第3話 中心がずれた日
放課後。
校門の前に立つ鎖夜の姿を見つけた瞬間、琴里の足取りがわずかに緩んだ。
毎日、同じ場所。
同じ時間。
徒歩で迎えに来るのも、変わらない。
「……おかえり」
鎖夜はそう言って、自然に手を差し出す。
琴里は一瞬だけ迷い、その手を取った。
正確には、指だった。
鎖夜の人差し指を、ぎゅっと握る。
自分でも、なぜそうしたのか分からない。
考えるより先に、体がそう動いた。
鎖夜は何も言わない。
ただ歩き出し、歩幅を琴里に合わせる。
学校での出来事が、胸の奥に澱のように残っている。
誰かの視線。
何気ない言葉。
自分だけが、どこか違うという感覚。
でも、それを口にすることはできなかった。
鎖夜がくれる毎日は、過剰なほど丁寧で、優しい。
守られている。
それだけではないことも、分かっている。
同時に、そこにすがってしまっている自分も、琴里は知っている。
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黙り込んだ琴里を横目に、鎖夜の意識がふと遠のいた。
――昔の光景が、重なる。
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愛されたことがない。
だから、愛したこともない。
社交パーティー会場の別室。
託児所のような物だ。
大人達が社交に勤しむ間。
連れてこられた年齢も立場もばらばらな子供達は、各々好きに過ごしていた。
自分の親の権力を振り翳し、取り巻きを連れている者もいるし、それに媚びへつらう者も、友人同士で楽しむ者もいる。
あまりにも幼い幼児は、使用人が世話をしている。
鎖夜は、その中で静かに座っていた。
権力者の娘。
籠之家の跡取り。
近寄ろうとする者も最初はいたが、全く相手にしなかったので諦めたようだった。
そんな時。
扉が開き、入ってきた男女。
男の方は、父の経営する会社に勤めていたはずだ。
あまり印象には残っていない。
女の方も、顔に見覚えがあった。
一年程前、扉の隙間越しに見たのだ。
女は、鎖夜の父と、2人で部屋に居た。
父が覆い被さって、女を押さえつけていた。
父と目があったけど、無視をされた。
揺れる体、
泣き声と、
鳴き声。
あまり、よくない記憶だ。
ーーその女の腕の中に、赤子がいた。
理由は分からない。
赤子は、泣いているわけでも、騒いでいるわけでもなかった。
それなのに――目が離せなくなった。
赤子がこちらを向いたとき、一瞬、息が止まる。
同じ色だ。
紫がかった瞳。
籠之家の血を引く者に、稀に現れる色。
父と、
自分と、同じ色。
(……ああ)
鎖夜は確信した。
この子は、籠之家に連なる存在だ。
自分と、同じ血が流れている血縁だ。
ーー私の、妹だ。
挨拶をしながら寄ってくる男女と、抱えられた『妹』。
男が、女へにこやかに声をかける。
「澄子、お嬢様が赤ちゃんに興味があるみたいだ。
琴里を見せてあげたら?」
琴里。
妹の名前は、琴里というのか。
澄子と呼ばれた女の身体が、わずかに強張る。
近くで顔を見て、気づく。
写真でしか見たことがないが、亡くなったお婆様に、どことなく似ている。
瞳の色は異なるが、この女も、血縁なのかもしれない。
澄子は赤子――琴里を抱いたまま、鎖夜に近づく。
近くで見ると、よりはっきり分かる。
紫の瞳。
泣きもしない、怯えもしない、ただ世界を映している目。
鎖夜は、惹かれるように指を差し出した。
小さな手に触れた瞬間、
赤子の琴里が、その指を握る。
弱い力。
意思とも呼べない反射。
それでも――
世界が、音を失った。
鎖夜の中で、何かが静かに切り替わる。
中心が、ずれる。
(ああ、ここだ)
ーーこの子が、世界の中心だ。
それを鎖夜は「愛」と呼ばない。
だって、知らないから。
呼べない。
ただ、納得する。
守る。
囲う。
手元に置く。
その衝動だけが、確かだった。
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帰り道。
鎖夜は、握られた指をほどかなかった。
歩き続けながら、ほんの少しだけ指に力を込める。
真綿に包むように。
壊れないように。
逃がさないように。
それが毒だとは、思っていない。
悪意もない。
ただ、正しく配置しているだけだと信じている。
琴里も指を離さない。
離し方を、知らない。
こうして今日も、
誰にも気づかれないまま、
籠は静かに、閉じていく。
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