シンクロ・クラッシュ

その瞬間、戦場から音が消えた。

降りしきる雨の音も、砲撃の轟音も、泥を蹴る軍靴の響きも。すべてが唐突な「静寂」に飲み込まれたようだった。

都市の地下司令部。

巨大なメインスクリーンに映し出されていた無数の「青い光点」が、一斉に停止したのだ。

進軍中だった一万のレギオンが、まるで糸の切れた操り人形のように、戦場の只中で凍りついている。

「……何が起きた?」

カシマが立ち上がり、コンソールを叩いた。

「通信障害か? 敵のジャミングか?」

「いえ、違います!」

オペレーターが悲鳴のような声を上げた。

「外部からの高出力信号を受信しています! これは……ジャミングじゃありません。データ注入(インジェクション)です!」

「データだと? ファイアウォールはどうした!」

「すり抜けられました! いえ、敵は我々の『共有プロトコル』と完全に同じ規格を使用しています! 認証コードが……『管理者(アドミニストレータ)』として認識されています!」

私の背筋に冷たいものが走った。

このシステムの根幹を知る人間は、世界に三人しかいない。私と、カシマと、そして……。

次の瞬間、司令部のスピーカーから、その「信号」が漏れ出した。

――痛い。

――熱いよ、お母さん。

――殺さないで。嫌だ、嫌だ、嫌だ!

それは、電子音ではなかった。

何千、何万という人間の、断末魔の叫び。

スラム街から連れ去られ、実験動物のように使い潰され、ゴミのように廃棄されていった「デポジター」たちの、最期の瞬間のクオリア。

私が「ブリーチ」して消し去ったはずの、血と泥にまみれた生の感情が、圧縮されたパケットとなって逆流してきたのだ。

「馬鹿な……!」

カシマが叫ぶ。

「なぜ『意味』が残っている! フィルタを通しているはずだ!」

「違う、カシマ……」

私は震える手でモニターを指差した。

「これは正規ルートじゃない。敵は、兵士たちの微小管が持つ『固有振動数』に、生の悲鳴を直接共鳴(レゾナンス)させているんだ!」

スクリーンの中の光景が、地獄へと変わった。

凍りついていた兵士の一人が、突然、自分の銃を捨て、頭を抱えて絶叫した。

続いて二人目、三人目。

屈強な兵士たちが、次々と泥の中に倒れ込み、のた打ち回り始めた。

【システムエラー:論理矛盾(パラドックス)を検出】

私の手元の端末に、見たことのない警告ログが滝のように流れる。

彼らの脳は「結晶化」され、「自分は痛みを感じない」「敵を排除することは正義である」という単純な論理で固定されていた。

そこへ、自分が殺した相手の痛み、あるいは自分が身代わりにした同胞の痛みが、ダイレクトに流れ込んだのだ。

――私は撃った。だが、撃たれたのは私だ。

――私は痛くない。だが、私は死ぬほど痛い。

――私は正義だ。だが、私は人殺しだ。

「加害者」である自分と、「被害者」である自分の感覚が、脳内で無限にループする。

強固に結晶化していたからこそ、その矛盾(ひび割れ)は致命的だった。

柔軟な水なら衝撃を逃せただろう。だが、氷は砕けるしかない。

パリン、という幻聴が聞こえた気がした。

それは、一万人の兵士たちの自我が、一斉に砕け散る音だった。

「やめさせろ! 接続を切れ! 強制シャットダウンだ!」

カシマが狂ったように叫び、緊急停止レバーを引いた。

だが、止まらない。

レギオンは中央制御を離れ、個々の脳内で暴走する「痛み」の連鎖によって、自壊を始めていた。

ある者は自分の目を抉り出し、ある者は味方に向かって乱射し、ある者は立ったまま泡を吹いて絶命した。

「死傷者ゼロ」を誇った無敵の軍隊は、たった一発の「悲鳴」という弾丸によって、自滅したのだ。

その混沌のさなか、スピーカーから流れるノイズ混じりの絶叫の中に、私は聞き覚えのある声を聞いた。

『……先生、助けて』

あの少女だ。

私がスラムで見捨て、自らの手で接続キーを押した、あの少女の最期の声だ。

それが刃となって、私の心臓を貫いた。

「ああ……あああ……」

私は床に崩れ落ちた。

これは罰だ。

私たちが作り出した「感情のない世界」に対する、感情そのものからの復讐だ。

「……クズミ」

私は呻くようにその名を呼んだ。

君は、これをやったのか。

友である私を地獄に落とし、祖国の軍隊を壊滅させてでも、君は「人間」を守ろうとしたのか。

モニターの向こうでは、隣国軍の部隊が、混乱するレギオンの制圧を開始していた。

それは戦争ではなかった。

錯乱し、泣き叫ぶ子供のようになった兵士たちを、武装解除していくだけの作業だった。

カシマは呆然と立ち尽くしていた。

彼の自慢だった「青い照明」の群れは、今やどす黒い赤色に変色し、次々と光を失っていた。

「僕の……僕の完璧な秩序が……」

シンクロ・クラッシュ。

それは、私たちが築き上げた「硝子の塔」が崩落する音だった。

そして、その瓦礫の中から、私たちが捨て去ったはずの「痛み」だけが、鮮やかに、そして残酷に蘇っていた。

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2026年1月13日 00:00
2026年1月14日 00:00
2026年1月15日 00:00

リフラクター 深山朝露 @miyama-choro

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