第5話 私が取り返す番だ

 顧問室の扉をくぐった瞬間、空気の密度が変わった。

 教室棟のざわつきとは無縁の静けさ。紙とインクの匂い。薄いコーヒーの残り香。机の上に積まれたプリントの角が、几帳面に揃っている。


 ――ここは"大人の領域"だ。


 私は思わず背筋を伸ばした。

 勝手に縮こまりそうになる心を、風華の隣に立つことで支える。


「失礼します。生徒会長の春波風華です。相談があり参りました」


 風華が一礼すると、机に向かっていた顧問――村瀬(むらせ)先生が顔を上げた。

 年齢は三十前後。表情は柔らかいが、目だけは鋭い。生徒の嘘と本音を見抜く目だと、直感で分かった。


「春波か。……それで、相談というのは?」


 先生の視線が私へ移る。

 私は息を呑みそうになり、ぎゅっとスマホを握り直した。


 真白が一歩前に出る。持参した資料を机の上に置き、手早く要点だけを並べた。


「村瀬先生。案件の概要は三点です。

 一点目、当事者に対して、性的な内容を含む動画・画像が送付され、精神的被害が発生しています。

 二点目、その送付が当事者の同意なく行われ、拡散を示唆するメッセージが含まれています。

 三点目、現在、当事者が加害者扱いされる形で噂が流布されています」


 言葉が、刃物みたいに机の上へ並ぶ。

 先生は眉をひそめた。


「……当事者、というのは?」


 風華が私を示す。


「新井柚葉。二年です。いま噂の標的になっています」


 先生は私に向かって、声を少しだけ柔らかくした。


「新井。君が……。落ち着いて。今は事実だけでいい。話せる範囲でいいから」


 私は喉の奥の震えを飲み込んで、頷く。


「……新学期三日目の夜に、彼氏だった謙也から動画が送られてきました。内容は……私の友人の紗羅と……その……二人が、裸で……」


 そこで言葉が詰まった。

 恥じゃない。私の恥じゃない。分かっている。分かっているのに、顔が熱くなる。


 風華が、私の背中に軽く手を置いた。

 触れられるだけで、崩れそうな心が持ち直す。


 私は続けた。


「すぐ後に、紗羅から『寝取っちゃった』ってメッセージが来ました。……電話したら、謙也は切りました。翌日、紗羅に確認したら、本人は認めました。それで……今朝から、私が逆恨みしてるって噂が……」


 先生は目を閉じ、短く息を吐いた。


「……動画は、端末に残っているのか?」


 真白が即答する。


「あります。ただし、拡散リスクが高いので、端末内に留め、保全手順を踏みました。ハッシュ値、タイムスタンプ、バックアップ作成、立会者の記録まで完了しています」


 先生の視線が、真白の資料に落ちる。

 "高校生がここまでやるのか"という驚きが一瞬だけ浮かんだが、すぐに職務の顔に戻った。


「……よし。春波。君たちの判断は正しい。感情のまま動いていたら、君(柚葉)が不利になっていた」


 先生は立ち上がり、扉を一度だけ確認した。

 外に人がいないのを確かめる仕草。守秘の意識が高い。


「次に確認。噂が回っているという話、風紀委員が把握しているんだな」


 千景が腕章を正し、きっぱり言う。


「はい。出所は本人ではなく取り巻きの可能性が高いです。紗羅本人は姿を見せていません」


 先生は頷く。


「なるほど。"本人が表に出ない"のは、責任回避と印象操作の常套手段だ」


 浅葱が、珍しく真面目な声で言った。


「先生、噂のログも集めます。スクショ、投稿時刻、発言者、拡散経路。あと、当事者が煽られて反応した瞬間に負けなので、柚葉ちゃんは今後一切、個別で言い返し禁止にしてます」


「良い。……新井、聞いてくれ」


 先生が私の名前を呼ぶ。

 私は反射的に姿勢を正す。


「この件は、いくつかのルートで対応できる。君の安全確保が第一だ。まず、関係者からの事情聴取。次に、校内規定に基づく処分。そして何より、"これ以上の被害拡大の防止"だ。動画の扱いは絶対に誤らないように」


