第8章 ― 時間が足を止めた場所
図書区だけは、季節祭の影響を受けなかった。
祝祭の外縁を越え、旗や幻影の花弁から遠く離れた場所。
アクシオン記録区の奥には、決して変わらぬ建造物が存在する。
記録尖塔。
装飾も賛美も拒む、白い石の壁。
音楽は届かず、笑い声も残らない。
空気さえ、動くことを躊躇しているようだった。
アレン・ノクティルは、この場所を好んでいた。
上層の長い大理石机に座り、薄い記録板を前に置く。
表面では、かつての周期、消えた神々の記録が淡く揺れている。
だが――彼は読んでいなかった。
隠れていただけだ。
「もう祭りから逃げたの?」
声は柔らかく、反響を伴わなかった。
アレンが顔を上げる。
通路の端に、ルネスラが立っていた。
儀礼衣装ではなく、淡い灰銀の簡素な衣。
ここでは、神性の光すら彼女に従わない。
ただの“存在”。
「ここに来るべきじゃない」
「分かってるわ」
彼女は小さく微笑んだ。
「だから来たの」
足音を立てず、彼女は近づく。
「今日は、季節の女神が笑い続ける日だもの」
「でも……季節だって、休むのよ」
アレンは記録板を閉じた。
「姿を消すと、目立つ」
「ええ、いつもね」
ルネスラは落ち着いた声で答える。
「でも、ここまでは来ない」
果てしなく並ぶ記録棚を見渡しながら。
「彼ら、この場所が嫌いなの」
沈黙が落ちる。
不自然ではない。
重くもない。
心地よい静けさ。
アレンは椅子にもたれた。
「よく来るのか?」
「時間が誰のものでもないって思い出したい時に」
「神でさえ、ね」
彼は小さく息を漏らした。
「疲れてるな」
「ええ」
彼女は否定しなかった。
「見られ続けるのに」
「測られ続けるのに」
視線が、無意識に上を向く。
「怖れているのよ」
「私じゃなくて……私が象徴するものを」
アレンも、その方向を見る。
「変化だ」
「生きるために必要なのに、嫌われる」
ルネスラは彼をじっと見つめた。
「あなた、天使らしくないわ」
彼は目を逸らさなかった。
「演じるのが得意じゃないだけだ」
一瞬、彼女の表情に読み取れない影が落ちる。
やがて、机の縁に指先を触れた。
「もし……違う在り方が許されたなら」
「ここに、ずっといられたと思う?」
アレンは、すぐに答えなかった。
外では、鐘の音がかすかに鳴っている。
厚い石と記録に遮られて。
「いいや」
彼は静かに言った。
「でも……そう願うのは、悪くなかったと思う」
彼女は笑った。
女神としてではなく。
時間の代償を知る、一人の存在として。
二人は気づかなかった。
最上層の記録棚に走った、かすかな揺らぎを。
眠っていた記録が、
まるで“聞いていた”かのように、
自らを調整したことを。
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