第1話
「仕事ですからね」
金髪の美女は自分を納得させるように呟いた。
高貴で気品ある容貌をしていながら、背筋はほんの僅かに緩み、歩みも気だるげ。誰が見ても「やる気はないが、やればきっと一流」という、不思議な存在感をまとっていた。
巻き毛の金髪は、陽光を受ければ蜂蜜のように柔く輝くはずなのに、今の彼女はまるでそれを持て余しているようだった。白磁のような肌と相まって貴族のような優雅さがある。だが、半ば眠たげに細められた薄灰色の双眸には、生気より先に倦怠が宿っている。
彼女の前には豪奢な館が佇んでいた。
重厚な黒檀の門扉、緻密に彫刻されたアーチ、赤い蔦が絡む石造りの壁面。
古い伝承の一部のように静かで荘厳で、同時に威圧感を放っている。人が住むというよりも、何かを封じる牢獄か要塞のようにも思える。
金髪の美女——オリヴィエが門前に立つと、風が一度だけ、屋敷の奥へ吸い込まれるように吹いた。まるで「今、境界を越えた」と告げるように。
そして門扉が音を立てて開くと、彫像のように整った顔立ちのメイドが、静かに頭を下げた。
「オリヴィエ・エヴァン様ですね」
来客への礼節と、どこか緊張めいたものがあった。
「おまちしておりました。どうぞこちらへ」
案内された館の居間には、重いカーテン越しに柔らかな光が差していた。その中央、豪奢な椅子に腰かけているのはこの館の女主人。そして、その傍らには——白銀の髪を持つ女聖術師がいた。
月光で磨いたかのような白銀の髪は、わずかな動きで冷たく光を弾く。その姿は清廉でありながら、どこか近寄りがたい峻厳さを纏っている。
六年ぶりだというのに、オリヴィエはそれが誰か一目でわかった。
アンジュリーゼ。
そしてアンジュリーゼもすぐに相手が誰かを理解したのだろう。
オリヴィエの姿を見て、口元がきつく歪んだ。まるで目の前に立つ相手そのものが、何年越しの鬱憤を刺激したかのように。
「もう一人の術師は貴女でしたの? ヘルムタール家当主の娘でありながら、聖術が使えずに落ちこぼれとして勘当された無能者オリヴィエ様?」
侮蔑を深く刻んだ声音。血のように赤い瞳には愉悦すら滲ませ、唇の端をあざ笑うように吊り上げる。
女主人はあわてて立ち上がり、顔色を変える。
「そうなのですか? この《大禍》、難易度は災厄級。失敗時は貴女の命だけでなく、この地トルメに住む者全員の生活に関わる問題なのですよ?」
聖術が使えないという言葉に焦る女主人の前でも、アンジュリーゼは鼻で笑うような余裕を崩さない。
「ご安心ください。無能者オリヴィエなどいなくとも、このアンジュリーゼが完璧に封殺してご覧に入れます。とはいえ、何もしない者に破格の依頼料を支払うのは馬鹿馬鹿しいとは思いますが」
オリヴィエは肩をすくめ、小馬鹿にするような態度で言葉を返す。
「たいした自信ですわね。聖術以外はわたくしに一つも勝てなかった泣き虫アンジュも、六年という時間で一人前のプライドを手に入れたようで何よりですわ。それと訂正を、この場には無能者でも、聖術師でもなく、精霊術師としてきています」
オリヴィエの指摘に、アンジュリーゼの頬が怒りで紅潮する。
「くっ、貴女! 誰でも使える精霊術が何? 《大禍》に対抗できる唯一無二の至高の力、聖術をもたないで、よくここに顔を出せたわね? 聖術の大家であるヘルムタール直系の血筋でありながら!!」
怒りが沸点を越え、聖術の光が全身から溢れ出す。解き放たれこそしないが、この力こそが《大禍》の核を消滅させることができる唯一無二の力である。他国の術師が来るという話であったが、六年前に無能者として追い出された相手と同格の仕事をすることになるとは、アンジュリーゼにしてみれば同列に扱われること自体が許せなかった。
アンジュリーゼの瞳は獲物をにらむ獣のそれだった。
「貴女もおっしゃった通り、わたくしヘルムタール家を勘当された身ですので、馬鹿の一つ覚えみたいな聖術自慢は六年前から変わっておりませんわね」
オリヴィエは嘲笑と、どこか諦めたような呆れを混ぜた目でアンジュリーゼを見やり、次いで女主人へと視線を向ける。
女主人は二人の衝突に耐えかね、ついに声を荒らげた。
「おやめください! こうしている間にも《大禍》の封印は弱まっているのです! 今から、新しい術師を呼ぶ余裕はありません。ヘルムタール家の事情は知りませんが、協力とはいかずとも、足の引っ張り合いをなさらないでください」