 私は息を吐き、頷いた。


「……はい」


 先生は机に戻り、メモを取りながら続ける。


「春波。生徒会としては、当面、新井を生徒会補助として動かしていい。名目があると守りになる。

 橘。保全資料は私の方で一旦預かる。鍵付きの保管庫に入れる。

 浅葱。君のログ収集は、やりすぎると炎上の火種になる。『記録』に徹しろ。接触・挑発は禁止だ」


「了解~。煽りはしない。……勝つためにね」


 浅葱が軽く笑う。

 その笑みに、冷たさが混じった。普段の軽さが消えた時、この人は頼もしい。


 先生は最後に、はっきりと言った。


「ここからの初動が大事だ。新井を悪者にする空気が固まる前に、学校が動いていると示す。――今日のうちに、当事者双方を呼ぶ」


 心臓が跳ねた。


「今日……ですか?」


 声が上ずったのを自覚して、私は唇を噛む。

 怖い。

 でも、引けない。


 風華が私の不安を先回りして、静かに言う。


「柚葉ちゃんは、話さなくていい。基本は私と先生が進める。あなたは"事実だけ"を、短く言えばいい」


 先生も頷いた。


「そうだ。君は裁判官じゃない。自分を守るための証言者だ。そして……新井。君は何も悪くない。繰り返すが、何も悪くない」


 その言葉は、胸の奥の氷に小さな亀裂を入れた。

 私はもう一度、頷くことしかできなかった。


 ※ ※ ※


 顧問室を出ると、廊下のざわめきが一気に耳に入ってきた。

 生徒の笑い声、足音、誰かの噂話。いつも通りのはずなのに、今日は全部が"私の評判"に繋がっている気がして、胃が重くなる。


 千景が先に歩き、視線で周囲を制す。

 真白は私の斜め後ろで静かに資料を抱え、浅葱はあえて明るい声を出して空気を変えた。


「はいはーい、通りますよー。会長案件でーす」


 その"会長案件"という言葉は、私の盾になった。

 すれ違う生徒が「え?」と顔を上げ、ひそひそ声が一瞬止まる。


 ――見てろ。

 今までみたいに、黙って潰れない。


 生徒会室に戻ると、真白がすぐにホワイトボードを出した。

 そこに、迷いなく文字を書き始める。


【目的】

① 柚葉の安全確保(孤立防止・接触制限)

② 事実の固定(証拠保全・立会記録)

③ 噂の無力化(公式ルートで上書き)

④ 加害側の反撃を封じる(先手)


