第6話:外周突破、鋼鉄の咆哮(ブレイクスルー・アウター・ウォール)
2325年12月31日、22時30分。 高度3万フィート。対流圏の限界を超えた極寒の空域で、強襲キャリア『桃型壱号(ピーチ・キャリア)』は猛烈な乱気流に揺れていた。
外は、もはや雨ではなく、凍てつく鉄の礫(つぶて)が機体を叩いている。眼下に広がるネオ・オカヤマは、ONIウイルスが放つ毒々しい赤いパルスの波に呑まれ、巨大な回路基板が炎上しているかのような無惨な光景をさらしていた。
「……高度維持限界。これ以上は機体が持たないよ、おじさん!」
コックピットの副座で、エンが悲鳴に近い声を上げた。彼のARマスクには、機体各所の損傷率と、前方に展開する絶望的な数の熱源反応が赤く点滅している。
「黙って手を動かせ、猿! お前の仕事は、このガラクタがバラバラになる前に、敵のレーダーを『盲目』にすることだ!」
操縦桿を握るキビツの額には、深い皺と汗が滲んでいる。彼の義手は機体とダイレクト・リンクし、神経を焼き切らんばかりの勢いで機動データを流し込んでいた。
前方のデッド・クラウドが割れ、その姿を現したのは、人類の技術の結晶でありながら、今は「鬼」の居城へと成り果てた浮遊要塞研究ラボ『鬼ヶ島』だった。 巨大な角のように天を突くメイン・アンテナから、不気味な赤い放電が繰り返されている。その周囲を囲むのは、数千、数万という数の自律型防衛ドローン『小鬼』の群れ。
「ターゲット・ロック。……来ます」
後部カーゴに陣取っていたMOMOが、静かに告げた。彼の瞳はすでに戦闘用の極彩色の情報を投影し、現実世界と電脳空間の境界を消失させている。その隣には、漆黒の重装甲を纏ったシロが、地響きのような唸り声を上げて四肢を床に食い込ませていた。
「キジ、聞こえるか。お前の出番だ」
「やれやれ、ようやくですか。この湿った雲の中で、私の美しい翼が錆びてしまうかと思いましたよ」
機体の外部マウントから切り離された白い翼――KIJI-01が、超音速で空へと舞い上がった。 キジの機体は瞬時に光学迷彩を展開し、現実の視界からもレーダーからも完全に消失する。
「さて……野蛮な猿と、口の悪い飼い主のために、まずはその煩い『耳』を塞いで差し上げましょう。……ジャミング・プロトコル、展開」
キジが鬼ヶ島の防衛網に接触した瞬間、敵のレーダー・スクリーンが一斉に桃色のノイズで塗りつぶされた。キジに搭載された電子戦ユニットが、ONIウイルスの通信プロトコルを一時的に混乱させ、偽の座標情報を流し込んだのだ。
だが、ONIも黙ってはいない。 「……チッ、強引に再構築してきやがった! ウイルスの自己修復速度が異常だ!」
エンが叫ぶと同時に、キジの迷彩を剥ぎ取らんとする高出力の赤色レーザーが空を切り裂いた。 「おっと……危ない。私の尾羽を焼こうなんて、100年早いですよ。MOMO、データの隙間を見つけました。座標データを転送します。そこからなら、物理的な突破が可能です」
「了解。……シロ、扉を開けます」
MOMOがキャリアの後部ハッチを開放した。 瞬間、機内に氷点下の暴風が吹き込む。高度3万フィートの断崖絶壁。 MOMOは躊躇なく、空へと身を投げ出した。
「ワンッ!!」
シロがその後に続く。重力に従い落下する二人の背後で、キャリアから射出されたシロ専用の飛行ブースターがドッキングし、漆黒の獣が空を駆ける戦車へと変貌した。
「迎撃ドローン軍、接近! 数……多すぎて数え切れないよ!」
エンの報告を待つまでもなく、視界は赤いカメラアイの群れで埋め尽くされた。 小鬼ドローンが、その鋭い機首をMOMOたちへと向け、一斉にガトリング砲を火を吹く。
「……無駄です」
空中でMOMOが指先を踊らせた。 彼の周囲に、電磁障壁(EMPシールド)が桃色の球体となって展開される。 降り注ぐ弾丸は障壁に触れた瞬間に運動エネルギーを奪われ、虚空へと落ちていく。
「シロ、掃討を開始してください。キジ、誘導を」
「了解、閣下。……右舷30度、密集地帯があります。シロ、あそこにプレゼントを叩き込んでやりなさい」
キジの指示に合わせ、シロの背中にマウントされた多連装ミサイルポッドが開放された。 「ガウッ!!」
咆哮とともに放たれた12発のマイクロ・ミサイルが、尾を引いて空を裂く。 それらはただのミサイルではない。クシロが開発した「対ウイルス用論理爆弾」を内蔵した特殊弾頭だ。 着弾の瞬間、爆風と共に青白い電光が走り、小鬼ドローンの群れが連鎖的にシステムダウンを起こして空中分解していく。
「ヒュー! やるねえ、ポチ! いいセンスしてるよ!」
