レギオンの誕生
国境から五十キロ地点に設営された軍事演習場。
泥と有刺鉄線に囲まれたその場所は、降りしきる雨のせいで、巨大な沼地のように見えた。
だが、私のいる観測バンカーの中は、不気味なほど静かだった。
「接続(リンク)、開始します」
私の操作に合わせ、防弾ガラスの向こうに整列した一個小隊――三十名の兵士たちの首筋が、一斉に青く発光した。
彼らは微動だにしない。呼吸のリズムさえも完全に同期している。
彼らの脳内では今、個人の自我(エゴ)がシャットダウンされ、代わりに中央に立つ一人の男――「シンクロ・コマンダー(同調指揮官)」の意識が、絶対的なOSとしてインストールされている。
モニター上のグラフが奇妙な形を描いた。
三十個の小さな「青い照明」が、個別の明滅をやめ、中央の巨大な光の柱へと吸い込まれるように融合したのだ。
個の消失。
全の誕生。
「同期率一〇〇パーセント。……個体差によるレイテンシ(遅延)、ゼロ」
私が乾いた声で報告すると、背後に立っていたカシマが満足げに頷いた。
「始めよう」
フィールドにブザーが鳴り響く。
その瞬間、三十人の兵士が弾かれたように動き出した。
号令はない。ハンドサインもない。
だが、彼らはまるで一つの巨大な多脚生物の手足のように、完璧な連携で泥地を疾走した。
右翼が制圧射撃を開始すると同時に、左翼が死角へ滑り込む。前衛が障害物を乗り越えるタイミングと、後衛がカバーに入るタイミングが、ミリ秒単位で一致している。
言葉によるコミュニケーションという「遅い回線」を介さず、指揮官の「意図」が光速で末端の手足(兵士)へ伝播しているのだ。
「美しい……」
カシマがモニターを見つめて呟く。「これぞ『群体(レギオン)』だ。恐怖も迷いもない、純粋な暴虐の機構」
その時、対抗部隊役のドローンが実弾射撃を開始した。
先頭を走っていた兵士の太腿を、大口径の銃弾が貫く。肉が弾け、骨が砕けるのが見えた。
通常なら、激痛でのたうち回り、戦線から離脱する重傷だ。
だが、兵士は倒れなかった。
表情一つ変えず、砕けた脚を引きずることなく――否、痛覚信号を無視して筋肉を無理やり収縮させ――そのまま前進を続け、ドローンを正確に撃ち落としたのだ。
「ペイン・ダイバータ(痛覚転送)、正常に作動」
私は吐き気を抑えながら、サブモニターの数値を確認した。
兵士が感じたはずの「激痛」のパケットは、発生から〇・一秒で脳から切り離され、遥か後方のサーバーへと送信されていた。
「転送先は?」
カシマが尋ねる。
「……第三矯正施設。囚人番号409番」
モニターの片隅に、遠く離れた刑務所の独房の映像が小さく映し出された。
そこには、何もしていないはずの痩せた男が、突然床を転げ回り、自身の太腿を押さえて絶叫する姿があった。
彼の脚には傷一つない。だが、脳には「脚が吹き飛ばされた」という生の激痛が、ブリーチなしで直撃しているのだ。
「素晴らしい」
カシマは冷酷に笑った。
「罪人が罪を償い、兵士が国を守る。これほど合理的なリサイクルがあるか? これで我が軍は、文字通り『無敵(インビンシブル)』だ。痛みを感じない兵士を止めるには、殺すしかないのだから」
演習場では、「痛み」を捨てた兵士たちが、泥人形のように無言で制圧を完了していた。
彼らの眼には、達成感も疲労の色もない。
ただ、指揮官の脳内にある「次の敵はどこだ」という冷たい探究心だけが、三十対の瞳の奥で青く輝いていた。
私は悟った。
ここにいるのは人間ではない。
私が作ったQ-Languageは、人間を接続するための言葉だったはずだ。だがそれは今、人間を部品として駆動させるための「機械語(マシン語)」に成り果てていた。
「……彼らは、元に戻れるのか?」
私が尋ねると、カシマは肩をすくめた。
「戻す必要がどこにある? 結晶化した脳は安定している。彼らは『個』であることの孤独と責任から解放され、巨大な全体の一部になれたんだ。……これ以上の幸福はないだろう」
バンカーの外では、雨足が強まっていた。
整列して帰投する兵士たちの足音が、ザッ、ザッ、と、心臓の鼓動のように規則正しく響く。
それは、これから隣国の土を踏み、すべてを蹂躙していく死神の行進曲だった。
私はその音を聞きながら、自分が二度と後戻りできない場所まで来てしまったことを、痛いほど理解していた。
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