アンジュリーゼは女主人の叱責を受けても、優雅な傲慢さだけは崩さない。
「それでしたら、《大禍》の封殺に貢献した度合いに応じて報酬を支払うのはいかがですか? 先ほども言いましたが、彼女は聖術が使えません。私一人だけ働いて、同じ依頼料金というのは納得できません。オリヴィエ、貴女も無能者の汚名を返上する良い機会でなくて? 討伐対象そのものを滅ぼすことはできなくとも、その露払いくらいはできるはずよね? 下働きが十分にできたなら、わたくしも文句は言いませんわぁ~」
まるで“どうせできないでしょうけれど”と言わんばかりの声音だった。
「依頼人の意向に従いますわ」
オリヴィエは実にあっさりと答える。その軽さに、女主人は戸惑いつつも了承するしかなかった。
「それではこちらへ、もはや《大禍》の封印を維持するのも難しく、再封印も難しい状態まで悪化しております。封印を解きますので、聖術師様はどうか《大禍》の核を撃ち滅ぼしてください。精霊術師殿はその助力を……」
館の奥へと進むにつれ、空気が重く、冷たく沈んでいく。
中庭――といってもかなりの広さがある敷地――の中央にそびえる巨大な石碑から、禍々しい黒煙のようなオーラがゆっくりと漏れ出していた。
万が一にでも自然に封印が解けた時のためにか、百数十人の軍人や武装警官、十数人の低階梯聖術師たちが緊張した面持ちで、遠巻きに石碑を囲んでいる。
「この世界の淀みが集まり《大禍》の核を消滅できるのは聖術師のみ、オリヴィエ様はアンジュリーゼ様のサポートを。《大禍》から溢れ出る眷属とて侮ってよい相手ではありません。むろん、我らも助力しますが」
女主人の声は震えを抑えようとしていた。
軍人たちが一斉に武器を構える。聖なる刻印が施された剣や槍の他に、多数の銃剣、四方には大砲などの攻城兵器や最新の回転式重機関銃までも配置されている。
もっとも仮に十倍以上の戦力をもってしても彼らだけでは気休め程度にしかならない。
とはいえその事実を知りながらも、民間人に被害が及ばないようにこの場にいるだけでも十分に勇気ある行為である。
中庭の外縁では、配置された低階梯聖術師たちが光の障壁――聖盾を展開する。万が一にも失敗しても、次の聖術師が派遣されるまでの時間稼ぎにはなるだろう。
「それでは封印を解きます。戦闘の用意を」
女主人はそう言って《大禍》の封印を解く呪文を詠唱する。
《大禍》が自然に封印を破るよりは、あえて人為的に封を解くことで多少は被害が抑えられるのだ。本来であれば、ここまで《大禍》が膨れ上がる前に対処したかったが、昨今の政治的情勢や経済的な問題など、様々な要因が重なり、災厄級――《大禍》の中でも上位の等級にまで膨れ上がってしまった。領民たちの避難こそ終えたが、最悪の場合はこの地は人の住めぬ汚染区域となるかもしれない。
(だというのに頼みの綱が……)
傲慢な態度を崩さないアンジュリーゼ。
今一つやる気の感じられないオリヴィエ。
不安しかないが、これ以上の時間をかければ《大禍》が封印を吹き飛ばして、より深刻な被害をもたらすのは間違いない。
女主人は最後の詠唱を終えると、石碑は崩れ去り、闇が広がる空間――まるで世界を割るかのようにヒビが入り、そこから異形の存在が溢れ出す。
半人半獣の怪物たち、あるいは巨大化した害獣、害虫の群れ、不定形の粘液や触手など、おおよそ人々が嫌悪感を持つ姿の怪物の群れが、ひび割れた空間から外に出た瞬間――荒れ狂う暴風と火炎が薙ぎ払い、その姿を完全に見せることなく消滅する。
「ふん」
決死の覚悟を固めて怪物たちの群れに対峙しようとしていた軍人たちは何が起こったのか理解できなかったようだが、それを理解した聖術師アンジュリーゼは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
女主人もアンジュリーゼに少し遅れて、《大禍》の眷属を瞬殺したのが誰かを理解する。オリヴィエ・エヴァンは気だるそうな態度のまま、今も溢れ出てくる眷属の群れを次々に葬り去っている。
圧倒的な速度と正確性、そして破壊力であった。
一方的に、一瞬で《大禍》の眷属たちが猛威を振るう間も与えずに、裂け目から出た瞬間に滅する実力は、女主人の想像以上だった。
さらに驚かされたのは並外れた集中力と持続力である。
