第9章 ― 空が耳を持った日

噂は、静かに始まった。


宣告でも、

警告でもない。


ただの……違和感。


アレンが最初に気づいたのは、アクシオン記録区の回廊だった。

彼が通るたびに途切れる会話。

一拍遅れる視線。


「上層観測塔がまた再調整されたらしい」

「異常は報告されてないはずだが?」

「昨夜、季節流が一瞬止まったと聞いた」


アレンは歩き続けた。


天界に噂は付きものだ。

だが今回は、違った。


暇つぶしではない。


警戒だった。


高空を望む水晶の展望窓の前で、彼は足を止める。

空はいつも通りの階調を描いている。

金、蒼、銀。


だが、切り替わりが……遅い。


まるで、空が考えてから動いているようだった。


【環境スキャン:正常】

【軽微な時間変動を検出】


「それを“軽微”と言うのか」


【修正:統計的に無視可能】

【関連性:未確定】


アレンはゆっくり息を吐いた。


神々が不安になる時、統計など意味を持たない。


回廊の先で、下位記録官たちが集まっていた。

羽を震わせる若い天使が、早口で話している。


「春の記録が一瞬揺れたんだ」

「あり得ない」

「でも、記録核が――」


アレンが近づいた瞬間、全員が沈黙した。


そして、深く頭を下げる。


深すぎるほどに。


アレンも軽く会釈し、通り過ぎた。


「……怖れているな」


【推論:正確】


返答が早すぎた。


アレンは立ち止まる。


「何をだ?」


【データ不足】

【仮説:均衡の崩れ】


均衡。


空虚な言葉だ。


後に、季節広場の縁で、彼はルネスラを見つけた。


祭りの構造体はまだ準備中だった。

光のアーチ、未完成の紋章。


だが広場そのものは、妙に静かだった。


彼女は作業者を見ていない。


空を見ていた。


「……お前も感じているな」


ルネスラは視線を外さない。


「ええ」

「流れは狂っていない……でも、正直じゃない」


アレンは隣に立つ。


「初めてよ」

「私が呼んだ時、季節が躊躇したのは」


彼の呼吸が詰まる。


「他に知っている者は?」


彼女は首を振った。


「知らせないな」


「ええ」

「私の声に恐怖が混じれば――」


「理由を探す」


「そして、作る」


風が変わった。


雲が、命令なしに形を変える。


アレンの紅眼が淡く燃える。


「……空が、聞いている」


ルネスラは彼を見た。


「そして、空は決して優しく聞かない」


その時、

アクシオン記録区の遥か上空で、


見えない何かが、

女神ではなく――

彼女の隣に立つ“影”へと、

注意を向けた。

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