第2話:運び屋ベニと、割れないはずの約束
「……ふぅ。今夜の『双子ツバメ亭』は、なんだか嫌な予感がするわね」
看板娘のリーナは、カウンターの向こうで一人、夜の闇に消えていったひょろりとした少年の背中を見送っていた。彼女の瞳には、まだその場に残る嘘つきスキルの残光が見えている。だが、リーナの視線はすぐに、広場の隅で膝をつき、絶望に震える一人の少女に固定された。
「お気の毒に。彼女が運んでいたのは、この街のパワーバランスを左右する大事な心臓だったのに。……ねえ、ベニ。そんなところで固まっていても、時間は止まってくれないわよ?」
リーナの声は届かない。それでもリーナは、手帳に新たなページを開き、その少女――ベニのステータスを書き留めた。
【鑑定対象:ベニ】
レベル: 12
職業: 運び屋(通称:『穴鼠』)
敏捷: B+(路地裏なら騎士より速い)
固有スキル:
・『最短経路(目的地までの光が見える)』
・『鉄の胃袋(ストレスによるステータス低下を無効化する)』
【称号】
『不運の連鎖に巻き込まれし者』『トカゲの予言者を絶対に許さない者』
*
「……冗談、でしょ」
石畳の上で、ベニは自分の人生が粉々になる音を聞いた気がした。衝撃厳禁の魔法印が刻まれた木箱は無惨に割れ、中からは淡い黄金色の魔力光が、蛍の死骸のように弱々しく漏れ出している。中身は、偏屈な魔導技師が十年の歳月をかけて組み上げた『魔導回路の心臓部』だ。
今夜、この街の有力者に届ける。それがベニに課された、失敗の許されない任務だった。成功すれば、弟の不治の病を治すための高価な薬が手に入る。失敗すれば、彼女は一生かかっても払いきれない違約金という名の鎖に繋がれることになる。
「あの、クソガキ……!」
ベニの脳裏に、数分前の光景が鮮明に、呪いのように蘇る。
「トカゲだ!」「幸運だ!」と喚き散らしながら爆走していった、あのピカピカの鎧を着た新米冒険者。彼が撒き散らしたデタラメに釣られた暴徒たちが、ベニを突き飛ばし、この大事な荷物を踏みにじっていったのだ。
(泣いている暇はない。納期まであと三時間。……正規の修復は無理でも、闇市のパーツを無理やり噛ませれば、起動チェックだけは通せるはず……!)
ベニは震える手で、割れた回路の破片を拾い集めた。彼女は奥歯を噛み締め、固有スキル『最短経路(マッピング)』を発動させる。
視界に、闇市が立つ地下水道へと続く最短の光の筋が浮かび上がった。だが、その光はあちこちで激しく歪み、途切れている。
原因は分かっている。あの新米が吐いた嘘を信じて狂騒状態にある人々が、街中のメインストリートを物理的に塞いでいるからだ。
「……上等よ。道がないなら、作ればいいだけでしょ」
ベニは胃の奥を焼くような痛みを感じながら、壁を蹴り、屋根の上へと跳んだ。屋根伝いに闇市へと急ぐベニの眼下では、狂乱のパレードが続いていた。
「トカゲはどこだ!」「あっちだ!」「一生金に困らないんだろ!」
人々は口々に、見も知らぬ誰かが吐いた「黄金のトカゲ」という言葉を肉付けし、物語を膨らませていく。
(人間って、どうしてこうも簡単に騙されるのかしら。……いいえ、騙されることを望んでいるのね)
ベニは冷めた目で群衆を見下ろし、煙突の陰を縫うように走る。しかし、運命の女神は今日、徹底的に彼女を試していた。
闇市の入り口である古い井戸にたどり着いた時。そこには、一人の男が立ちはだかっていた。銀色の鎧を纏い、手には大きな網。瞳には「世界を救う」と言わんばかりの、純粋すぎて吐き気がするような輝きを宿した男だ。
リーナの鑑定眼が見れば『モブ騎士』とでも名付けられるであろうその男は、井戸の周囲に奇妙な香料を撒き散らしていた。
「止まれ! 運び屋の乙女よ! この先は聖なる罠の範囲内だ!」
「どいて。急いでるの。殺されたくないなら、その網をどけなさい」
