第7話:電脳の羅生門(セキュリティ・ラビリンス)

鬼ヶ島、内部。 そこは地上で想像していた「研究施設」の概念を遥かに超えた、狂気の電脳建築物だった。


壁面を走る光ファイバーの束は、さながら脈打つ巨大な血管のように赤黒い光を運び、空気中には高濃度のナノマシンが霧となって停滞している。 肺に吸い込むたびに、鼻腔に金属質の味が広がる。


「……気持ち悪い場所だね。まるで巨大な生き物の胃袋の中にいるみたいだ」


エンがARマスクの感度を調整しながら、不快そうに顔をしかめた。 彼の周囲では、無数のホログラム・ウィンドウが高速で展開し、要塞内の構造をマッピングしようとしている。だが、その地図は常にノイズに侵され、数秒おきに形状を変えていた。


「当然でしょう。この要塞自体が、ONIウイルスの拡張現実(AR)によって常に『再定義』され続けているのです。……マスター、右前方から低周波の振動。物理的な防衛機構が作動しました」


MOMOが告げると同時に、通路の先から冷徹な機械音が響いた。 天井からせり出したのは、無数のレーザー・カッターを装備した多脚型セキュリティ・ロボット。それも、ただの機械ではない。装甲の隙間からはONIの赤い触手が漏れ出し、機体そのものが「鬼」の形相へと変異していた。


「……チッ、挨拶代わりにしては重すぎるな」


キビツが重リボルバー『桃断(ももだち)』を抜き放ち、撃鉄を起こした。


「エン、お前はゲートのロック解除に集中しろ。……シロ、MOMO! 雑魚を散らすぞ!」


「ガウッ!!」


シロが咆哮とともに地を蹴った。 その漆黒の巨体は、一瞬でセキュリティ・ロボットの懐へと潜り込む。 背中にマウントされた『熱断チェンソー』が駆動し、高周波の振動が空気を震わせた。 シロが跳躍し、鋼鉄の脚で壁を蹴る。空中での一閃。ロボットの硬質な装甲が、まるで紙細工のように両断された。


「MOMO、次が来るわよ! 足を止めないで!」


クシロの声が、通信機を通じて響く。 彼女は地上のラボで、要塞の外部電源をハッキングし、わずかながらのバックアップを行っていた。


「了解。……並列演算、開始。敵個体の論理回路を強制終了(シャットダウン)します」


MOMOが歩きながら、虚空を撫でる。 彼の手が動くたびに、襲いかかるロボットたちが糸の切れた人形のように沈黙し、床に崩れ落ちていく。 破壊ではなく、存在意義の消去。 MOMOの瞳に映る世界では、敵の動きは全て「命令文(コード)」の羅列に過ぎなかった。


一行は赤く光る回廊を突き進む。 突き当たりには、巨大な防壁が立ちふさがっていた。 『第一電脳門・羅生門』。 物理的な厚さ3メートル。さらにその表面には、解読に数百年かかると言われる暗号化障壁が何重にも張り巡らされている。


「おじさん、ここは僕の出番だね。……こんな古臭い暗号、僕の『猿の目』なら一瞬……って、げっ!? なんだよこれ、論理爆弾(ロジックボム)が地雷みたいに埋め込まれてる!」


エンが空中のキーボードを叩き、顔を真っ青にした。 門に触れた瞬間、ハッカーの脳を焼き切る強力な逆ハッキング・コードが発動する仕組みだ。


「やれやれ、これだから若輩の猿は困る。……エン、その第3階層のポインタを見てみなさい。そこが『嘘』の入り口ですよ」


天井付近を旋回していたキジが、毒舌と共にレーザーポインタで一点を指し示した。 キジの高度な索敵能力は、ONIが仕掛けた「隠しプログラム」を正確に見抜いていた。


「……あ、本当だ。……ふん、分かってたよそれくらい! キジ、お前の言う通りにパッチを当てるから、MOMO、処理能力を貸して!」


「接続(プラグイン)。……エン、思考を同期します。……今です!」


MOMOがエンの肩に手を置いた。 天才ハッカーの直感と、究極のプログラムの演算速度が融合する。 エンの指先が閃光のように動き、空中に数千行のコードを書き換えていく。 門の表面を流れていた赤い光が、一瞬だけ桃色に染まり――。


『――認証完了。プロトコル、クリア』


重厚な扉が、大気を震わせながら左右に開いた。


「よし! ざっとこんなもん……」


エンがドヤ顔を浮かべようとした瞬間、門の奥から「絶望」が溢れ出した。 そこに待っていたのは、数千もの赤い粒子が凝縮し、形作られた巨大な人影。 身長3メートル。青い電光を全身に纏い、巨大なデータ状の金棒を担いだ守護プログラム。


