第4話 鍵は内側から

 玄関の鍵が閉まる音は、いつも一拍遅れて聞こえる。


 琴里が靴を脱ぎ、上がり框を越えたあと。

 鎖夜が続いて中へ入り、扉を閉める。

 最後に、鍵。


 金属が噛み合う低い音が、古い家の奥へ静かに吸い込まれていく。


「おかえり」


 背後から掛けられる声は、柔らかく、甘い。

 振り返る前に、肩に手が置かれる。

 存在を確かめるだけの、軽い接触。


「寒くなかった?」


「……うん」


「そっか。じゃあ、居間に行こっか」


 廊下は長く、天井が高い。

 磨かれた床板が、足音を必要以上に立てない。


 この家は古い。

 けれど、過去は何処にも匂わせない。

 歴史は、飾られていない。

 ただ、今を閉じ込めて沈殿している。


 居間に入ると、鎖夜は迷いなく机の前に琴里を座らせる。


「ちょっと待っててね」


 声音は甘い。

 命令でも、お願いでもない。

 でも、確定事項だ。


 湯のみから立つ湯気が、冬の空気に細くほどける。

 置く前に一度、指先で温度を確かめる仕草。

 息を何度か吹きかける。


「うん、熱くないよ」


 琴里は頷いて両手で湯のみを持つ。

 その様子を、鎖夜はじっと見ている。


 菓子に手を伸ばそうとして、琴里の指が止まる。

 どの菓子を摘もうか、判断が遅れる。


 鎖夜はすぐに気づく。


「こっち」


 一つを選び、琴里の手元へ。


 いつだって、説明はない。

 正解だけが、差し出される。


「学校、何かあった?」


「……なにも」


「そっか」


 それ以上は聞かれない。

 琴里の肩が、ほんのわずかに落ちているのを見て、鎖夜が動く。


 背後に回り、

 そのまま、覆うように抱き寄せる。


 強くはない。

 けれど、逃げ道はない。


「無理、しなくていいよ」


 耳元で囁かれる声が、ただ、甘い。


「今日も、私がやるから」


 何を、とは言わない。

 全部だ。


 琴里は抵抗しない。

 背中を預ける。


 鎖夜の体温が、じわりと伝わる。

 近すぎて、でも、離れない。


 鎖夜の指が、琴里の手に触れる。

 人差し指。


 握りやすい位置に、導かれる。


 琴里の癖を、鎖夜はよく知っている。

 琴里自身は、起点を憶えていないのに。


「大丈夫」


 何度も、同じ調子で。

 赤子をあやすように。

 鎖夜は離れない。


 背中に伝わる体温が、琴里の位置を静かに固定していく。

 動かなくていい場所が、説明もなく差し出されている。

 呼吸まで、鎖夜のそれと揃ってしまう。


 ここに留まることを、体が先に受け入れていた。


 鎖夜は、この距離が正しいと、疑っていない。

 この配置が、最適だと信じている。


 琴里は、鎖夜の中心にいる。

 世界の真ん中に置かれている。


 けれど、飛び立つことは想定されていない。


 籠の中で、

 静かに、息をしているだけだ。

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