第二話 世界は思ったよりやさしかった

ステータスの光が静かに消えたあと、部屋には再び穏やかな空気が戻ってきた。


相川静はしばらくその場に立ったまま、何も考えずに呼吸を整える。

異世界、屋敷、女神の手紙。

どれも現実味がないはずなのに、不思議と心は落ち着いていた。


「……まずは、家の中、だな」


誰に言うでもなく呟いて、静は部屋を出た。


廊下は広すぎず、狭すぎず

足音が柔らかく吸い込まれるような床材で、歩いていても緊張しない。


いくつかの扉を順に開けていく。


居間は簡素だが居心地がよく、窓からは外の緑がよく見えた。

キッチンには、見慣れた形の調理台と流しがあり、包丁や鍋も過不足なく揃っている。

冷たい水も、温かい湯も問題なく出た。


風呂場とトイレを確認したとき、静は思わず小さく息を吐いた。


「……ちゃんと、生活できるな」


異世界という言葉から想像していた不便さは、どこにもない。

むしろ日本で暮らしていた頃よりも、無駄が削ぎ落とされているように感じた。


寝室も同様だった。

柔らかすぎない寝台、清潔なシーツ、必要最低限の家具。


――生きるために、必要なものだけが、揃っている。


廊下の突き当たり、静は自然と足を止めた。

そこには、他の部屋とは少し雰囲気の違う空間があった。


部屋の中央に、小さな台座

その上に、淡く光る結晶のようなものが浮かんでいる。


「……屋敷コア、か」


言葉にすると、確信に変わる。


近づくと、視界の端に簡素な情報が浮かんだ。


――屋敷コア:稼働中

――安全領域:維持

――管理権限:相川 静


それだけだった。


詳しい説明も、警告もない。

だが、それで十分だった。


「……後で、ちゃんと見るか」


今はここが安全だとわかればいい。

静はそう判断し、部屋を後にした。


次に向かったのは、屋敷の外だ。


扉を開けた瞬間、澄んだ空気が肺に流れ込む。

土と草と、微かな花の匂い。


屋敷の周囲には、緩やかな起伏のある土地が広がっていた。

果実をつけた樹木、自然に区画された畑、柔らかな草地。


どこか、人の手が入っているようでいて、押しつけがましくない。


畑に近づき、静は一つ、実った野菜を手に取った。

試しに少し力を入れて引き抜く。


抵抗はなく、すっと抜けた。


だが、隣を見れば、同じ場所にまだ若い芽が残っている。


「……循環、してるのか」


刈り取れば終わりではない。

使われることを、前提にしている土地。


さらに歩いてみると、ある地点で、ふと足が止まった。


「……ここから先は……違うな」


境界線が見えるわけではない。

だが、空気の密度がわずかに変わる。


無意識にここが

「支配エリア」の内側なのだと理解した。


外へ出ようと思えば、出られるだろう。

だが今はその必要を感じなかった。


――守られている


その感覚が何よりも強かった。


屋敷へ戻る頃には、空がわずかに色を変え始めている。


キッチンで取ってきた野菜を洗い、簡単な料理を作る。

切る音、火の音、立ちのぼる湯気。


それらが、心を現実に引き戻してくれる。


出来上がったのは、質素な一皿だった。

口に運んだ瞬間、静は目を細めた。


「……うまい」


派手さはない。

身体にすっと染み込むような、やさしい味する。


食事を終え、後片付けをしてから寝室へ向かう。


ベッドに腰を下ろし仰向けになると

天井は相変わらず穏やかな色をしていた。


不安がないわけではない。

恐怖も、焦りも、今は感じなかった。


「……今日はここまでで、いい」


そう呟いて目を閉じる。


遠くで風が木々を揺らす音がする。

まるでこの場所が、静を受け入れているかのようだった。


世界は――

思ったよりも、やさしかった。


静の意識はそのまま、穏やかな眠りへと沈んでいく。

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