第4話 私はちょろい女なんかじゃない

 真白の「端末を見せて」の一言は、命令というより"業務開始"の合図だった。


 私は反射的にスマホを握りしめた。

 昨夜からずっと、この端末は私の心臓そのものみたいで――見せたくない、触れられたくない、でも見せなきゃ終わらない。そんな矛盾を抱えている。


 風華が、私の迷いを切り分けるように、淡々と補足する。


「柚葉ちゃん。大丈夫。触れるのは必要最低限。真白は"扱い方"が分かってる」


 浅葱も、いつもの軽口を一段落として頷いた。


「うん。私たち、変な正義感で暴走するタイプじゃないし。むしろ逆。"被害者が被害者のまま終わる"の、嫌いなんだよね」


 その言い方が、私の胸の奥の弱いところに触れた。

 ――被害者のまま終わる。

 昨日までの私なら、きっとそのまま泣いて、恥ずかしくて、何も言えないまま消えていった。


 でも今は違う。


 私はスマホを差し出した。

 指先が小さく震えているのが、自分でも分かった。


「……お願いします」


 真白は、受け取る前に机の上のペンを一本、すっと横へ退けた。

 "端末を置くスペース"を作る動作が、無駄がなくて綺麗だった。こういうところだけで、信用が積み上がっていく。


「まず確認。動画と画像は、あなたの端末に保存されている。送信元は……彼のアカウント。追加で、紗羅からのメッセージもある。ここまでは"事実"」


 真白の声は温度がない。

 でも冷たいわけじゃなくて、痛みを増幅させないための無感情だ。


「次。"推測"。紗羅は『広まらない』と言った。つまり、あなたが拡散しても不利になる状況を作っている可能性が高い。例えば、先に噂を歪める。あなたを"嫉妬で暴れた側"に仕立てる。あるいは、端末を奪って消す」


 私はごくりと息を飲んだ。


 そこまで、やる?

 でも――紗羅ならやりそうだ、と思ってしまう自分がいた。あの余裕の笑い方が、頭から離れない。


 風華が静かに言う。


「だから柚葉ちゃんは一人で動かない。対面も、連絡も、移動も。今日から"単独行動禁止"。いい?」


「……はい」


 返事をしたのに、喉が乾いた。


 真白は端末をテーブルに置き、画面は私に見えない角度にして操作を始める。

 その配慮がありがたいのに、同時に、こんな配慮が必要なほど私は傷ついたのだと実感して、胸の奥がむず痒く痛んだ。


「浅葱、バックアップ用端末」


「はーい」


 浅葱が取り出したのは、私物のスマホとは別の、やたらと無骨な端末だった。

 え、なにそれ。と思った顔をしてしまったら、浅葱が得意げに笑う。


「これね、情報屋の商売道具。証拠を"証拠"にするためのやつ」


「情報屋……」


「褒めても何も出ないよ?」


 浅葱は軽く言って、真白の指示通りにケーブルとアダプタを繋いだ。

 風華は椅子を引き、私の隣に自然に座る。距離が近い。肩が触れるか触れないかのところで、彼女の香りがした。落ち着いた、石鹸みたいな匂い。


 私はそれだけで、呼吸が少し整うのを感じた。

 ――ずるい。守られていると思うだけで、心が動いてしまう。


「柚葉」


 風華が、名前を呼ぶ。


「はい」


「今からするのは"戦いの準備"よ。怖い記憶に触れる。でも、あなたのために必要な作業。……辛いなら、目を閉じていい」


 私は首を横に振った。


「見ます。……もう、逃げたくない」


 言い切った自分に、少し驚いた。

 でも、その言葉は嘘じゃなかった。


 真白が淡々と進める。


「保存完了。ハッシュ値取得。タイムスタンプ記録。ここまでで改ざん疑いはほぼ潰せる。――風華会長、顧問に共有しますか?」


「する。今日中に」


 風華が即答する。

 迷いがない。その迷いのなさが、私の背骨を真っすぐにする。


「顧問……先生に言うのって、怖いです」


 ぽろっと本音が漏れた。

 誰か大人に知られることは、恥ずかしい。惨めで、みっともなくて、私のプライドがぐちゃぐちゃになる気がした。


 風華は、私を責めずに言葉を選ぶ。


「それは分かる。……でも、これはあなたの恥じゃない。あの二人が"やったこと"の責任を、あなたが抱える必要はない」


 浅葱も、いつもより真剣な目で頷く。


「そそ。柚葉ちゃんが黙るほど、向こうは調子に乗る。これ、理不尽だけど構造がそうなってる。だからこそ、正規ルートで叩く。ざまぁって、感情じゃなくて"仕組み"でやるのが一番効くんだよね」