「ならぬ! 今、この下には『黄金のトカゲ』が潜伏しているという確信がある! 私が仕掛けた罠にかかるまで、蟻一匹通すわけにはいかないのだ!」
ベニは目を剥いた。目の前の男が、あの新米の嘘を本気で、一文字残らず信じていることが分かったからだ。
この大混乱の中、唯一「本気でトカゲを信じているバカ」に、よりによってこのタイミングで遭遇する。ベニは自分の不運を呪った。
「……あんた、バカなの? トカゲなんていないわよ。全部あのガキのデタラメよ」
「いいえ、いる! 私の騎士道精神がそう言っている! さあ、君も一緒に祈るのだ!」
男が振り回した網が、ベニの進路を塞ぐ。普段の彼女なら鮮やかに回避できたはずだ。だが、今のベニは焦りと胃痛で、わずかに踏み込みが鈍っていた。
一歩、足を踏み出した瞬間。男が「トカゲを呼ぶ重石」として置いていた、あるガラクタに足を取られた。
「あ――」
体勢を崩したベニのポシェットから、修復用の魔石が転がり落ちる。それは男が仕掛けていた「罠」の真ん中に吸い込まれていった。
ベニは心の中で絶叫した。終わった。もう、弟を助けることはできない。
だが、そこで奇跡が起きた。
ベニが落とした高品質な魔石と、男が「聖なる儀式用」にゴミ捨て場から拾ってきたガラクタが、偶然にも魔法的な共鳴(シンクロ)を起こしたのだ。
闇市へと続く古い井戸の底から、眩いばかりの光が溢れ出す。
「おおお! 見ろ! トカゲの輝きだ! 私の祈りが通じたのだ!」
「違うわよ、これは私の……待って、それ、何……?」
ベニは目を見開いた。男が「重石」にしていたガラクタ。それは、彼女がどれだけ闇市を駆けずり回っても見つからなかったであろう、伝説の職人が作ったとされる『魔導バイパス』の、超高出力モデルだったのだ。
「……あんた、それ。どこで手に入れたの」
「ん? これか? 昨日のゴミ捨て場で、光り方が騎士道に溢れていたので拾ったのだ。欲しければやるぞ? 私はトカゲさえ手に入れば満足なのだからな!」
ベニは胃痛を忘れ、そのパーツをひったくった。これなら直る。いや、元よりも性能が上がる。彼女は呆然としている男に、
「トカゲは、あっちの東門の噴水にいるわよ。私の鑑定眼……じゃない、勘がそう言ってるわ」
という、第1話の再放送のようなデタラメを投げつけ、最短経路を駆け抜けた。
*
一時間後。
ベニは『双子ツバメ亭』の裏口に、ボロボロの姿で現れた。その手には、完璧に修復され、以前よりも力強く拍動する木箱が握られていた。
「……やり遂げた。死ぬかと思ったけど、なんとかなったわ」
「お疲れさま、ベニ。はい、特製の胃薬入りミルクよ。代金はいいわ。あなたの奮闘に免じてね」
リーナが出した飲み物を、ベニは震える手で受け取り、一気に飲み干した。生き返るような心地と共に、抑えていた怒りが再燃する。
「リーナ。さっきここに来たでしょ、あのひょろい新米。名前は……ジッタとか言ったかしら」
「ええ。命からがら逃げていったわよ」
「次に現れたら、絶対に私の耳に届くようにして。……この回路の電圧を最大にして、あいつのケツを焼き焦がしてやらないと、私の気が済まないわ」
ベニは報酬として受け取ったばかりの、ずっしりと重い金貨の袋を握りしめ、夜の街へと消えていった。その足取りは、先ほどよりも少しだけプロの誇りを取り戻していた。
リーナはカウンターの下から手帳を取り出し、ベニのページのすぐ後ろに、新たな一節を書き加えた。
『ジッタの嘘が、ベニの絶望を救い、そして新たな執念を生んだ。バトンは次の、信じるバカへと渡された』
「さて、あのアホな騎士くん……エリオくんだったかしら。彼は今頃、井戸の底で何を捕まえているのかしら?」
リーナの鑑定眼は、すでに街の反対側、井戸の中で「変な猫」を抱きしめて号泣している騎士の姿を捉えていた。
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