《大禍》の眷属たちは次から次へと溢れ出てくるにも関わらず、数十分、一時間、数時間、半日――オリヴィエは怪物たちの群れを遂に一匹もまともに出現させることもなく消滅させたのである。
「核が出てきますわ」
《大禍》が解き放たれてから、オリヴィエは精霊術を行使する以外で初めて口を開く。
炎も、雷も、石飛礫や氷雨も、今までの眷属たちと違い、それには通じない。
《大禍》の核である真なる災厄。
次元の割れ目から現れたそれは、目も鼻も口も耳もないのっぺりとした貌のない人型の闇だった。今まで眷属たちを一瞬で滅ぼしてきたオリヴィエの精霊術も、一切ダメージを与えていない。
【終、無、無、無、壊れろ、嫌だ、滅び、世界、世界、人、人、人、消えろ、辛い、苦しい、赦さない、赦さない、赦されない、お前らみんな、死、死、死、死死死死死、狂え、朽ちろ、あああ、助けて、お父さんお母さん、嫌だ嫌だ、やめろ来るな、ひひひ楽しい、呪え、堕ちろ、狂え、狂え、誰か、そこにいるの?】
《大禍》の核から聞く者の精神をかき乱す声が脳に直接届く。
気の弱い者ならば聞くだけで発狂するような声に、覚悟を決めていた女主人や戦うことを生業にする兵士たちも本能的な恐怖に震えた。
震えない者はただ二人、聖術師アンジュリーゼと精霊術師オリヴィエだけである。
「等級が災厄であっても、意味のある言葉は聞けませんわね。まあ、わたくしの『聖砲』の前には命乞い以外の言葉は不要ですけど!」
アンジュリーゼは不敵な笑みを浮かべ、両手に光を集中させる。
そして集められた光を解き放ち、闇を撃ち貫いた。
【あ、あ、あ、あ、ああああああああ!!!!!!】
闇が震える。
人型がバラバラに分解されて、激しい光の奔流に呑み込まれていく。
そしてアンジュリーゼから解き放たれた光が消えた時には、闇の人型も完全に消滅していた。
聖術の中でも上位の攻撃力を誇る聖砲の術式。
《大禍》に対する特攻性も含めて、今回の災厄等級よりも上位である大災等級の核も消滅させることができる一撃。傲慢な態度も納得できるだけの実力を持っていることに、依頼人である女主人はアンジュリーゼのことを少しばかり見直した。
いかにオリヴィエの精霊術が精密であったとしても、やはり《大禍》に対しては有効打を与えることはできなかったのだから。最後の締めをするという点においては、聖術師は契約通り仕事を果たしたということになる。
「ふん、話になりませんわね。まあ今回は露払い程度の――」
アンジュリーゼが言葉を続ける前に、オリヴィエは足払いをかけて転ばせる。
勝ち誇って完全に油断していたアンジュリーゼはまともにすっころび、まともに地面と口づけをする。
「詰めが甘いのは、変わらないのですね」
「な、なにを!」
オリヴィエに抗議しようとしたアンジュリーゼは、自分が先ほどまでいた空間に無数の闇の槍が突き刺さっているのを見てギョッとした。転んでいなければ、何本もの槍が胸を串刺しにしていただろう。
闇の槍は標的を外したのを理解したのか、空中で蛇がのたうつように動き、穂先を曲げて、倒れたままのアンジュリーゼに襲い掛かる。しかし、再び闇の槍は空を切り、誰もいない地面を突き刺した。
聖術師の体が、風の精霊によって宙に飛ばされたのだ。
「さっさと始末してくれません? 貴女の仕事ですよね、アンジュリーゼ?」
「い、い、いわれなくとも!」
空中で態勢を整えたアンジュリーゼは再び「聖砲」を撃つ構えを取り、地面に突き刺さった闇の槍に光の砲撃を放ち、今度こそ闇を消滅させた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
「それでは、報酬の比率に依存はありませんね?」
アンジュリーゼの言いだした貢献度に応じた報酬は結局のところ、オリヴィエが七、アンジュリーゼが三の割合に落ち着いた。眷属たちを一匹も外に漏らさなかった手腕や核との戦闘による的確なサポートなどを考えてのことである。
言いだしっぺであるアンジュリーゼは悔しそうに体を震わせてはいたが、報酬に関しての文句は言わなかった。しかし、真っ赤に腫れた顔と頭のたんこぶは別だったらしく、オリヴィエに突っかかる。
「貴女の風があれば、足払いは不要でしたわよね?」
「ひいふうみいいつ」
「最後に闇を払った後、浮遊を解除しましたわよね?」