エンが通信で茶化すが、シロは冷徹に次のターゲットを捕捉していた。 シロの視界には、MOMOから供給される高精度の予測データが常に流れ込んでいる。敵の弾道、風向き、ウイルスの挙動。 今のシロは、老いた肉体の限界を超え、MOMOという巨大な脳を得た、無敵の猟犬だった。
「マスター、外壁の第4セクターに脆弱性を発見。……キジ、そこへ潜入用の電子キーを打ち込んでください」
「仰せのままに。……ですが、あそこには『門番』がいるようですよ?」
キジが指し示した先、鬼ヶ島の外壁から、一際巨大な影がせり出してきた。 それは巨大な金棒を模したレールガンを装備した、中ボス級の防衛プログラム『赤鬼・零型』。 重厚な物理装甲に加え、強力なデータ防壁を纏った、空飛ぶ要塞の番人だ。
「……あれは僕のハッキングじゃ抜けない! プロテクトが厚すぎる!」
エンの声に焦りが混じる。 赤鬼のレールガンがチャージを開始し、大気がビリビリと震え始めた。 直撃すれば、MOMOの障壁ごと消し飛ばされる。
「……キビツ。……クシロ。……モジュールを、使用します」
MOMOの低い声が通信機を通じ、地下の研究室に届いた。 「……ああ。許可する。燃やし尽くせ、MOMO」
キビツの力強い返答。 MOMOが懐から、桃色に輝く小さなパッチ・デバイス――『KIBI-Module』を取り出し、自身の首筋にあるアクセスポートに差し込んだ。
「――オーバークロック、限界突破。コード、MOMO・フルビルド」
その瞬間、MOMOの全身から、それまでの比ではない圧倒的な光が溢れ出した。 少年の姿が光の中に溶け、背後に巨大な桃色の蓮華を思わせる、複雑な幾何学模様のウィングが展開される。
演算速度は通常の1000%を超え、周囲の時間の流れが止まったかのように錯覚するほどの超思考領域。 MOMOの視界では、赤鬼が放とうとしているレールガンの電位差すら、手に取るように把握できていた。
「消去(デリート)。……一瞬で十分です」
MOMOが虚空を薙ぐように手を動かした。 次の瞬間、光の速さで放たれたMOMOのハッキング・コードが、赤鬼の鉄壁の防壁を「無」へと書き換えた。 物理的な衝撃が走る。 レールガンの発射を待たずして、赤鬼の巨体は自らのエネルギーに耐えきれず、内部から桃色の炎を上げて爆散した。
「……うそ……一撃……?」
エンが呆然と呟く。 その爆炎を切り裂き、MOMOとシロ、そしてキジが、鬼ヶ島の外壁へと肉薄した。
「キジ、今です!」
「はいはい、お待たせしました。……物理ロック、解除。電子キー、オーバーライド。……歓迎式典の準備が整いましたよ」
キジが外壁のメンテナンス・ハッチに接触し、クシロが仕込んだ特殊なウイルス解除プログラムを流し込んだ。 重厚なチタン合金の扉が、悲鳴を上げるようにして開く。
「キビツ、エン! 行くぞ、離脱(パージ)だ!」
キビツは桃型壱号を鬼ヶ島のドッキングベイへと特攻させる勢いで突入させた。 機体が激しい衝撃と共に滑走路を削り、火花を散らしながら停止する。
ハッチが開き、キビツとエンが武器を手に飛び出した。 空からは、光り輝くMOMOと、鋼鉄の獣シロが、神話の英雄のように舞い降りる。
そこは、鬼ヶ島・内部。 街の賑やかさとは正反対の、無機質な静寂と、赤い警告灯だけが支配する電子の監獄。
「……潜入成功、だな」
キビツが重リボルバーのシリンダーを確認し、不敵に笑った。 エンはタブレットを構え、シロは周囲の温度変化を察知し、キジは天井付近で静かに旋回する。
「おじさん……ここ、空気が重いよ。ウイルスの濃度が地上とは桁違いだ」
「ああ、ここからが本番だ。……MOMO、気分はどうだ?」
光が収まり、元の少年の姿に戻ったMOMOが、ゆっくりと周囲を見渡した。 彼の足元には、浸食された床から立ち上る赤い電子の霧が、生き物のようにまとわりついている。
「……不快です。この空間に、人類の『記憶』が閉じ込められているのを感じます」
MOMOの瞳が、要塞の深部を見据えた。 「行きましょう。……新年まで、あと1時間と30分。……全ての鬼を、消去します」
一行は、赤く明滅する長い通路の奥へと歩み出した。 背後でハッチが自動で閉まり、外部との通信が遮断される。
これより先は、後戻りのできない地獄。 だが、彼らの目には迷いはなかった。 2325年、最後にして最大の戦いが、今、浮遊要塞の内部で幕を開けたのだ。
第6話「外周突破、鋼鉄の咆哮」 完
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