髪は整い、表情は落ち着いていて――それだけで、私の足元が固まる。
「……おはようございます」
「おはよう。来られたね」
褒めるでもなく、当たり前みたいに言ってくれる。
その"当たり前"が、今の私には救いだった。
学校までの道を並んで歩く。
距離は近い。けれど風華は、触れそうで触れない。
守るための距離感。
校門が見えてきた頃、浅葱からも通知が来た。
『噂、今朝も動いてる。中心は昨日の取り巻き+別の子。紗羅本人は"被害者風"で動く準備してるっぽい』
怖さが一瞬増した。
でも次のメッセージで、私は持ち直す。
『大丈夫。先生が呼ぶ時間、もう押さえてる。向こうが空気を作る前に、公式で潰す』
それは真白からだった。
私はスマホを握りしめて、頷いた。
今日は逃げない。今日は――取り返す日。
※ ※ ※
朝のHRが終わると、担任が短く言った。
「関係者数名、休み時間に呼びます。呼ばれた生徒は指定場所へ」
名前は出ない。
でも教室の空気が一瞬だけざわつき、何人かの視線が私に刺さった。
――噂は、まだ生きている。
私は席を立たず、筆箱を整えるふりをした。
風華の「反応しない」を守る。
休み時間。
私と風華、千景、真白が先に小会議室へ入った。村瀬先生がいて、机の上にはメモと規定集のような冊子が置かれている。
浅葱は廊下側で動いているらしい。
"空気の戦場"の監視役。
先生が椅子に座り、落ち着いた声で言った。
「今日は"噂の出所"と"二次加害"の確認から入る。関係者の言い分が矛盾するなら、学校として指導・処分を検討する。――いいね?」
私は頷く。
風華が私の右隣に座る。指先が机の下で一瞬だけ触れて、すぐ離れた。
それだけで心臓が少し落ち着く。
最初に呼ばれたのは、昨日の取り巻きの子――「美咲」。
顔が青い。目が泳いでいる。昨日の勢いは消えていた。
「……新井が逆恨みで暴れた、そう話したね?」
先生が問いかけると、美咲は小さく頷いた。
「それは、君が見たこと?」
「……いえ……」
声がかすれた。
「誰から聞いた?」
沈黙。
風華が、会長として淡々と補助する。
「ここは嘘をつくと不利になる。事実だけでいい」
美咲は唇を震わせ、絞り出した。
「……紗羅、から……そう聞きました」
先生がメモを取る音が、やけに大きく響いた。
「君は"見た"と周囲に言った。だが実際は伝聞だった。それは虚偽の流布だ。――分かるね?」
「……はい……」
美咲の目に涙が溜まる。
私は視線を落とした。責めたいわけじゃない。
でも、私の人生を壊しかけた言葉の責任は、軽くない。
先生は続ける。
「噂をどこへ広げた?」
美咲が一人、二人と名前を挙げていく。
"噂の経路"が、一本の線になって机の上に描かれていくのが分かった。
真白が、淡々と確認する。
「発言した時間は? 場所は? 誰が同席?」
美咲は答える。
その都度、先生がメモを取り、千景が風紀の記録と照合する。
――これが、公式の力。
空気で殴られたものを、記録で受け止めて反転させる力。
次に呼ばれたのは、別の子。
その子も同じように「紗羅がそう言ってた」と言った。
先生は静かに結論を固める。
「よし。少なくとも"新井が暴れた"という噂は目撃証言がない。伝聞によって拡散された虚偽である可能性が高い」
私は胸の奥で、小さくガッツポーズをした。
派手じゃない。けれど確実に、私の足元が戻ってくる。
そして――。
「次に、紗羅」
先生の声が落ちた。
扉が開き、紗羅が入ってきた。
目元は赤い。頬も少し濡れている。
制服の袖を握り、いかにも"傷ついている"みたいな顔。
でも私は、騙されない。
昨日までの私なら揺れたかもしれない。けれど今の私は"手順"の中にいる。
「座って。事情を聞く」
先生が言うと、紗羅は小さく頷いて座った。
その瞬間、紗羅の視線が一瞬だけ私に刺さる。
"勝ったと思っていた頃"の余裕が、ほんの少しだけ揺らいでいた。
先生が問う。
「紗羅。君は『新井が逆恨みで暴れた』と周囲に言ったか」
「……私は……」
紗羅は一拍置き、泣きそうな声を作った。
「私、そんなつもりじゃ……。柚葉が怖くて……昨日、すごく責められて……」
――来た。被害者ムーブ。
私は動かない。
風華の視線が「見ないでいい」と言っている。
先生は冷静に返す。
「責められた、というのは主観だ。質問に答えてくれ。君は"暴れた"と言ったか」
紗羅は一瞬だけ詰まった。
「……直接は……言ってない……かも……」
真白が、そこで静かに刺す。
「先ほどの聴取で、複数名が『紗羅から聞いた』と一致しました。"言っていない"なら、彼女たちは同じ嘘を同時に作ったことになります。それは不自然です。どう説明しますか」
紗羅の目が揺れた。
泣き顔の"盾"が、いきなり薄くなる。
「……私は……ただ……」
千景が淡々と追撃する。
「風紀にも記録があります。今朝、あなたの取り巻きが廊下で噂を拡散していました。あなたが止めた形跡はない。むしろ"出所"として名前が出ています」
紗羅の口が開いたまま止まる。
私は、心臓が静かに速くなるのを感じた。
――効いてる。
先生が次の質問を投げる。
「もう一つ。新井に対し、挑発的なメッセージを送ったね。『寝取った』という内容。これは事実か」
紗羅は肩を震わせた。
「……はい……でも……」
「意図は?」
紗羅は泣き声を混ぜる。
