第四十八章 ― 終焉のあとに残るもの

帰還はなかった。


アレン・ノクティルは目を覚まさなかった。


瓦礫の中から立ち上がることも、

自分を奮い立たせることも、

最後に呪うべき敵を見つけることもなかった。


世界は――

ただ、続いた。


砕けていた空は、ゆっくりと閉じていく。

癒えるわけでも、

赦すわけでもなく、

痛みを覚えない傷のように。


光が裂け目を縫い直し、

雲が不安定に流れる。

まるで、見てしまったものを恥じるかのように。


神々の骸は、消えていった。


灰にもならず、

光にもならず。


“不在”へと。


最初に消えたのは、名。

次に、権威。

最後に――存在したという概念そのもの。


歴史は、残酷なほど効率的に書き換えられた。


死んだ神はいない。

玉座を砕いた者もいない。

記憶されるほどの罪など、最初からなかった。


そして、アレン・ノクティルは――


欠落になった。


誰も気づかないまま音程が変わった、

歌の中の空白。



崩れた天の遥か下で、世界は息をした。


都市は無事だった。

人々は笑い、言い争い、生きている。

子供たちは空を指差し、「今日は変だ」と文句を言った。


叫びはない。

祈りもない。


誰も知らない。



存在の縁で、ルネスラは見ていた。


女神としてではなく、

季節を司る者としてでもなく。


ただ、自分として。


そこには形も、方向も、時間もなかった。

死後の世界ではない。

魂が何にも縋らず去ったあとに残る、“余白”。


彼女は自分の手を見下ろした。


震えていない。


永遠ぶりに、

それは彼女自身のものだった。


「……やり遂げたのね」


声は、響かなかった。


応えるものは、もうない。


彼女は目を閉じる。


そして、思い出した。



白い空に、黒い翼で立つ少年。


人よりも優しかった静かな図書室。


「ここ、座っていい?」


そう言った声。


優しさを選んだ神。


傍にいることを選んだ天使。


祭りの日。

笑い声。

天が既に腐っていると気づいた瞬間。


そして――

彼女が死んだ夜。


殺されたのではない。

裏切られたのでもない。


選んだのだ。


彼女は目を開けた。


「……止めるべきだった」

「いいえ……一緒に歩くべきだった」


後悔とは、奇妙なものだ。


叫ばない。

燃えない。


ただ、そこに残る。



何かが揺れた。


激しくもなく、

劇的でもなく。


アレンが消えた場所に、

かすかな存在が芽吹く。


薄く、

消えかけ、

それでも――懐かしい。


ルネスラは振り向いた。


一瞬、何も見えない。


だが――


形があった。


存在の仕方を思い出そうとする影。


「……アレン?」


影が、揺れた。


弱く。

不完全で。


それでも、応えた。


「……言っただろ」

「休むって」


息が詰まる。


「消えてないのね」


「生きてもいない」

「……ちょうど真ん中だ」


彼女は一歩近づく。


空間が歪み、繋がりを拒む。


「ここにいてはだめ」

「この場所は、すべてを消す」


少しの間。


「……それでいい」


沈黙。


そして、彼は続けた。


「……意味はあったか?」


問いの内容を、彼女は聞き返さなかった。


「ええ」

「確かに」


影が、柔らいだ。


「……それで十分だ」


存在は、さらに薄れる。


叫びたかった。

命じたかった。

縋りたかった。


だが、彼女はしなかった。


今回は――

彼の選択を尊重した。


「……ありがとう」

「生きてくれて」


影が、微笑んだ。


彼女には、わかった。


「……ありがとう」

「待っててくれて」


そして――


彼は消えた。


完全に。


痕跡も、

残響も、

欠片もない。


ただ、取り返しのつかない終わりだけが残った。


ルネスラは、ひとり立っていた。


長い間。


やがて、視線を上げる。


彼の名を決して知ることのない世界へ。


「……私が覚えてる」


そう言って、歩き出した。


女神としてではなく。


証人として。

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