第9話

ああ、また従兄の魅力に捕まった犠牲者が出た。

私はエマさんに同情しつつも、これ以上、彼女はエディと関わらない方が賢明だと判断した。


「ご令嬢、そろそろお母様の所に戻った方がいいのではないですか?」

エマさんは、私の言葉に、はっと我に返ったようだった。

「そ、そうですね。…では、エリザベス先生、ブライトン子爵、私はこれで失礼致します」


「またお会いしましょう。リヴァーデイル公爵令嬢」

エディは気障な仕草で、エマさんの手を取ると、その手に口づけた。

エマさんの顔が、再び真っ赤になった。


彼女が、去って行くのを見送ると、私は従兄を睨みつけた。

「…どういうつもりだ?エディ」

「おや、何のことかな?」

「とぼけるな。あの令嬢と繋がりを持ちたかったんだろう?一体何を考えているんだ?」


エディはニヤリと笑ったが、私の質問には答えなかった。

スティーブは、「日暮れ前までには戻らないと、イザベラさんに怒られます」と言って帰って行った。

今日一日で、大勢の顔見知りが出来た気がする。

「さて、夕食の後に、またお風呂に入りましょうか」

ジュリアンの提案に「さんせ~い」と女性陣からの声が上がった。


「…いいんだ。僕は部屋のお風呂にひとりで入るから…スティーブは帰っちゃったし。…あ~あ、寂しいなあ」

エディのぼやきは、誰にも顧みられなかった。


同時刻の同ホテル。

ローレンスは、泊まっている部屋に戻って来た。

「ローレンス、どこに行っていたのですか?」

「…町をぶらぶらしていました。母上」


リヴァーデイル公爵夫人は、ため息を吐いた。

「勝手に外に出てはいけないと、あれほど注意したではないですか。町には、どんな危険が待ち構えているか、分からないのですよ」

(…まさに先程、その危険と出会ったばかりです)

と言ったら、おそらく公爵夫人は、狂乱状態に陥るだろう。


それを知っているローレンスは、さっきの揉め事を黙っている事にした。

「あら、お帰りなさい。お兄様」

妹のエマが、部屋に入って来た。

「ただいま、エマ。…何かあったのかい?顔が赤いよ」


色白の妹の頬は、ほんのり赤く染まっていた。

「…えっ、そうかしら?…温泉に入ったからじゃない?」

エマは自分の顔を、包み込むような仕草をした。

「ローレンス、あなたも、お風呂に入りなさい」


「…はい、母上」

ローレンスは、素直に専用の浴場に向かった。


大きな湯船に浸かっていると、ほんの少し、解放された気分になった。

いつも、過保護な母親や、護衛の騎士達と一緒にいるので、たまにはひとりになりたくなるのである。

「…はあ~っ、僕ってホントに気が弱いなあ…」

それが、次期リヴァーデイル公爵の、深刻な悩みであった。


彼は、自分を含め、誰も傷つけたくない、という気持ちが強すぎた。

その為、先程のように、ちょっと脅されただけで、震えあがってしまう始末である。

せっかく一流の教師を付けて、剣術や体術を学んでも、何の意味もなかった。


ローレンスが、教師の期待に、まともに応えられたのは、勉強と乗馬くらいである。

馬に乗る事は、彼にとっては気分転換以上のものがあった。


「…馬なら、誰かと闘ったりしなくていいからなあ…」

重い甲冑を付けて馬に乗り、大剣を振り回して敵の大将の首を取る、などという野蛮な行為は、とうの昔に廃れていた。


乗馬は今や、見栄えや優雅さを競うのが目的の、貴族のスポーツと化していた。

ローレンスは、馬で誰かと競争したり、技術を競うのは好きだった。


「…僕に、お兄さんがいたらなあ…」

ローレンスは、辛い事があると、よくそうやって空想の世界に逃避した。

自分よりもずっと、頼もしくて、公爵に相応しい兄がいたら…。


ローレンスが、こういう考えを抱いたのには、理由があるのである。

彼が子供の頃、真夜中に、父が側近と話しているのを、偶然聞いてしまった事があった。


「…あの子はまだ見つからんのか…?」

「はい、公爵様。これだけ探して見つからないという事は…おそらく御子息は…」


「…言うな。私の最後の希望まで、打ち砕かないでくれ…!」

父親の悲痛な声に、ローレンスは、これは自分が聞いてはいけない話だと思い、足を忍ばせて寝室に戻った。

次の日、何事もなかったような顔をした父親を見て、あれは夢だったのではないか、と彼は思った。


ローレンスは、成人して既に数年が経っている。

本来なら、公爵の継承の儀式を受けても、おかしくない年齢である。

いくら彼が大学に通っていたとはいえ、王国の歴史を見れば、在学中に継承の儀式を受けた例もいくつか見つけられる。


リヴァーデイル公爵は、何故ここまで継承式を延ばして来たのだろうか。

それは、自分の最初の息子が、どこかで生きていると信じていたからではないのか。


ローレンスとエマの母親は、公爵の2番目の妻だった。

先妻は、息子を産んでしばらくして、病気で亡くなったと聞いた。

その息子は、どうなったのだろうか。

何度か家臣に聞いた事があるが、誰も彼の事を知らなかった。


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