第15話 普通の葛藤

葛藤を引きずりながら、一乃は寮の食堂へと向かった。


食堂の入口の黒板には、夕食のメニューが書かれている。山ノ井寮母の達筆な字のそばに、可愛らしいハンバーグのイラストが添えられていた。学生アルバイトが描いたらしい。いつもの学生寮の雰囲気に緊迫した気分が少し晴れる。

(今は腹ごしらえ、だよね!)


寮の食堂は、最近作られたカフェテリアとは趣が異なる。床には少し艶のある木目が走り、長方形の焦げ茶のテーブルが整然と並ぶ。黒い梁が天井を横切り、レトロな灯りが穏やかに照らしている。安心感のある雰囲気だ。



「おっ来たね、一乃ちゃん!」

「う、うん。お待たせ」

今日の密葉は、白シャツにベージュのスラックス、サスペンダーを合わせた英国風のクラシカルなファッションだった。探偵服スタイルではないものの、かなり目立っている。



「京子おばちゃん、下りてきたよー。食べられる?」

密葉はカウンター越しに山ノ井寮に声をかけた。


「まじめに学業に取り組まない生徒に食わせる飯はないよ」

山ノ井は密葉に向けて冷ややかな声で返す。

「えぇ!?ご飯抜き!?そんなぁ~」


「おやおや、束原さん。今日は早いね。待ってね、すぐ用意するよ?」

「あ、ありがとうございます」

一乃には相変わらず優しいものの、普段より疲れているように見えた。やや重い足取りで厨房に引っ込む。



密葉の分の食事も用意してもらえたようで、少し遅れて密葉も席につく。

トレイに乗った定食に合掌した後、一乃はおそるおそる口を開いた。

「えっと、知野さん……でいいんだよね?」

「密葉でいいよ」

「え、えっと……密葉、ちゃん?」

「密葉でいいって」

「じゃあ、えっと……密葉?」

「なになに?一乃ちゃん?」


緊張していた一乃だが、自然と周囲の目が気にならなくなっていた。いつもなら、こんな奇抜な相手と話せば、周りの視線が刺さるように感じていたはずなのに。

(なんでだろう……昨日、不死原くんに歯向かったから? 何か、吹っ切れた?)


「知野さんは、あまり学校には行っていないって……言ってたよね」

言葉を選びながら、やや探るように聞く。

「ううん、学校には行くよ?非公式にはね。それがボクの担当だからさ」

密葉はナイフとフォークを使って、今日の夕食であるデミグラスハンバーグを貴族のような所作で口に運んでいた。



「……担当?」

「ふふ、まぁ、追々わかるよ。一乃ちゃんは自宅部の“要観察対象”になったからね」

「え?何それ」

「あれ聞いてない?賢が言ってた。一乃ちゃんの分析に固執してるみたい」

「要観察って一体何されるの?」

「知らない。こんなこと初めてだもん。一乃ちゃんすごいね!」

「えぇぇ…」

まったく嬉しくない。



「それより、最近京子おばちゃん、ピリピリしてるでしょ?あれ、何なんだろうね」

「え……それは、密葉が怒らせたんじゃ……」

「いや、ボクたちはずっと不登校で変わらない。なのに、最近のその苛立ちは少し違う。何か、他の原因があるんじゃないかって」

密葉の目に一瞬だけ真剣な光が灯った。あの夜披露した鋭い観察眼や推理を思い出して少しだけ背筋がぞわりとした。


しかし、飽きてしまったのか、別の話題に移る。密葉は不登校の生徒とは思えないほど明るく、何だかウキウキしている様子だった。


私はハンバーグを口に運びながら、ふとあの夜のことを思い出していた。今なら気になっていたことを聞くチャンスだ。

「あのさ、あの夜のことなんだけど……えっと、不死原くんのあれは、一体……?」

「ん?あぁ、あれね。本人も別に隠してるわけじゃないし……まあ、隠せてないし。一乃ちゃんには言っちゃうけど、賢は”社交不安症”なんだよ。」



「えっ?」

「社交不安症。人との交流を極度に恐れる不安障害の一種だね。人と関わることによって、動悸、震え、発汗などが現れることもある」

「でも……教室でリモート授業を受けてるときとか、あの夜も部屋に入ってきたときは、すごく堂々としてたよね?」

一乃が知っている不死原賢は、授業中に教師に正論をぶつけて論破するような強メンタルの持ち主だ。


「そうそう。話す相手のプロファイルが完成していれば問題なく話せるんだ。教室には知らない人がいっぱいいるだろうけど、カメラ越しなら実質教師と一対一だしね」

「プロファイル……性格がわかってるってこと?」

「半分は正解だね」

ピンとこない私に、密葉は笑いながら少し身を乗り出した。



「幽霊って、怖いと思う?」

「え?」

唐突の話題の変化に戸惑う。

「えっと……まあ、不気味だし、呪われるかもとか……」

「一乃ちゃん、わりとファンタジー派だね。でもね、実は一番の怖さって“正体がわからない”ってところにあるんだ。もし幽霊が『どうも、鈴木です』って名乗ってくれたらどう?」

想像して思わずクスリと笑う。


「……確かに、怖さはだいぶ減るかも」

「でしょ?賢にとってのプロファイリングっていうのは、まさにそれ。人の性格を読みきれば、その人の正体がわかるってこと。次の行動も読めるし、会話の戦略も組み立てられる。賢は心理学の膨大な知識を使って性格を分析するだけじゃなく、その相手に応じたアプローチも導き出す。だから安心して会話できる」

