一章 幸福の日本・幸福のVR
1話
『すべての国民が公平に、秩序正しく。AI資本主義が牽引する、AI時代のリーダー――幸福な日本』
***
――二〇五七年十一月二十日 東京都
ガタン、ゴトン……
いつも乗る朝の通勤電車。真冬で、誰もが厚手のコートやマフラーに身を固めているはずなのに、車内は妙に生々しい。隣の人の体温どころか、肌の気配まで伝わってくるような圧迫感が、じわりと身体を包みこんだ。凍りついた鼻の奥には、どこからともなく埃っぽい、くぐもった匂いが引っかかる。
窓の外の風景は、相変わらずだ。
ぺたんと潰れた玩具みたいな車が、やけに広くてよく整備された道路を、すいすい滑っていく。
それでも、今日は、なぜだか口元が上がったまま戻らない。外で白く積もった雪に反射する朝の光でさえ、やけに綺麗に見えてしまうくらいだった。
もう少しだけ進めば、ずっと期待して、指折り数えてきたあのお客様に会える。
そう思った瞬間――視界の端に、ホログラムのメッセンジャーがふわりと浮かび上がった。
『正気? だからタクシーで行こうって言ったじゃん』
送り主は、同じ職場の上司であり、今まさに僕の真後ろでぴたりと張りついている杉浦すいさん。
僕はすぐに目線で文字を追い、返信を打ち込んだ。
『ダメですって。前に見たじゃないですか、制御エラーで事故ったタクシー』
『はぁ〜 あれはたまにだろ。じゃあ電車はどうなんだよ、って話だよ(#^ω^)』
その直後、背後から腰のあたりを、つん、つん、と小突かれる。
電車はガタンゴトンと騒音を吐き続け、会話はその揺れの中に溶けていく。
――どれくらい経っただろう。目的の駅に着き、先輩と僕はホームへ足を踏み出した。
「よいしょ」
僕は片手で、ずしりと重い黒い特殊梱包の輸送用バッグを持ち上げた。何度も軽量化を重ねた――そう説明されてはいるが、実際の感触は米袋を三、四袋まとめて抱え上げるみたいな重量感だった。でも、これのおかげで毎日もやし粥くらいは食べていけると思って、腕に力を入れ直す。
そして、いつも目にするバッグの端に貼られた青い丸印――その中に〈G〉と刻まれたロゴ。普段なら
改札を抜けて歩き出そうとした、そのとき。
「おい……ちょ、もう少しゆっくり……」
背後から、情けないうめき声。
振り返ると、肩にかかる
それだけで胸の奥が、理由のない熱を持つ。
「貸してください。だから運動のときも一緒に来いって言ったじゃないですか。だから背も伸びないんですよ」
僕は先輩のところへ駆け寄り、身長一八〇を少し超える僕の胸元あたりに来る先輩の頭を、ぽん、と撫でた。そのまま荷物も受け取る。
指先は鈍くて、少し痺れる。けど、この程度は別にどうってことない。
「ほんと最悪。ボクが変なんじゃなくて、お前が変なんだよ! てか身長は遺伝! 遺伝だから!」
「はいはい。――じゃ、行きましょ。出発!」
まずは目的地、二子玉川病院へ向かうのが最優先だ。
雑踏は相変わらず、海苔巻きみたいにぎゅうぎゅうで、息をするだけで肩が擦れる。分厚いコート越しに当たる肘はどれも同じ硬さだが、歩幅だけが妙に正確だったり、振り向きもせずにぴたりと避けたり――今のが人か、ヒューマノイドか、見分ける暇もなく押し流される。
ところが、病院までの道だけは不思議と迷わない。まるでゲームのナビ矢印が、一直線に僕を引っ張っているみたいだった。
「でっか……」
目的地の病院の前に着いた瞬間、すいさんが顔を上げて、低い声を漏らした。
目の前にあるのは、一目では収まりきらないほどの巨大な建物だった。病院というより、むしろ巨大なコンサートホールに来たみたいな圧倒感。外壁を
正門の脇で、ホログラムの電光掲示板がちかちかと瞬いている。
〈第三世代AI医師導入・認証病院〉――その文句が、まるで周囲の電気を吸い上げているみたいに、不自然なほど明るく光って見えた。
「ふーん……大学病院って、もともとこういうもんですよ」
僕はごくり、と唾を飲み込んでから口を開く。
「そんなもん、来たことないんだから分かるわけないでしょ」
「まぁ、とにかく入りましょうか」
そう言って建物の中に足を踏み入れると、貝殻みたいにつるつる光る真っ白な大理石の床が広がっていた。ホテルのロビーみたいに整えられた椅子と受付カウンター。あちこちに配置されたキオスク端末が、無機質にこちらを迎える。
行き交う白衣と、有名ブランドのジャケット。それらが視界を横切るたび、自分がどんどん小さな存在になっていく気がした。
「訪問受付番号、何番だっけ」
すいさんの声が、ぼうっとしていた僕を現実に引き戻す。
「あ、訪問受付番号ですか。ちょっと待ってください……N-二〇一七です」
僕は慌ててホログラム端末を開き、メモしておいた番号を視線でなぞって確認する。
「……受付、通ってる。部屋は三〇一。受付した電話番号にナビ連動したって。見える?」
「あ、はいはい、出てます。僕、先導しますね。行きましょう」
地図アプリを起動すると、すぐにオレンジ色のラインが伸びて、進むべき方向を示した。
矢印に引っ張られるみたいに、足が自然と動く。
十分ほど歩いただろうか。入院病棟・第七別館の三階に着いたとき、暗い緑地に白文字の案内板が目に入る。
――重症
その文字を見た瞬間、喉の奥が少しだけ乾いた。
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