第19章――地獄とは、繰り返しだ

地獄は、炎ではなかった。


それが、最初の失望だった。


アレン・ノクティルは立ったまま目を覚ました。


足元に地はない。

頭上に空もない。


あるのは、前後に無限に続く細長い回廊。

淡い石で造られ、光を一切反射しない。


空気は静かすぎた。

世界そのものが、呼吸を止めているようだった。


彼は動こうとした。


身体は従った。


意識が、拒んだ。


「歩け」


声は前からではない。

後ろからでもない。


――どこからでもあった。


アレンは一歩、前に出た。


瞬間、痛みが咲いた。


激痛ではない。


もっと質の悪いもの。


記憶。


回廊が歪む。


庭だった。


ルネスラが愛した庭。

銀の葉が静かに舞い、壊れていない空が広がっている。


彼女は数歩先に立ち、いつものように微笑んでいた。

心配を隠す、あの笑顔で。


「また遅いわね」


息が詰まる。


「……違う」


彼は駆け寄った。


――すり抜けた。


庭は崩れ、石の回廊に戻る。


「歩け」


声が繰り返す。


アレンは叫んだ。


彼女の名を。

喉が焼けるまで。

血が床を染めるまで。


回廊は、応えない。


二歩目。


また、景色が変わる。


図書館。


宙に浮かぶ書物。

自動でめくられる頁。


ルネスラは机に座り、頬杖をついて彼を見ていた。

彼が気づかないふりをしていた、あの視線で。


「この場所、嫌い?」と彼女は訊く。


「嫌いじゃない」

反射的に答える。


彼女は笑った。


「知ってる」


胸が締め付けられる。


「俺は……守れなかった」


言葉は、鎖より重かった。


彼女は立ち上がり、近づく。


ほんの一瞬――

指先が、彼の頬に触れる。


次の瞬間。


彼女の身体が裂けた。


銀光が溢れ、

血が流れ落ちる。


倒れる。


また。


また。


また。


一歩進むたびに、繰り返される。


場所は違う。

結末は同じ。


庭。

図書館。

祭りの夜。

静かな廊下。


いつも彼女。

いつも死。

いつも、何か言いかけたままの瞳。


アレンは膝をついた。


「やめろ!!」

「分かった! もう分かった!!」


沈黙。


そして、声。


「理解は不要だ」


回廊が、初期化される。


アレンは再び立っていた。


傷はない。

疲労もない。


あるのは、記憶だけ。


「地獄は罰ではない」

声は続ける。

「矯正だ」


アレンは笑った。


壊れた、狂った笑い。


「……その通りだ」


涙越しに、紅い瞳が燃える。


「これは罰じゃない」


顔を上げる。


「訓練だ」


回廊は、無限に続いていた。


そして初めて――


アレンは、自分の意志で前に進んだ。

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