2. 消費税の迷宮
「さて……次は新規クライアントか」
僕は気を取り直して、新しい会計データを開いた。『株式会社オフィス櫻井』。大阪市中央区、本町にあるデザイン事務所だ。社長の櫻井昭彦さんは四十五歳。先日挨拶に来られた時は、いかにも業界人らしい洗練されたスーツを着こなした、物腰の柔らかい紳士だった。
「デザイン会社だけあって、資料は几帳面に整理されてたな」
送られてきた領収書や請求書は、月ごとに綺麗にファイルされていた。これならチェックも楽勝だろう。僕は会計ソフト『弥生会計』を立ち上げ、預金通帳のデータと、経費の入力画面を突き合わせる。
――カタカタ、ッターン。
軽快にキーボードを叩き始めて十分後。僕の手が止まった。
「……あれ?」
画面上の「消費税集計表」の数字が、どうもおかしい。仮受消費税(預かった消費税)と、仮払消費税(払った消費税)のバランスが、妙に悪いのだ。
「なんでだ? 仮受消費税と仮払消費税の差額が、消費税申告書の納付額と合わない……」
首を捻りながら、仕訳日記帳をスクロールする。すると、背後からふわりと紅茶の香りが漂ってきた。
「雅之さん。眉間の皺が、さっきより深くなっていますわよ」
いつの間にか、みつ子さんが僕の背後に立っていた。片手にはティーカップ、もう片手にはソーサーを持ったまま、僕のモニターを覗き込んでいる。
「あ、みつ子さん。いや、このオフィス櫻井のデータなんですけど、なんか消費税が合わなくて……」
「あら。……これ、**『税抜入力』**が混ざっていますわね」
「え?」
「ここを見て」
みつ子さんの細い指が、画面の一行を指し示す。そこには、外注費として「1,000,000円」の入力があった。
「これ、あなたが入力しましたの?」
「はい。領収書に『100万円』って書いてあったんで、そのまま……」
「設定を見てごらんなさい」
言われて確認すると、ソフトの消費税設定が**「税抜」**になっていた。
「あ……!」
「そうです。あなたが『100万円』と入力したことで、ソフトは気を利かせて『これは本体価格ね。じゃあ消費税10万円を足しておきましょう』と処理したのです。結果、帳簿上は『110万円』の支払になっています」
僕は慌てて領収書を確認する。そこには確かに、手書きで『¥1,000,000-(税込)』と書かれていた。やってしまった。税込の領収書を「税抜設定」で打ってしまったから、架空の消費税10万円が勝手に計上されてしまったのだ。
「す、すみません! すぐ直します!」
僕は設定を**「税込」**に切り替え、再計算する。すると、画面の数字が書き換わった。
借方:外注費 909,091円
借方:仮払消費税 90,909円
貸方:現預金 1,000,000円
「……うわ、なんか気持ち悪い数字になりましたね」
909,091円。割り切れない端数がズラリと並ぶ。それを見た瞬間、みつ子さんの柳眉がピクリと跳ね上がった。
「……美しくありませんわ」
「へ?」
「雅之さん。あなた、この数字を見て何も感じませんの?」
みつ子さんは冷ややかな目で見下ろしてくる。
「プロの企業間取引(BtoB)なら、通常は『本体価格+消費税』で請求します。つまり、『制作費100万円+税』で、合計110万円になるのが常識ですわ」
「あ、言われてみればそうですね」
「なのに、この会社への請求は『税込で100万円ポッキリ』になっている。……まるで、**『お財布の都合に合わせて決めたお小遣い』**のような、いかにも雑な数字ですわね」
みつ子さんは不快そうに鼻を鳴らした。
「税込でキリのいい数字というのは、個人が飲み会で『一人五千円ね』と集める時や、お年玉をあげる時の発想です。企業が事業として行う取引の数字ではありません。……櫻井社長は几帳面な方とお見受けしましたが、この外注先に関しては、随分と『美意識』が欠けているようですわ」
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