第2話 交錯するThunder Dolphin

東条ミチルは、スマホのアラームを三回目で止めた。

 五月の朝の光が、駒込の古いアパートのカーテン越しに滲んでいる。


「……一限」


 口に出しただけで、眠気が増した気がした。

 ベッドの縁に座り、しばらく天井を見つめる。行くか、行かないか。そんなことを考えている時点で、たぶん行く気は半分もない。


半分もないが…

 顔を洗い、適当に髪を整え、リュックを背負う。

 ミチルは原付のキーとスマホと煙草を掴んで外に出た。



 駒込から水道橋までは、朝の風を切ればそれほど遠くない。

 白山通りを抜け、徐々に街の色が変わっていく。ビルが増え、人の流れが太くなる。


 白山通りを北側から来た水道橋駅前のところで、ミチルは少しだけアクセルを緩めた。


「着いちゃったな……」


 N本大学のキャンパスは、そのすぐそばだ。

 原付を停め、構内へ入ると、すでに見慣れた顔があった。


「一限、どーすんの?」

 イズミが、講義棟の方を見ながら言う。


「微妙だな」

 マサユキが答える。


 ミチルは返事をせず、しばらく校舎を眺めていた。


「……午前、サボる?」


 その一言で空気が決まった。


「じゃ、ドーム?」

 イズミが即座に乗る。


「サンダードルフィン!ジェットコースターっスね」

 マサユキも笑う。


 ジュンも含めた四人で歩き出し、キャンパスを出て白山通りへ向かう。




 ラクーアへ向かう途中、ミチルの足取りは少し軽くなっていた。

 白山通りをドーム方面へ歩くと、左手に遊園地の入り口が見える。通学路と非日常が、無理やり隣り合っている場所だ。


「今さらだけどさ」

 ミチルが言う。

「俺、ああいうの高いの、得意じゃないからね?」


「知ってる」

 マサユキが即答する。


「アンタ根性ないもんね」

 イズミが笑う。


 その横で、ジュンはレールを見上げて、少し考えるように顎に手を当てていた。


「……俺、やめときますわ」


 三人が同時に振り返る。


「え?」

「まじで?」

「来たのに?」


 ジュンはあっさり言った。


「記憶力いいんで。一限のノート、俺が取っときます」

「あと、サンダーファイヤー?あれは無理無理無理無理。絶〜対無理ッ!」


 ちょうどその時、サンダードルフィンが落下していく。

 金属音と、悲鳴。


「ほらね」

 ジュンは、静かに言った。

「死にたくないんで」


「潔すぎるだろ……」

 ミチルが呆れる。


「じゃ、俺は大学戻りますわ」

 ジュンは手を軽く振った。

「後で学食で会えたら合流しましょう」


 そう言って、来た道を引き返していった。



 残されたのは、ミチル、マサユキ、イズミの三人だった。


「……アイツ逃げたな」

 マサユキが言う。


「賢い選択だと思うね」

 ミチルは正直に答えた。


 それでも、三人は列に並んだ。

 もう、後戻りはできない。


「……マジで乗るんスか?」

 マサユキが苦笑いを浮かべている。

 余裕そうに見せているが、目がわずかに泳いでいた。


「マー坊もビビってんじゃね?」

 ミチルが言う。


「い、いや。ミチルさんほどじゃないです」

 マサユキは即座に否定する。


「お前ら張り合うな」

 イズミが呆れたように言った。

「どうせ全員ビビってんだから」


 ちょうど真上を列車が通過する。

 悲鳴と一緒に、風圧が頬を叩いた様な気がした。


「ほら……今の」

 ミチルは指をさす。

「絶対、魂どっか持ってかれてた」


「そういうこと言わないでくださいよ」

 マサユキが顔をしかめる。


「仕方なくね?怖くね?」

 ミチルは前を向いたまま言った。

「俺、身体の構造的にジェットコースター向いてないの…」


「またそれですか」


「片タマしかないからね…」


「そこ関係あるんですか!?」


 マサユキが思わず声を上げ、

 前に並んでいた客がちらっと振り返った。


「あるある」

 ミチルは真顔だ。

「バランス悪いんだよ。心臓も半分になりそ…」


「はいはい」

 イズミが鼻で笑う。

「自虐で逃げるタイプ」


 列が進み、足元が金属床に変わる。