「……私は……柚葉に勝てないって思ってて……羨ましくて……」
先生はそこで止めない。
「羨ましいから、相手を傷つけていい理由にはならない。さらに、拡散を示唆する言動があれば、悪質性が上がる。君は『広まらない』と言ったと、新井は述べている。言ったか?」
紗羅の目が、ほんの一瞬だけ細くなる。
"言い逃れの道"を探している目。
「……言って……ない……」
その瞬間、風華が静かに言った。
「柚葉ちゃん、あなたの端末の"該当メッセージ"だけ見せて。先生に」
私は頷き、手が震えるのを抑えながら、画面を開いた。
真白が隣で、操作の手順を小声で誘導する。余計なものは見せない。"必要な部分だけ"。
先生が画面を確認し、顔を上げる。
「……確かに、"広まらない"趣旨の文面がある。紗羅、君のアカウントから送られたものだ。ここは否定できない」
紗羅の泣き顔が、一瞬だけ止まった。
泣いているのに、目の奥が冷える。
――バレた時の顔だ。
先生は淡々と結論へ向かう。
「よし。・虚偽の噂の発信源が紗羅である可能性が高い・挑発的なメッセージ送付が確認できる・二次加害が発生している。この三点で、学校として正式に指導・処分を検討する」
紗羅が震える声で言った。
「……でも……私だけが悪いんですか……? 謙也くんだって……」
先生が頷く。
「もちろん謙也も対象だ。次に呼ぶ」
紗羅は何か言いたげに私を見た。
私は見返さない。
"ここで感情を見せない"――それが、私の勝ち筋。
紗羅が退室し、入れ替わりで謙也が入ってくる。
昨日までの余裕は薄い。けれど、まだ軽い態度を捨てきれていない。
「……で? また俺が悪いってやつ?」
先生の目が鋭くなる。
「軽口を叩く場ではない。座りなさい」
謙也が舌打ちを飲み込み、椅子に座る。
先生が確認する。
「新井に動画を送ったね。本人の同意は?」
「……ない」
「送った理由は?」
謙也が肩をすくめる。
「別れ話のついでに……」
その瞬間、私の胸の奥で何かが切れそうになった。
でも私は、口を開かない。
風華が代わりに言う。
「その"ついで"が、どれだけ危険な行為か理解してる? 相手の尊厳を破壊する行為よ」
謙也が目を逸らす。
「……大げさ」
真白が淡々と、淡々と、逃げ道を塞ぐ。
「大げさではありません。"同意なく性的な内容を含むデータを送付"し、当事者に精神的苦痛を与えた。学校としても重大な規定違反です。さらに、周囲への拡散が起きれば、外部機関の介入もあり得る」
謙也の顔色が変わった。
「……外部……?」
先生が言う。
「君たちの行為は、校内で完結する問題ではない可能性がある。だからこそ、学校は公式に動く。保護者への連絡も含めてだ」
謙也が、初めて焦った顔をした。
あの校舎裏で笑っていた男が、ようやく"現実の重さ"を知る顔。
先生は畳みかけない。
ただ淡々と、手続きで締める。
「今日の聴取はここまで。今後、当事者への接触は厳禁。噂の拡散も厳禁。破れば処分が重くなる。そして、保護者同席の面談を設定する。――以上」
謙也は何か言いたげに口を開いたが、言葉にならなかった。
"空気で勝つ"計画が、手順に潰されていく音がした。
※ ※ ※
全員が退室した後、小会議室に残ったのは私たちだけだった。
私は一気に力が抜けて、椅子の背に背中を預けた。汗がじっとり手のひらに残っている。
「……終わった……?」
私の呟きに、風華が首を横に振る。
「第一段階が終わった。ここから"回収"に入る」
浅葱が扉から顔を覗かせた。いつの間にか待機していたらしい。
「会長、外の空気、変わったよ。噂止まってる。"呼び出し"見た子が、『柚葉、学校が守ってる』って言い始めてる」
その言葉に、胸がじんとした。
私を壊した空気が、今は私を守る空気に変わろうとしている。
真白が淡々と言う。
「先生が"調査中"を周知すれば、憶測発言はリスクになります。噂を口にする側が損をする状況を作る。これが回収」
千景も頷く。
「風紀で巡回を強化します。今度同じことを言ったら、即呼びます」
私はゆっくり立ち上がり、息を整えた。
まだ怖い。まだ傷はある。
でも――私は潰れていない。
私は、ちゃんとここに立っている。
風華が、私の右側に来て、小さく言った。
「よく頑張った。今日は、帰ろう」
"帰ろう"という言葉が、昨日より深く刺さった。
居場所が、ちゃんとある言葉。
私は頷く。
「……はい」
廊下に出ると、さっきまで刺さっていた視線が、少し違って見えた。
憐れみじゃない。興味でもない。
"あれ、噂と違う?"という揺れ。
それでいい。
私はもう、噂の中の私じゃない。
そして、校門へ向かう途中――。
遠くで紗羅が、取り巻きと一緒にこちらを見ていた。
泣いた目。震える唇。
でも、その奥にあるのは――怒りだ。
紗羅は、私が"取り返し始めた"ことを理解している。
だから次は、もっと露骨に動く。
風華が、私の手を取る。
指先が重なり、ぎゅっと握られる。
「見ないでいい」
その短い声が、私の背中を守った。
私は前を向く。
ざまぁは、もう始まっている。
そして次は――相手の反撃を潰す番だ。
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あとがき
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