火球
なんば
第1話
喉に違和感があり、鏡の前でパッと口を開けると、そこには火球が見えた。
手を突っ込んで消そうと触れると、ゆらゆらしていた。生温く、それでいて奥底の方では冷気を放っている。
しばらく触れていると余計に大きくなっている気がしたので、手を止めて口を閉じた。
時間が経てばなくなるに違いない。
そう考えた私は、服を着替えて車に乗り込んだ。
運転していると、喉奥が気になって仕方がないので、試しに声を出してみることに決め、
「あー」と発声してみると、火球が飛び出しそうになったので慌てて口を手で押さえた。
見慣れた川を越え、手入れのされていない生い茂る森を通り過ぎると、職場へ着いた。
見上げるとそこは小汚い学校で、私はここで教師として働いていた。
この日は一限から授業をする予定があり、準備をしなければならない。
だが声が出せない状況でどう授業をすればいいのだろうか。
どうにかしようと考えを巡らせていると、同僚が、いつも通りの調子で挨拶をしてきた。
返事をしようにも出来ないので、手を振って誤魔化し、声が出ないことを紙に書いて知らせるため、
ペンを握り、文字を書こうとすると、口の奥の火球が大きくなってゆく。
それに気づいた私は、手を止め、頭を抱えた。
授業が始まった合図がした。生徒が座って待っている中、教室へ向かわない私を見て、職場の人間が黙っているはずもなく、あれこれ言い始め、しまいには怒鳴り始めた。
それでも何の返事もしないので、代わりに同僚が教室へ向かうことになり、私は自責の念に駆られた。
仕方なく事務作業を行う素振りを見せると、怒鳴っていた職員は呆れて自分の席に戻ってゆく。
この日は一日中事務作業をして何とかやり過ごしたが、教師を生業にしている私にとっては、声や文字が使えないのは致命的であった。
放課後になり仕事が終わると、相当の注意を受け、車に乗り込んだ。
叫びたかったが、依然として声は出せず、私はこれからのことを想像した。
火球を消そうと水を飲んでも、パンで押し込もうとしても無駄だった。
何をやっても悪足掻きに過ぎない。
そう諦め、明日も今日と同じように過ごそうと決心すると、アクセルを踏んだ。
帰る途中、車内にはどこか重苦しい空気が漂っており、ハンドルを切るのも億劫だった。
見飽きていた景色さえ、この非日常的な現状のおかげで新鮮に思える。
夢だと言い聞かせるたび、現実だけが重く残った。
家に着くと真っ先に浴室へ向かった。
シャワーを火球に浴びせてみても小さくならない。
喉の違和感には慣れて問題ではなくなっていたが、最初からそんなものは問題ではなかったのだ。
私は火球があらゆるものに危害を与えるのを恐れている。
そのためにこんな目にあっているのだから、たまったものではない。
いっそこの爆弾を解き放とうかと考えたが、私にそんな度胸はなかった。
何も変わらず今日が終わる。
目が覚めても、変わらない。
これは直感というよりは、喉の違和感で分かった。
私は立ち上がり、水を飲むと、今日も職場へ向かう覚悟を決めた。
しっかりと朝食を取り、コーヒーを嗜み、着替えると、車に乗り込んだ。
そして見慣れた景色を通り過ぎようとしたとき、道端から物影が飛び出てきた。
すると私は思わず「うわ!」と声を出してしまった。
それも束の間、一瞬声を出せたという事実より先に、頭にはある考えが浮かんでいた。
その考えは「実は声を出しても火球は飛び出さないのではないか」というものだ。
試しに「あー」と言ってみても、声が響くだけで何も起きなかった。
自分の声を聴くのは随分久しぶりのように感じ、私は大層喜んだ。
これで謝罪もできるし、束縛から解放されたのだ。
職場に着くと、職員室へ向かう。
扉の前に立つと、まずは謝罪しようと決め、呼吸を整えると、一歩踏み出した。
皆の視線を感じる中、息を吸い込み、口を開ける。
だが、声は出なかった。
火球が邪魔をしている。
私は頭が真っ白になり、頭を下げる仕草をすると、皆呆れたと言わんばかりに目線を下げ、
仕事を再開してゆく。
私は昨日と同じように事務作業を始めた。
今日は誰にも何も言われず、それが余計に胸を抉った。
生徒の前で授業をしていた私の姿が脳裏をよぎる度に、自分の首を絞めたいという衝動に駆られたが、
そんなことは無意味だと理性が慰めるように言い聞かせる。
事務作業をしていると、時間が経つのが早い。
同じような作業を何度も何度も繰り返すと、脳が考えることをやめるからだろうか。
あっという間に、仕事の終わりを知らせる音が鳴っていた。
急いで車に乗ると、叫んだ。
それでも、まだ足りなかった。
火球 なんば @tesu451
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