ミクロ管の神話

神は細部に宿るというが、私たちが発見した「魂」の居場所は、もっと微細で、あまりにも物理的な場所だった。


脳神経細胞の細胞骨格を形成するタンパク質の筒――微小管(マイクロチューブル)。

直径わずか二十五ナノメートル。この極小のチューブの中で、電子が確率的に振る舞い、量子コヒーレンスを起こす瞬間にのみ、意識という名の火花が散る。


かつて賢治が夢想した「有機交流電燈」のフィラメントは、確かにそこに存在していたのだ。

実験の成功から半年。私たちの地下研究室は、大学から正式なプロジェクトルームへと格上げされ、機材の量も倍増していた。

だが、部屋に漂う空気は、以前よりもずっと張り詰めていた。


「同期係数、〇・九九七。……美しいな」


私は大型モニターに映し出された三次元モデルを見上げて呟いた。

無数の微小管が青白く発光し、それが複雑な干渉縞を描きながら、ひとつの巨大な意識の奔流を作り出している。


Q-Language(Q言語)のアップデートにより、私たちは感情だけでなく、より抽象的な「概念」の共有にも成功しつつあった。例えば、「数学的な美しさ」や「冬の朝の静寂」といった、言語化不能なクオリアまでもが、鮮明な青い波形として記述されていた。


「これなら臨床試験にいける。親父も……理事長も納得するはずだ」


私の隣で、上質なシャツに袖を通した男が、興奮を隠しきれない様子で書類を叩いた。

カシマ。医学部の同期であり、この大学病院を経営する理事長の一人息子だ。彼が政治的な根回しと資金調達を担ってくれたおかげで、私の研究は陽の目を見た。

彼は優秀な医師だが、その瞳には常に焦燥感の色があった。偉大すぎる父親という重圧と、常に成果を求められる環境が、彼を「実用化」へと急き立てている。


「待ってくれカシマ。まだ早い」


低い声が水を差した。

部屋の隅、パイプ椅子ではなく革張りのソファに――居心地が悪そうに――座っていたクズミだ。

彼は半年前の実験以来、被験者としての協力は続けていたが、その表情からは生気が削げ落ちていた。まるで、ランプの光を少しずつ吸い取られているかのように。


「まだ『逆流(バックドラフト)』の問題が解決していない。強いクオリアを受信した側が、送信側の精神状態に侵食される現象だ。昨日の実験でも、俺は三時間も、お前が見た悪夢の残滓に苛まれた」

「それはフィルタリングの精度を上げれば済む話だ」

カシマは苛立ちを露わにして反論する。


「それに、これは医療革命なんだぞ。末期癌の患者が抱える『死への恐怖』や『激痛』を、家族やカウンセラーが少しずつ分担して引き受けることができれば、どれだけの救いになるか」

「痛みの分担? 聞こえはいいが、それは痛みの総量を減らすことにはならない。ただ薄めて広げるだけだ」

「一人で抱えきれないものを、みんなで背負う。それが社会というものだろう!」

二人の議論は平行線だった。


技術的楽観主義のカシマと、倫理的悲観主義のクズミ。

そして私は、そのどちらの言葉も半分上の空で聞いていた。私の関心は、モニターの中の「青い照明」の美しさに奪われていたからだ。


「……できるよ」


私が呟くと、二人が同時に私を見た。

「微小管の振動数を人工的に整調(チューニング)するんだ。そうすれば、逆流も制御できるし、痛みを快楽のノイズで相殺することも理論上は可能だ」

「おい、正気か?」

クズミが私に詰め寄る。

「人間を楽器みたいに調律する気か? その時の『わたくし』は、一体誰なんだ? 調整された波形か? それとも元の振動か?」

「哲学問答をしている暇はないんだよ」

私が答えるより先に、カシマが結論を急いだ。


「理事会からは、来月には精神科病棟での限定的な臨床試験を開始しろと言われている。これは決定事項だ。……頼むよ、二人とも。これで実績を作れば、僕たちのラボは国立研究所にだってなれる」


カシマの声には、懇願に近い響きがあった。彼もまた、システムという巨大な機械の部品として、父親や出資者たちからの圧力に押し潰されそうになっているのだ。

私はクズミの顔を見た。彼は何かを言おうとして、口を開きかけ、そして諦めたように閉じた。

彼は知っていたのだ。私がカシマの提案を断らないことを。私が、自分の理論を実証できるフィールドを喉から手が出るほど欲していることを。


「わかった。プロトコルの準備を進めよう」


私が告げると、カシマは安堵の息を吐き、クズミは深いため息とともにソファに深く沈み込んだ。

その夜、私は一人ラボに残り、自分自身の脳波をサンプリングしていた。

静まり返った部屋で、モニターの中の「私」が青白く明滅している。


――微小管の神話。

かつて人々は、魂とは不可侵の聖域だと信じていた。だが今、私の目の前で、それは単なる量子力学的な方程式として解き明かされようとしている。

この方程式ですべてを記述できるなら、そこに「個」としての尊厳はあるのだろうか?


クズミの問いが、耳鳴りのように頭蓋の内で反響していた。

ふと、私はキーボードを叩き、サンプリングデータのパラメータを少しだけ操作してみた。

「不安」の数値を下げ、「高揚」の数値を上げる。

すると、画面の中の青い光は、濁りのない澄んだ輝きへと変化した。

あまりにも簡単に、私は「私」を書き換えてしまった。


「……美しいじゃないか」


誰に聞かせるでもなく、私は呟いた。

その美しさが、人工的な虚飾であると知りながら、私はその青い光から目を離すことができなかった。

それはまるで、神の領域に触れてしまったイカロスの、墜落直前の陶酔にも似ていた。

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