「むう、なな、や、ここ、とう」
「ちょっと、お札を数えるのをやめてもらえませんこと!?」
聖術師はダンと机を叩くが、オリヴィエは積み上げられた札束を揃え直して、革鞄に入れていく。
戦闘終了と同時に、アンジュリーゼを浮遊させていた風の力を切ったことで、彼女の頭には見事なたんこぶができてしまったのである。聖術師は普通の人間よりも丈夫ではあるが、まともに地面と激突してたら無傷ではすまない。
「聖術だけじゃなく、体術も学ぶべきでしたわね」
オリヴィエの言葉にアンジュリーゼの顔が怒りと羞恥で真っ赤に染まる。元々腫れていた顔がさらに赤くなりまるでリンゴのようである。さらに何かを言うとする前に、オリヴィエは気だるげな声で告げる。
「聖砲の威力は十分でした。《大禍》が核を腑分けしていたのでなければ、最初の一撃で決まっていたでしょうね。六年間、相当修行したのは、聖術の使えないわたくしにもわかりますわ」
「っ!」
アンジュリーゼは怒りや羞恥とは別の感情を抑えるように歯をぎりッと鳴らす。その様子に気づいているのかいないのか、オリヴィエは言葉を続ける。
「《大禍》の多くは思考のようなものを持ちませんが、中には戦術を練るものもいます。次は油断しないで事にあたりなさいな。泣き虫アンジュ」
そう言って最後の札束を鞄に入れると、オリヴィエは鞄を持って立ち上がる。
戦闘時の鋭さが嘘のような、気だるそうな世捨て人のような態度に、アンジュリーゼは再び眉をひそめる。
「待ちなさい、オリヴィエ! いったい、どうして帰ってきたの? あなたを捨てたヘルムタール家の本拠地がある国に、どうして?」
「……」
「貴女を捨てた復讐でもするつもり?」
「……」
「それとも……、本家に戻るの?」
「別に、仕事だったから立ち寄っただけですわ。資金もできたことですし、しばらくこの国にいる予定ですけど。今更ヘルムタール家にも興味はありませんわ」
オリヴィエはめんどくさそうな口調でそう言った。
そこからは何の感情も読み取れない。
怒りも悲しみも。
興味のない話題を振られた程度の反応しかない。アンジュリーゼの知っている――ヘルムタール家――両親に認めてもらおうと、必死にあがいていた少女の姿はそこにはない。
「それじゃ、失礼しますわ」
それが別れの言葉だった。
アンジュリーゼが次の何かを問う間もなく、オリヴィエは立ち去る。
彼女の活躍を目の当たりにした兵士たちは、是非ともお礼を述べたいと集まった。だが、オリヴィエは固辞して、女主人から教えられた裏口に向かってそっと姿を消す。
残されたアンジュリーゼは呼吸を落ち着かせた後、自分の失態とオリヴィエの帰還を知らせるため、ヘルムタール本家に向かう。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
暗い闇の中、目深なフードを被った者たちが集まっていた。
老若男女、種族を問わず、共通点らしい共通点はない。
「トルメの《大禍》が消滅――。それも何の被害も出さずに」
「ありえない」
「だが事実だ」
「派遣されたアンジュリーゼは一撃特化の術師だ、産まれ出る《大禍》の相性は悪くなかったはずだが?」
「聖術の使えぬヘルムタールの落ちこぼれがサポートしたらしい」
「何故だ? ヘルムタール家から追い出されたのだろ?」
「わからぬ、だが目くらましには使えるかもしれぬ」
「邪魔になれば?」
「邪魔になれば殺せばいい、聖術が使えぬなら恐れる必要はない」
囁くような声音が次々と重なり、闇の中に溶けていく。
外見には一切の共通点はなかった。だが、その声音の奥に隠れた深い負の感情は一致している。世界に対する絶望、失望、怨嗟、邪気、どこまでも暗い負の感情。理性的でありながらも、全員が共通するある種の破滅願望に近い狂気の色を宿していた。
「いずれにしてもトルメに被害が出なかったのは問題だ。早急に次の《大禍》を成長させねばならぬ。黙示録の時をむかえるために」
緩やかに、秘かに、彼らは次なる災厄――《大禍》を引き起こすための準備を整え始める。
この危機に気づいている者は誰もいない。
少なくとも今この時は。
彼女に神の祝福は無く 神楽神奈 @kagurakannna0910
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