 書かれた文字を見ただけで、私の中で"戦いが形になる"感覚があった。

 昨夜までの私は、ただ殴られていた。

 でも今は、守り方も、殴り返し方も、やり方がある。


 風華が私に向き直る。


「柚葉ちゃん、ここからは"感情を使う場所"を間違えない。泣きたい時は泣いていい。でも、相手の前では泣かない。泣くなら、私たちの前で」


 その言葉に、胸がきゅっとなる。

 ――私の逃げ場所を、用意してくれている。


 浅葱が指を鳴らした。


「で、噂の出所。もう一本、線が取れた。紗羅の取り巻きの中でも、中心にいる子がいる。そいつが『柚葉が暴れた』って"見た"って言ってる」


「見た?」


 私は思わず聞き返した。


「うん。"見た"って言ってる。でも、場所と時間がズレてる。つまり、作り話。……わかりやすい」


 真白が淡々と結論を出す。


「虚偽の流布。こちらのカードが増えましたね。

 風華会長、顧問に追加で報告します。『当事者への二次加害』として処理できます」


 千景が腕組みをして言う。


「風紀委員会としても動けます。噂の中心人物から事情聴取。それと――紗羅本人が姿を見せないの、やっぱり不自然です」


 風華が頷いた。


「"表に出るとボロが出る"から。……柚葉ちゃん、あなたが教室で紗羅に詰めた時、相手は何か言った?」


 私は記憶を辿る。

 あの、にやりとした顔。余裕。言葉。


「……『広まらない』って。あと……『状況は変わらない』って」


 風華の目が細くなる。


「広まらない。状況は変わらない。つまり、"広まらないようにしてある"か、"広まっても困らない形にしてある"。どっちかよ」


 浅葱が、スマホをくるくる回しながら言う。


「後者っぽいねー。噂で柚葉ちゃんを悪者にしておけば、仮に動画の話が出ても『逆恨みの捏造』って言える。先に印象を塗りつぶす戦法」


 真白がボードに追記する。


【相手の狙い】

・柚葉=逆恨みの加害者化

・紗羅=被害者ポジション確保

・謙也="被害者の彼氏"として逃げる


 私は、吐き気にも似た感覚を飲み込んだ。

 謙也が、そんな策略を考えるとは思えない。

 でも、紗羅なら。取り巻きなら。十分ありえる。


 風華が私の手首を軽く掴む。


「柚葉ちゃん。今日の面談で、彼らは必ず揺さぶってくる。あなたを怒らせる。泣かせる。暴言を引き出す。――それが相手の勝ち筋」


 私は、指先が冷たくなるのを感じた。


「……どうすれば」


 風華は、はっきり言った。


「"短く、事実だけ"。『送られてきた』『メッセージが来た』『確認したら認めた』。それ以上は、私と先生が話す」


 浅葱が肩をすくめる。


「相手が何言っても、"へーそうなんだ"で流す。でも流してるように見せて、こっちは全部記録。勝つ」


 真白が、小さなICレコーダーを机に置いた。


「録音機器も準備します。校内規定に抵触しない形で、顧問の同席下で行う。相手の"言い逃れ"を封じるためです」


 その瞬間、私の中に一本、芯が通った。


 ――感情で殴り返さない。

 仕組みで、逃げ道を塞ぐ。


 風華が、ほんの少しだけ声を落として私に言う。


「それと、もう一つ。今日から、あなたの居場所はここ。生徒会室に来ていい。私の隣にいていい」


 "隣"という言葉が、私の心の奥をやけに揺らした。

 こんな状況なのに、胸が熱くなる。


 浅葱が、ニヤッと笑う。


「会長、さらっと独占宣言してない?」


「してない」


 即答なのに、風華の耳がほんのり赤い。

 真白はその様子を見ても表情を変えず、淡々と手順表を整える。

 千景は「……会長、時間です」とだけ言った。


 その"チーム感"が、私を支えた。

 いつの間にか、私は"守られるだけの人"じゃなくなっている。


 ――私が前に立つ。

 そのために、みんなが後ろを固めてくれている。


 ※ ※ ※


 放課後、指定された小会議室。


 机が向かい合わせに置かれ、中央に空間がある。

 対面の形は、逃げ場がない。まるで取り調べだ――そう思った瞬間、足が震えた。


 風華が私の肩に手を置く。


「大丈夫。私がいる」


 その言葉だけで、呼吸が戻る。


 先に顧問の村瀬先生が入り、次いで――扉が開いた。


 入ってきたのは、紗羅だった。


 制服の襟を整え、目元は少し赤い。

 泣いたのか、それとも泣いた"ふり"か。

 その横で、遅れて謙也が入ってくる。髪をいじりながら、面倒そうな顔。


 私の視界が、一瞬だけ暗くなった。

 昨夜の動画がフラッシュバックする。


 でも私は、下を向かない。


 真白が、机の上に資料を置く音が、やけに大きく響いた。


 先生が淡々と言う。


「では、関係者の聴取を始める。これは君たちの"言い分"を聞く場であり、学校として事実関係を整理する場だ。感情的な発言、相手の人格を攻撃する発言は禁止。――いいね?」