 仕組み。

 その単語が、私の中の復讐心を"汚い衝動"から"戦略"に変えた気がした。


 真白がメモを一枚、私の方へ滑らせる。


「ここ。今日からの行動指針」


 紙には短い箇条書きが並んでいた。


・単独行動禁止(移動・昼食・放課後)

・紗羅・謙也への直接連絡禁止(返信も禁止)

・端末は常時ロック(生徒会で保管時間あり)

・対面接触が発生した場合は会話せず"録音開始"

・困ったら風華会長へ即時連絡


 ……まるで、私が重要人物みたいだ。

 それがおかしくて、でもありがたくて、胸がぎゅっとなる。


「私、そこまでされるような……」


 言いかけた私を、真白が遮らずに受け止めた上で、静かに言う。


「あなたは、被害者であり、同時に"証拠の保有者"です。向こうが一番潰したいのは、あなたの心より先に証拠。だから、ここまでやる価値がある」


 言い切る声に、背筋が寒くなる。

 でも、その寒さは"現実"の温度だった。


 風華が机を軽く叩いて、会議の流れを次へ進める。


「次は初手を決める。今日やることは三つ」


 指を一本立てる。


「一つ。顧問への相談。これは"案件化"するため」


 二本目。


「二つ。紗羅の"仕込み"の確認。あなたが悪者にされていないか、既に噂が回っていないか。浅葱、あなたの得意分野ね」


「りょーかい。噂のルート、洗う。スクショもログも集める」


 三本目。


「三つ。あなたの"立ち位置"を確保する。孤立させない。今日からあなたは、生徒会のサポートとして一時的に動いてもらう」


「……生徒会の、サポート?」


 私が目を丸くすると、風華は穏やかに頷いた。


「名目があると強いの。『会長と一緒にいる』が、あなたの盾になる。向こうが雑に絡めなくなる」


 なるほど、と思った。

 確かに、ただ一緒にいるだけでも意味が変わる。まして生徒会会長と一緒なら、誰も簡単に手を出せない。


 浅葱が私の顔を覗き込んで、わざとらしくウインクした。


「よかったじゃん、柚葉ちゃん。今日から"会長付き"だって。……ねえ風華、これ半分デートじゃない?」


「浅葱」


 風華が低い声で呼ぶ。

 浅葱は「はは、冗談」と笑うのに、風華の耳がほんの少し赤い気がして、私の胸が勝手に跳ねた。


 ――なんで、私がドキッとしてるの。

 こんな状況なのに。


 真白が、ペン先で机をトントンと叩く。


「雑談は後。風華会長、次のリスクも共有します。向こうの反撃パターン」


「聞く」


「まず、紗羅が"泣く"。被害者を演じる。次に、あなたが"嫉妬で暴れた"というレッテルを貼る。最後に、彼――謙也が『柚葉に束縛されていた』等のストーリーで同情を買う」


 私は唇を噛んだ。

 ……やりそう。

 謙也なら、平気でそう言う。あの校舎裏の会話が、証明している。


 風華が即座に答える。


「だから"事実"で殴る。感情ではなく、記録と手順で」


 浅葱も頷いた。


「うん、こっちは感情を抑えて、向こうだけ感情で暴れさせるのが勝ち。柚葉ちゃんは――煽られても反応しない。反応した瞬間、相手の土俵になるから」


「……できますか、私」


 不安が漏れる。


 風華は、私の方へ少し身を寄せた。

 肩が触れた。温度が伝わる。


「できる。……あなたはもう一人じゃないから」


 その一言が、私の中の弱い部分を支えた。

 今まで、私は誰かに守ってもらったことがなかったわけじゃない。でも、"守られることを前提に戦略を組む"なんて初めてだった。


 真白がスマホを返しながら言う。


「端末は一時的にあなたが保持。ですが、放課後に生徒会で保管する時間を作る。紛失リスクを下げるため」


「はい」


 私はスマホを受け取った。

 重みが変わった気がした。昨夜は"呪い"だったのに、今は"鍵"に近い。


 風華が立ち上がる。


「じゃあ、動く。浅葱は今から情報収集。真白は顧問への要点整理。柚葉ちゃんは私と一緒に――」


 そこまで言いかけた時、ノックもなしに生徒会室の扉が勢いよく開いた。


「会長! 大変です!」


 飛び込んできたのは、風紀委員の腕章をつけた女子生徒だった。

 短く切った髪が乱れ、息が上がっている。


「どうしたの、千景」

 

