3. 筋肉質な決算書の裏側
「まあ、単に相手が個人事業主で、請求書の書き方を知らないだけかもしれませんよ。個人デザイナーとか、結構そういうの疎いですから」
僕はそうフォローしながら、全ての入力を終え、決算書の試算表(B/S・P/L)を出力した。プリンターから吐き出されたA4用紙を手に取り、前期の数字と比較する。そして、画面に表示された損益計算書の最終行を見て、思わず声を上げた。
「おっ……これは、すごいな」
【株式会社オフィス櫻井 第15期 決算報告書(案)】
売上高:1億4,043万円(前期比 △8.7%)
当期純利益:956万円(前期比 +135%)
「見てくださいよ、みつ子さん! 売上は1,300万円も落ちてるのに、利益が倍増してます!」
僕は興奮気味に解説する。デザイン業界も不景気で、売上高は一割近く落ち込んでいる。本来なら赤字転落してもおかしくない状況だ。だが、それ以上に経費を劇的に削っているのだ。販管費の合計は、前期の1億円超えから、8,500万円台へ。実に1,465万円ものコスト削減だ。交際費も広告宣伝費も、バッサリと半分以下になっている。
「櫻井社長、相当な覚悟でリストラしたんですね。無駄な贅肉を削ぎ落として、筋肉質な経営体質に生まれ変わったんだ。これなら銀行の評価も上がりますよ」
僕は自分の担当先の好成績に、誇らしい気分になった。これなら申告もスムーズに進むし、社長にもいい報告ができる。だが。隣で紅茶を啜っていたみつ子さんの反応は、真逆だった。
「……筋肉質? いいえ、これは**『不自然な歪み』**ですわ」
彼女はカップをソーサーに置くと、僕の手から決算書をひったくった。 そして、**「比較損益計算書」と、製造原価の内訳が載っている「製造原価報告書」**を並べて机に広げた。
「雅之さん。数字の『形』をよくご覧なさい」
みつ子さんは、真っ赤なネイルを施した指先で、三つのポイントを順に叩いた。
「まず一つ目。『変動費のパラドックス』」
「変動費?」
「ええ。デザイン業において、材料費や外注費は売上に連動する変動費です。仕事が減れば、当然減るはずですわ」
みつ子さんの指が、原価報告書の上を滑る。
「実際、『材料費』は前期の520万円から348万円へと、30%以上減っています。現場が動いていない証拠ですわ。……なのに、『外注費』だけが、4,985万円から4,859万円へと、たったの2.5%しか減っていません」
「えっ……」
「仕事がないのに、なぜ外注だけは以前と同じように発生していますの?」
言われてみれば、おかしい。材料費が三割も減るほど仕事がないなら、外部パートナーへの発注も同じように減るはずだ。
「二つ目。『労働分配率の逆転』」
「逆転?」
「販管費の『給料手当』を見て。3,845万円です。対して、原価の『外注費』は4,859万円。……自社の社員より、外部の人間に多くのお金を払っています。これでは制作会社(プロダクション)ではなく、ただ仕事を右から左へ流すだけのブローカーですわ」
言われてみれば、オフィス櫻井には五、六人の社員がいたはずだ。彼らの給料総額よりも、外への支払いのほうが多いというのは、確かに違和感がある。
そして、みつ子さんは最後に、じっと一つの数字を睨みつけた。
「三つ目。……ここに、**『聖域』**があります」
彼女の声のトーンが、スッと低くなった。
「仕事が減っているのに、支払額が変わらない。他の経費は血を流してでも削ったのに、ここだけは無傷で守られている。……ここにあるのは合理的な経営判断ではありません。何か粘着質で、ドロドロとした『事情』です」
みつ子さんは顔を上げ、冷徹な瞳で僕を射抜いた。
「この決算書は、綺麗に整えられているようでいて、その実、ひどくバランスが悪い。まるで、コルセットで無理やりウエストを締め上げた貴婦人のようですわ。……雅之さん、この『歪み』の正体、突き止めなくてはなりませんわね」
窓の外では、いつの間にか雨脚が強くなっていた。 六甲山にかかる雲が、不穏な影を事務所の中にまで落としているような気がした。
その数字、美意識が足りなくてよ ――会計探偵みつ子の事件簿 @Kobatax
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