フィラメント
都市の地下、第三種データ処理センター。
無機質なコンクリートの壁に囲まれたこの空間に、今夜、新たな「部品」が搬入されてきた。
大型トラックの荷台から降ろされたのは、オレンジ色の囚人服を着た凶悪犯たちではない。
薄汚れたジャケット、穴の開いたセーター、そして怯えた瞳をした、ただの市民たちだ。
彼らは「戦時特別労務者」という名目で、スラム街『沈殿槽』から根こそぎ連行されてきた人々だった。
「……並べ。抵抗するな。国のために働く名誉を与えるんだ」
警棒を持った憲兵たちが、老人や女性を乱暴に誘導し、空いた簡易ベッドへと押し込んでいく。
彼らは何が起きているのか理解していない。「暖かい食事が出る」と騙されてトラックに乗った者もいれば、銃口を突きつけられて引きずり出された者もいるだろう。
私はメインコンソールの前で、震える指を組んでいた。
モニターには、彼らの生体データが表示されている。栄養失調、慢性疾患、未治療の怪我。
正規の「ペイン・アクセプター(苦痛受容者)」としての基準を満たす者は一人もいない。彼らの脆弱な脳(ハードウェア)に、軍用レベルの激痛を転送すればどうなるか。
廃人になるまでの時間は、正規の囚人の半分も持たないだろう。
「CTO、接続準備はまだか?」
背後からカシマの声がした。
彼は不機嫌そうに腕時計をタップしている。
「前線からの負荷が増えている。現在の『在庫』ではあと三十分持たない。……早く新しい回路を開け」
「……彼らは民間人だ、カシマ」
私は喉の奥から声を絞り出した。
「適合率が低すぎる。今のプロトコルのまま接続すれば、ショック死する者が続出するぞ。せめてフィルタの強度を上げないと……」
「フィルタを上げれば、その分だけサーバー(彼ら)の数が必要になる」
カシマは冷たく切り捨てた。
「質より量だ。壊れたら交換すればいい。スラムにはまだ数万人の『在庫』がある」
私は唇を噛んだ。
カシマの脳は、既に完全に「結晶化」している。彼にとって、目の前の老人や子供は、ただの炭素有機体でできた消耗品にしか見えていないのだ。
その時、モニター越しに監視カメラの映像を見ていた私は、息を呑んだ。
C-4ブロック。
憲兵に腕を掴まれ、ベッドに押し付けられている小柄な少女。
見間違えるはずがない。あの日、スラムで私に水をくれ、クズミのことを教えてくれた少女だ。
「いやだ……離して! 先生! 先生助けて!」
彼女の悲鳴は、防音ガラスの向こうで無音の口パクとなって私の目に届いた。
彼女は必死に抵抗し、憲兵の手を振り払おうとしている。だが、すぐに別の憲兵が駆けつけ、彼女の細い首筋に無慈悲な電極プラグを押し当てた。
「……やめろ」
私は立ち上がった。
「あの娘はダメだ。接続するな!」
カシマが眉を顰めて私を見た。
「知り合いか? ……ふん、感傷的だな」
彼は顎で憲兵に合図を送ることもせず、私に冷たい視線を固定したまま言った。
「なら、代わりにお前が座るか?」
空気が凍りついた。
「……何だと?」
「お前の脳は優秀だ。処理能力も高い。あの娘一〇〇人分くらいの耐久力はあるだろう。……もし彼女を救いたいなら、お前が今すぐあのベッドに行き、右脚を吹き飛ばされる苦痛を肩代わりすればいい」
カシマは腰のホルスターに手を置いた。脅しではない。彼は「合理的判断」として、私を処理することに何のためらいもないのだ。
私の脳裏に、激痛のイメージが走る。
あの囚人たちが見せていた、地獄のようなたうち回り。
私が座れば、私は死ぬ。あるいは、永遠に終わらない拷問の中で発狂する。
――嫌だ。
本能的な恐怖が、私の全身を支配した。
私は「青い照明」を見つめるだけの観測者でいたい。安全な場所から、神のように世界を記述する側でいたい。泥の中を這いずり回るのは、私ではない誰かの役目だ。
私はゆっくりと、椅子に座り直した。
視線は、モニターの中の少女から逃げるように、手元のキーボードへと落ちた。
「……プロトコル、書き換え完了」
私の声は、他人のもののように乾いていた。
「民間人用強制接続モード、スタンバイ。……カシマ、実行権限を移譲する」
「いいや」
カシマは私の耳元で囁いた。
「お前が押せ。これはお前の技術だ。お前が始めた物語だろう?」
私は震える指を、エンターキーの上に置いた。
これを押せば、あの少女の脳に、戦場の悪意が雪崩れ込む。彼女の「澄んだ瞳」は、瞬く間に絶望で濁り、焼き切れてしまうだろう。
クズミ。すまない。
私は君のように強くはなれなかった。
私は自分の命惜しさに、君が守ろうとした「光」を、この手で消そうとしている。
――ごめん。
私は目を閉じ、キーを押し込んだ。
『接続開始』
モニター上の数千のグレーの点が、一斉に赤く変色した。
同時、フロア全体が微かに振動したような錯覚を覚えた。それは、新たに数千人の人間が同時に上げた、声にならない悲鳴の衝撃波だった。
C-4ブロックの映像を見る勇気は、私にはなかった。
「よくやった、CTO」
カシマが満足げに私の肩を叩く。
「これで前線のレギオンはあと三日間、フル稼働できる。……勝利は目前だ」
私はトイレに駆け込み、胃の中のものをすべて吐き出した。
鏡に映った自分の顔は、青白く、酷く歪んでいた。
だが、その瞳の奥には、奇妙な安堵の色があった。
私は「向こう側」に行かずに済んだ。私はまだ、選ぶ側にいる。
私の忠誠心は、国家に対してでも、カシマに対してでもない。
ただ「生存」という、最も醜く、原始的な本能に対して屈折してしまったのだ。
その時、私の端末に一通の暗号通信が入った。
差出人は不明。だが、その発信源のIDコードには、学生時代に私がクズミの端末にふざけて設定した署名(タグ)が残っていた。
『有機交流電燈のフィラメントは、もう焼き切れたか?』
それは、最後通告だった。
彼がすべてを知り、そして私を見限ったことの証だった。
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