第10話
息子が過去の事を調べていると知った公爵夫人は、ローレンスに釘を刺した。
「ローレンス、二度とこの話を持ち出してはいけません。聞く事も話す事も許しません。いいですね」
「…しかし、母上、おかしいとは思いませんか?どうして兄上の行方が分からないのでしょうか?」
息子の言葉を聞いた瞬間、公爵夫人の顔が、さっと青ざめた。
「…あの子は死んだのです。あなたに兄はいません。…いいですね?」
「…でも」
「いいですね!」
公爵夫人の有無を言わせぬ口調に、ローレンスは大人しく「…はい」と答えるしかなかった。
母の顔に、苦しげな表情が浮かんでいたからだ。
それ以来ローレンスは、兄探しを辞めてしまった。
しかし、自分に兄がいる、という事実は、彼の密かな希望にもなっていた。
優秀で頼もしい兄に、政務を任せて、自分は大好きな考古学の勉強に没頭する。
それが、ローレンスの望みだった。
しかし、このままでは、自分は自動的に次期公爵になってしまう。
「…はあ…」
広々としたお風呂で、ため息を吐くローレンスであった。
―エマさんは、私達の部屋で、ゆったりとお茶を飲んでいた。
「エマさん、このお菓子、美味しいですよ。おひとついかがですか?」
アレクシアさんが、差し出したお菓子を、エマさんは、「ありがとうございます」と笑顔で受け取った。
彼女は、不思議なくらい、この場に馴染んでいた。
何でこんな事になったのか?
「母はマッサージとエステに行っているので、あと2時間は戻らないんです。ここには知り合いもいないし…せっかくだから、エリザベス先生と、もっと仲良くなりたいと思いまして」
そう言って、彼女は私達の部屋に押しかけて来たのだ。
今回の温泉旅行は、父親を除いた、強制的な家族旅行らしい。
「私は温泉なんて、来たくなかったんです。それよりも、家で乗馬の練習がしたかったのに…」
「そんなに嫌なら、家にいればよかったんじゃない?何か事情があったのかな?」
エディが、お菓子をつまみながら、口を挟んだ。
エマさんの訪問の目的は、私と親交を深めること以外にもありそうだ。
彼女のヘイゼルの瞳は、恋する乙女の光を宿して、エディの顔をじっと見つめていた。
「あと数日で、リヴァーデイル次期公爵の、継承式が行われるんです。その前に、温泉でゆっくりして来いって、お父様が、お母様とお兄様に言ったんですね。そうしたら、何故か私も連れて来られたんですよ」
重要な儀式に備えて、家族の心と体を整えよう、という訳だ。
エマさんはため息を吐いた。
「…お兄様は、自分が公爵に向いてない、と思い込んでいるんです」
私達のような、会ったばかりの人達に、そんな身内の事情を話してもいいのだろうか。
しかし、エマさんは、どうやら同年代の話し相手に、飢えていたようだ。
「ここにはお友達もいないし、女官はお母様に全部話してしまうし。こんな事、誰にも言えなくて…」
身内の大事な儀式を前に、緊張もあったのかもしれない。
「私は、兄は公爵に相応しいと思っています。兄は優秀だし、優しくて思いやりもある。もう少し勇気と度胸があれば、立派な跡継ぎになれると思います」
「…エマさんは、お兄さんの事が好きなんだね」
エディに微笑まれて、エマさんはぱっと顔を赤らめた。
「…そんな、私はただ、兄は人の上に立てる素質があるのに、自信が無いのがもったいないな、と思っているだけで…」
「お兄さんは、そんなに優秀なの?」
「はい、王立学院を首席で卒業しましたから」
エマさんは、まるで自分の事のように、誇らしげに言った。
エディが納得したようにうなずいた。
「そんな優秀なお兄さんが、公爵になりたくないと思うなんて、確かにもったいないね」
「そうなんです。だから私は、しょっちゅう兄に発破をかけてはいるんですけど…」
おそらく彼女は、日頃から家族の不満を、誰にも言えないまま、ひとりで抱え込んでいたのだろう。
それがここに来て、ようやく気を許せる話し相手が出来たのだ。
エマさんは、会ったばかりの私達に、好意を持ったらしい。
「エリザベス先生だけじゃなくて、アレクシアさんにもお会いできるなんて…。私、ヤマネのアトリエに、よく行くんですよ。アレクシアさんの新作目当てで」
アレクシアさんの顔が、ぽっと赤く染まった。
「…本当ですか?ありがとうございます」
「このイルカのぬいぐるみ、今月の新作ですよね」
エマさんがバッグから取り出したのは、水色のイルカのぬいぐるみだった。
「そうです。この曲線を出すのが、難しかったんですよね~」
「可愛いですよね~」
アレクシアさんは、最近また腕が上がったようだ。
これで量産が出来れば、彼女は大金持ちになれるかもしれない。
私が提案すると、アレクシアさんは、珍しくきりっとした顔で反論した。
「私は自分で作る事に、こだわりたいんですよね」
確かに、人を雇ってたくさん作れば、確かに一時的に利益は上がるだろう。
その代わり「作家の手作りの一点物」という魅力は、なくなってしまう。
それはもう「作品」ではなく「商品」である。
アレクシアさんは、それを良く分かっているようだ。
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