「……すごいね」


私は心の底から感心していた。もし本当なら、まるで人の中身を透視するような才能だ。いや、才能だけではない。きっと本人が時間をかけて勉強した成果だ。


「でもね」と密葉はちょっとだけ声を潜めた。


「だからこそ、分析できない相手に対しては……逆にものすごく不安になるんだよ。昨日の一乃ちゃんみたいに」

「……私って、そんなにわかりにくい性格なのかな……もしかしてすごく特殊とか……?」

わずかに期待を込めて言ってみた私に、密葉は満面の笑みで答えた。

「特別だよ! 賢が分析できないほど、すっっごく普通ってことなんじゃないかな!!」

「……っぐう。」

ガクッと肩を落とす。何も突出したものがない自分の中途半端さを呪った。



部活帰りの生徒たちも続々と食堂に集まってきた。男子生徒のグループが黒板のメニューを見てわいわいと盛り上がっている。


密葉は使い終わったナイフとフォークを並行に並べ、紙ナプキンで上品に口を拭いていた。

「ねえ、一乃ちゃん。なんでさっきから僕のこと、そんなにマジマジと見てるの?」

ドキリ、と心臓が跳ねた。

「えっ、えっと……昨日の密葉の推理、すごかったなって。だから真似をして、今日の服装とか行動とかから、何か推理できないかなって、思って……」

顔が熱くなる。影響されやすい自分が、またしても出てしまった。


「ふふっ、弟子入り希望ってやつ?」

「そ、そういうわけじゃ……」

「何か分かった?」

密葉はいたずらっぽい笑顔で本当に楽しそうに聞いてきた。


「いや、おしゃれな服で似合ってるなってことぐらいしか…」

「ほんと?見る目あるね。ありがと!」

密葉は照れたように笑う。


「じゃあ、特別にちょっと教えてあげるよ。例えば、ほら、さっき座った彼。多分、弓道部の人だよ」

密葉はそう言って、食堂の少し離れたテーブルに座っている男子生徒を目で指し示した。


まさかと思いつつも、一乃は思わず彼を見つめた。

「信じてないね?確かめてみようか?…ねぇ、君!」

席から少し身を乗り出し、いきなり話しかけた密葉に、男子生徒はぎょっとしたような顔をしつつも振り向いた。


「……はい?」

「部活、何やってるの?」

「……弓道部、ですけど?勧誘ならちょっと……」

「いやいや、聞いただけだよ。ありがと」

不思議そうにしながらもその生徒は食事を続けた。密葉は指を組んで得意そうに笑った。


「…合ってる!……なんで分かったの?」

「まず、右手の人指にテーピングしてる。引き手の指を保護してるんじゃないかな。弓道って、離れる瞬間に弦で指をこすられるから。あと、左手には親指の付け根の部分にマメができてるのが見えたんだ。弓道なら弓を握る手にも力がかかるからね。それに、肩回りの筋肉の張り方も見て。左右のバランスが独特で、あれは弓道特有の型で鍛えられた証拠だよ」

「……すごい」

「でしょ?」

密葉が得意げに胸を張る。


正直、一乃には左右の筋肉のつき方の違いはわからないし、小さな手のマメは見ようとしてもなかなか視認できないほどだ。


「いきなり全部を見ようとしなくていいんだよ。観察するポイントを絞るのがコツ。一番特徴的なところを見るんだ。特徴がなければ、最初に見るのは利き手、その次に注目するのは怪我や癖、それから服装もヒントになる。どこが生活に直結してるかを想像するんだ」

「へぇ~……」

ただただ感心してしまう。目の前で推理ショーを見せられたような感覚だった。


「部活っていうのは生活の一部だから、ふとした仕草や癖に染み出すんだよ。特に全国レベルでやってる人たちはね。筋肉のつき方とかも勉強すればなかなか面白いよ」

「そんなマニアックなこと勉強してるの、密葉ぐらいだよ」



夕食を終えた頃には、すっかり日が落ちていた。建物の外は暗闇に覆われ、食堂の電灯だけが、やわらかな光を投げている。


食事を終えた密葉は腰に下げられているポーチを開いた。コンパクトだが、見慣れない様々なものが入っている。探偵ポーチといったところだろうか。


「じゃ、食事と推理の後は……甘いものでクールダウンだね」

密葉はポーチから細長い袋を取り出した。封を切って取り出したのは、先端が火皿のようになっている筒状の物体。洋画でたまに見るやつだ。

「それ……パイプ?タバコはダメだよ」

「違う違う。パイプチョコレートっていう僕の好きなおやつだよ」

「へ?」

「火皿の部分はチョコ、筒の部分はクッキー生地になっていてね。筒の内側には香りがコーティングされているんだ。ほら、吸うとほんのり香るんだよ。今日はアールグレイ風味さ」

一乃は思わず笑ってしまった。


「……やっぱり変な人だよ、密葉は」

「褒め言葉と受け取っておくよ」

「そんなお菓子初めて見たけど、売ってるの?」

「僕が考案したんだよ」

「え!?」

「購買部で買えるよ。一乃ちゃんも試してみる?……あ、でも一度ハマると抜けられないよ?」

その言い草に、一乃はまた吹き出した。


それにしても、人の行動を見抜く観察眼に、独特な知識、商品の考案まで、密葉は本当に多才だ。



一乃はどこか、”うらやましい”と思い始めていた。

密葉の推理力、大夜の技術、亜衣の画力、そして賢の頭脳、みんながそれぞれに、突出した何かを持っていて。それに比べて、私は……。



あの夜の、賢の言葉がふと脳裏に浮かんだ。



『才能とは、人それぞれに配られたカードのようなものだ。強い札もあれば、弱い札もある』



(じゃあ、私に配られたカードは……きっと絵柄も数字もない、真っ白なカードなんだろうな)

胸の奥に、静かに小さなコンプレックスが灯った。

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