 風華が名前で呼ぶ。

 その瞬間、私は気づく。風華の"ハーレム"は、もう生徒会の外にもあるのだと。


 千景は私を見て一瞬だけ言葉を詰まらせ、それから早口で言った。


「いま、二年の教室棟で噂が回ってます。『新井柚葉が彼氏に捨てられて逆恨みしてる』って。……しかも、"柚葉が紗羅に手を出した"って話にまでなってる」


 頭の中が、カッと熱くなった。

 やっぱり。

 紗羅はもう動いている。私が何かする前に、私を悪者にするために。


 私は椅子の肘を握りしめた。

 指先が白くなる。


 風華の声が、低く落ちる。


「……誰が流してるの?」


「紗羅本人じゃないです。取り巻きが、"それっぽく"広めてます。本人は姿を見せてない」


 真白が静かに結論を出す。


「想定通り。では、初手を切ります。風華会長、顧問への相談を前倒し。さらに風紀委員会と連携可能です」


 浅葱が、笑ってない目で言う。


「いいね。向こうが先に汚してきたなら、こっちは先に"公式"で洗う。噂の戦場は、こっちが勝てる土俵じゃない。だから土俵を変える」


 風華は私を見た。

 視線が、真っすぐで――逃げ道を与えない優しさだった。


「柚葉ちゃん。聞いて。噂が回った。つまり、向こうが焦ってる」


「……焦ってる?」


「うん。あなたが黙って耐えると思ってた。なのに、あなたは動いた。生徒会に来た。味方が付いた。だから先に潰しにきた」


 私は、震える息を吐いた。

 怖い。怖いけど――心の奥で何かがスッと冷えて、視界がクリアになる。


 ここで泣いたら、向こうの思う壺だ。


「……私、どうすればいいですか」


 風華は答える。


「いまから一緒に来て。顧問室へ行く。あなたは"事実"だけを話せばいい。判断と手順は私たちがやる」


 浅葱が、私の背中を軽く押した。


「行こ。柚葉ちゃん。ここから"ざまぁ"が始まる」


 真白が紙束を抱えて立ち上がる。


「資料は私が持ちます。――そして、噂の出所もログとして残します。後で効きます」


 千景が息を整えながら言う。


「会長。私も同行します。教室棟の状況は、私が押さえます」


 気づけば、私は女の子たちに囲まれていた。

 守られているのに、ただの保護じゃない。私を"前に立たせる"守り方だ。


 廊下へ出ると、いつもの学校の匂いがした。

 ワックス、柔軟剤、微かな汗、春の風。

 昨日までの日常と同じはずなのに、今日の空気はどこか張り詰めている。


 教室棟へ向かう途中、すれ違う生徒たちの視線が刺さる。

 ひそひそ声が聞こえる気がして、胃がきゅっと縮む。


 ――でも。


 風華が、私の歩幅に合わせてくれる。

 浅葱が、わざと大きめの声で「会長、顧問の時間間に合う?」なんて言って、周囲に"公式の動き"を見せつける。

 真白は無言で、けれど私の斜め後ろを確実に固めている。

 千景は視線を左右に走らせ、近づく生徒を牽制している。


 私の居場所が、足元から作られていく。


 顧問室の前で、風華が立ち止まり、私にだけ聞こえる声で言った。


「柚葉ちゃん。あなたは悪くない。――繰り返すけど、あなたは悪くない」


 私は頷いた。

 喉が乾いて、声は出なかったけれど。


 風華がノックをする。


 コン、コン。


「失礼します。生徒会長の春波風華です。案件の相談で参りました」


 扉の向こうから、落ち着いた大人の声が返ってくる。


「……入りなさい」


 その瞬間、私は胸の奥で、静かに誓う。


 謙也も、紗羅も。

 私のことを"チョロい女"だと思っているなら――。


 その認識ごと、全部ひっくり返してやる。


 そして私は、風華の隣で一歩踏み出した。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 


あとがき


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