第四十七章 ― 彼女が待っていた場所
そこには、地面がなかった。
空もない。
アレン・ノクティルは、
空間と呼ぶことすらできない何かの中を漂っていた。
なぜなら、空間には距離があるが、
ここには距離という概念が存在しなかったからだ。
彼は、ほどけていくのを感じていた。
激しくもなく、
痛みもなく。
世界が、一本一本、
糸を解くように、
壊れきった存在を気遣うかのように。
「……これが、死か」
声は外へ響かなかった。
内側へと折り返し、
胸の奥に沈んでいった。
恐怖が来ると思った。
だが、来なかった。
代わりにあったのは——
温もり。
力の熱ではない。
神性の光でもない。
言葉のいらない沈黙の隣で、
ただ誰かがいる感覚。
アレンの指が、僅かに動いた。
感じる。
エコーでもない。
記録核でもない。
システムでもない。
“存在”。
「……まだ、俺を追ってるのか?」
弱く、そう呟いた。
返ってきたのは、笑い声だった。
柔らかく、
かすかで、
それでも、間違えようのない声。
「気づくの、いつも遅いわね」
アレンは、凍りついた。
その声——
息が詰まる。
胸が、再び握り潰されたように痛んだ。
「……やめろ」
「……そんなこと、するな」
前方の光が揺れる。
集まり、
凝縮し、
あまりにも見慣れた形を取る。
何もない場所に、裸足が触れる。
銀の髪が、見えない流れに揺れていた。
神の装いではない。
ただの、
白くて、
質素な服。
彼女はそこに立っていた。
両手を背に回し、
少し首を傾げて。
微笑んで。
「久しぶりね、アレン」
世界が、止まった。
彼が飲み込んできた叫び。
屠った神々。
受け入れた罪——
すべてが、一気に崩れ落ちる。
膝が砕けた。
前へ倒れ、
何もない場所を掴もうとして、
声が裂けた。
「ルネスラァァァ――!!!」
立とうとして、失敗する。
這おうとして、崩れる。
もう、身体は彼の言うことを聞かなかった。
涙が溢れた。
抑えもなく、
醜く、
激しく。
「全部やっただろ!!」
「天を壊した!!」
「全員殺した!!」
「俺は——」
声が、完全に潰れた。
「……それでも、お前を救えなかった」
彼女は、次の瞬間そこにいた。
転移でもなく、
降臨でもない。
ただ、そこに。
膝をつき、
彼を抱き締めた。
その瞬間——
痛みが、爆発した。
アレンは、彼女の肩に顔を埋めて叫んだ。
戦士の叫びではない。
神殺しの咆哮でもない。
何世紀も息を止めていた、
子供の泣き声だった。
「疲れた……」
「本当に、疲れたんだ……」
「一歩一歩が地獄だった」
「思い出が、全部燃えて」
「止まり方が、わからなかった」
彼女の指が、彼の髪を梳く。
ゆっくり。
確かで。
現実的に。
「知ってる」
「見てたわ」
それが、さらに彼を壊した。
「見てた……?!」
「じゃあ、なんで止めなかった!!」
「なんで、こんな俺になるまで放っといた!!」
彼女は、少しだけ距離を取った。
優しく。
だが、揺るがない瞳で。
「止めていたら」
「あなたは“生き延びること”しか知らない存在のままだった」
沈黙。
呼吸が、ゆっくりになる。
「……今の俺は、なんなんだ」
掠れた声。
彼女は、悲しそうに微笑んだ。
「選んだ人よ」
彼女の手が、胸に触れる。
「鼓動が、消えかけてる」
彼は、弱く笑った。
「だろうな」
「この場所は、神を許さない」
「憎しみも、許さない」
「……俺は?」
彼女は額を寄せた。
「終わりだけは、許す」
光が、暗くなり始める。
今度は、抗わなかった。
「……もし、行ったら」
「また、消えるのか」
彼女は首を振る。
「最初から、離れてない」
唇が、震えた。
「……じゃあ、そばにいろ」
「頼む」
「一度でいい」
彼女は、目を閉じた。
「私は、ずっといた」
「去っていたのは、あなた」
最後の力が抜ける。
アレンは、笑った。
苦くもなく、
怒りもなく。
ただ、疲れて。
「……やっと、休めるな」
身体が、光に溶けていく。
痛みも、
抵抗もない。
解放だけが、残った。
ルネスラは、その光を抱き締める。
アレン・ノクティルが完全に消えた瞬間、
彼女は囁いた。
「おかえり」
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