 紗羅が小さく頷き、謙也が「はいはい」と雑に返事をした。


 ――その態度。

 まだ、自分が優位だと思ってる。


 風華が、会長としての声で言う。


「まず、当事者の柚葉ちゃんから。短く、事実のみを」


 私は息を吸い、真白が用意してくれた"短文"を頭の中でなぞる。


「……新学期三日目の夜、謙也から動画が送られてきました。内容は、謙也と紗羅が裸で一緒にいるものです。その後、紗羅から『寝取った』という趣旨のメッセージが来ました。翌日、紗羅に確認したら、本人が認めました」


 言い終えても、私は余計な感情を付け足さなかった。

 胸の奥は燃えているのに、表面は冷たく保つ。


 先生が紗羅を見る。


「紗羅。君はどう説明する」


 紗羅は一瞬だけ目を伏せ、すぐに涙目で顔を上げた。


「……私、柚葉にずっと嫉妬してて……。でも、謙也くんが私のことを好きだって言ってくれて……それで……」


 そこで彼女は泣き出した。

 しゃくり上げるように、肩を震わせて。


 ――来た。被害者ムーブ。


 でも私は、反応しない。

 風華の視線が「そのまま」と告げている。


 先生は淡々と続ける。


「君が送ったメッセージ、『寝取った』という内容。これは事実か?」


 紗羅が涙を拭いながら、小さく頷いた。


「……はい。でも、あれは……勢いで……」


「勢いで、か」


 先生の声に温度はない。

 紗羅の"勢い"が他人の人生を壊すことを、先生は知っている。


 次に先生が謙也を見る。


「謙也。君はどう説明する」


 謙也は椅子に浅く腰かけ、唇を尖らせた。


「……別に。俺、柚葉と合わなかったし。紗羅の方が――その、気が合っただけ」


 気が合った。

 その言い方が、あまりにも軽くて、私は奥歯を噛みしめた。


 真白が、そこで初めて口を開く。


「確認します。あなたが送った動画は、柚葉の同意なく送付されたものですね?」


「……まあ」


「"まあ"ではなく、はい、か、いいえで」


「……はい」


 その一言が、空気を決定づけた。

 先生が頷き、風華が静かに追い打ちをかける。


「追加で。校内で『柚葉が逆恨みして暴れた』という噂が流れています。これは、あなた方の関係者が発信源だと風紀委員が把握しています」


 千景が資料を差し出す。

 発言のスクショ。時刻。人物。

 噂が"形"になった瞬間、紗羅の顔色がわずかに変わった。


 ――効いた。

 やっと、状況が変わり始めた。


 先生が低い声で言う。


「君たちは、事実の送付に加え、二次加害に繋がる行為も発生させている。この件は、学校として正式に取り扱う。今日はここまでだ。今後、当事者への接触を禁じる。――守れるね?」


 謙也が反射的に言い返そうと口を開いたが、真白の視線に押し黙った。

 紗羅は唇を震わせ、何か言いたげに私を見た。


 私は、見返さない。

 "主導権ムーブ"を守る。


 会議室を出る直前。

 風華が私の耳元で、小さく囁いた。


「第一手、成功。ここからが本番よ」


 その声が、胸の奥で火種になる。


 ――私って、そんな女?


 違う。

 私は、もう"やられるだけの女"じゃない。


 廊下に出ると、浅葱が満足げに笑った。


「よし。次は"処分"じゃなくて"回収"だね。

 柚葉ちゃんの評判、取り返していこ。……主役はこっち」


 真白が淡々と頷く。


「噂の訂正は、公式の発信で上書きできます。そして相手が"泣く"ほど、こちらの正当性が強くなる。――順番に潰しましょう」


 千景が小さく拳を握った。


「風紀委員会も動きます。もう、好き勝手にはさせません」


 私は、三人の背中と、風華の横顔を見て思った。


 この人たちは、強い。

 ――そして私は、その強さの中心に立てる。


 風華が私にだけ分かる程度に微笑む。


「帰ろう、柚葉ちゃん。今日はよく頑張った」


 その"帰ろう"が、ただの言葉じゃなくて。

 私の居場所を指し示す合図みたいで、胸が熱くなった。


 ざまぁは、まだ始まったばかり。

 でも確かに、流れは私たちに傾いた。


 次は、私が取り返す番だ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 


あとがき


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