『中ボス鬼:青鬼・重装型(アオオニ・ヘビー)』。


「……デカいな。それに、こいつはさっきの雑魚とは『階層』が違う」


キビツがリボルバーを構え直す。 青鬼の瞳が冷酷に発光し、その金棒を地面に叩きつけた。 ドォォォォンッ!! 衝撃波が物理的な質量を持ってMOMOたちを襲う。


「ぐわっ!? 電磁波が……視界がバグる!」


エンが吹き飛ばされ、ARマスクにノイズが走る。 シロがMOMOの前に立ち、装甲を展開して衝撃を防ぐが、その強固なセラミックプレートにヒビが入った。


『――異分子、排除。世界の、リセットを、阻害、する、ノイズ、を、消去』


青鬼が合成音声で告げ、超高速で突進してきた。 その巨体に似合わない、雷光のような一撃。


「シロ、回避! MOMO、カウンタースロットを……!」


キビツの叫びよりも早く、MOMOが前へ出た。 「……理解しました。この個体は、過去に消去された防衛プログラムたちの『怨念(ゴミデータ)』の集合体です。……悲しいコードですね」


MOMOの全身から、眩いばかりの桃色の光が噴き出した。 彼は青鬼の振り下ろす金棒を、片手で受け止めた。 物理的な接触。だが、その瞬間、二人の周囲で現実の空間がガラスのように割れ、電脳空間の深層が剥き出しになる。


「KIBI-Module、部分展開。……書き換え(オーバーライド)を開始します」


MOMOの指先から、無数の光の糸が青鬼の腕へと流れ込んだ。 青鬼の青い体色が、侵食されるように桃色へと変色していく。


『――エラー。権限(パーミッション)、剥奪。私は、私は……!』


青鬼が苦悶の叫びを上げる。 その背後から、シロが最大出力のブースターを点火し、空を裂いた。 「ガゥゥゥゥ!!」


シロの牙が、青鬼の核(コア)を正確に貫く。 同時に、キジが天井から特殊なウイルス分解パッチを散布し、青鬼の再生能力を無効化した。


「……エン、トドメです。ラスト・パケットを」


「合点承知! お返しだ、こん畜生!!」


エンがタブレットを全力で振り下ろす仕草をすると、青鬼の足元に巨大な「虚無の穴(デリート・コマンド)」が出現した。 青鬼の巨体は、叫びを上げる間もなく、そのデータの深淵へと吸い込まれ、霧となって消滅した。


静寂が戻る。 だが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。


「……やったか?」


エンが息を切らしながら膝をつく。 キビツはリボルバーをホルスターに収めず、奥へと続く長い階段を見つめた。


「まだだ。今のは、要塞の『門番』に過ぎない。……MOMO、今の戦闘で何分使った?」


「……25分です。新年まで、あと残り1時間5分。……マスター、要塞の深層から、さらに強力なパルスを感じます」


MOMOの視線の先。 階段の頂上には、これまでとは比較にならないほど巨大な、黄金色に輝く「鏡」のようなゲートが鎮座していた。 それが、ONIウイルスの心臓部、そして人類の全ての記憶を吸い上げた『地獄の揺り籠』への入り口。


「おじさん、見てよこれ……」


エンがゲートの隣にあるモニターを指差した。 そこには、ネオ・オカヤマの市民たちの顔写真と、その横で高速で消去されていく「記憶データ」の進捗バーが表示されていた。 初恋の思い出、家族の顔、職人としての技術、愛した人の名前。 それらが、0と1の塵となって消えていく。


「……あいつら、本当にやるつもりだ。1月1日になった瞬間、この街の連中は全員、自分が誰だったのかも忘れて、ただの肉の塊になっちまう」


エンの声が、恐怖で震えていた。


「させないわ。……そんなこと、絶対に」


通信越しのクシロの声には、冷たい怒りが宿っていた。


「MOMO。あなたには、その全てを繋ぎ止める義務がある。……私たちがあなたに授けた『桃太郎』という名前は、奪うためではなく、取り戻すための名前よ」


「了解しました、マザー。……第7階層、突破。……これより、最終セキュリティ・ゾーンへと進入します」


MOMOが階段を一段、また一段と登っていく。 シロがその歩みに寄り添い、キジが先導し、キビツとエンが背中を守る。


2325年12月31日、22時55分。 外は猛烈な雪が降り、鬼ヶ島は嵐の中心で不気味に静止している。


一行は、黄金のゲートの前に辿り着いた。 この先に待つのは、ONIの真の目的。 そして、この物語の全ての謎が明かされる、運命の刻限。


「開けるぞ、野郎ども。……新しい年を、自分たちの名前で迎えるためにな」


キビツの手が、巨大なゲートのレバーにかけられた。


第7話「電脳の羅生門」 完

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