 スタッフの指示と安全アナウンスが重なり、空気が一気に現実味を帯びた。


「……今から席、変われません?」

 ミチルがぼそっと言う。


「無理ッス」

 マサユキが即答する。

「俺、後ろですから」


「裏切り者」


「ミチルさんが前で叫んでくれたら安心です」


「叫ぶ余裕があればね…」


 しかし、ゲートが開き、流れ作業のように案内される。


 ミチルはイズミの隣の席へ。

 マサユキはその一列後ろに座らされた。


 安全バーが降りる音がして、逃げ場が完全に消える。


「……なあイズミ」

 ミチルが小さく言う。


「なに」


「生きて帰れたらスタバ奢ってね」


「今この状況で縁起でもないこと言うな」


 発車音が鳴った。


所詮はただの絶叫アトラクション。

喉元過ぎれば…ではあるが

 足が、まだ地面をちゃんと掴めていない気がした。


「……無理」

 ミチルはベンチに崩れ落ちるように腰を下ろす。

 視界が微妙に揺れている。


「生きてます?」

 一歩遅れて降りてきたマサユキが、後ろから声をかける。


「半分ね」

 ミチルは即答した。

「片タマ分、魂持ってかれた」


「だから関係ないですって」


 イズミはベンチの背もたれに寄りかかり、空を見上げている。

 息は荒いが、表情は案外落ち着いていた。


「……叫んでたじゃん」


「言うな」


 耳の奥で、まだ風切り音が鳴っている。

 サンダードルフィンは何事もなかったかのように、次の客を乗せて再び動き出した。


「もう二度と乗らないんで」

 ミチルが言う。


「また来たら忘れて乗りますよ、ミチルさんは」

 マサユキが笑う。


「乗らないっしょ?大学のすぐ側にこんなのあるのおかしいだろ!」


 少し落ち着いてきて、ミチルは周囲を見渡した。

 観覧車、売店、笑い声。

 さっきまでの恐怖が、急に他人事みたいに思えてくる。


 そのときだった。


 少し離れたベンチに、妙に目立つ少年が座っている。



一際目立つ赤いスーパーマリオのキャップに青いオーバーオールを着た小柄な少年が、にこにことこちらを見ながら近づいてくる。無言だが、笑顔だけで不思議な存在感を放っていた。


「……あのマリオの格好、ウチの変な1年生だ」

ミチルは小声でつぶやいた。


少年がゆっくり近づいてくる。この格好が、周囲の人ごみの中でもよく目立つ。


「……お前、1年生だろ?サボりか?」

ミチルが声をかける。イズミも隣で小さくうなずく。


しかし、笑顔のまま、何も答えない。ただこちらをじっと見ているだけだ。


「……ん?」

ミチルは少し首をかしげる。何度か同じ事を話しかけても、マリオ帽の1年生は無言で微笑んでいる。


「この子、話せないのかな……?」

イズミが小声でつぶやく。


ミチルはそっと思考を巡らせる。動きや表情は子どもっぽくも、落ち着いていて、何か事情がありそうだ。

笑顔を絶やさず、でも一切言葉を発しない――これはただの無愛想ではない。


「……あ、もしかして失語症なのかな?」

ミチルがそう言った。


そのとき、女の声が響いた。


「その通りよ、おかまくん!」


振り返ると、バイカーファッションのジャケットに、太陽の光を反射する自作のシルバーアクセサリーを身につけた女が立っていた。マサユキはすぐに気づき、手を大きく振る。

「あ!ヤヨイ先輩!」


ミチルたちを見渡して、マサユキが説明する。

「この人ヤヨイ先輩!こないだの4月の新歓で仲良くなって、4年生で、いつもこのバイカースタイル。自分で作ったシルバーアクセサリーをつけてるんスよ。ちと個性的ですけど、綺麗な人でしょう?」


ヤヨイはにこやかに近づき、ミチルを一瞥して言った。

「学校内では何度か見た事あるし、噂に聞いたあのオカマの子ね?マーくんの友達なんだ…」


マサユキが慌ててフォローする。

「いや、ヤヨイさん、違うんです!ミチルさんは昼はオカマじゃなくて割と男です。見た目が中性的で夜はちょっとオカマで……なんか昔の事故で片方しか……まあ、半分だけ男みたいな感じです!」


ヤヨイは興味深そうに目を細め、ミチルを見つめた。

「なるほど、中身は男なのね…面白いわ」


その横で、マリオ帽の1年生がじっとこちらを見つめたまま微笑んでいる。

ヤヨイはさらに説明する。

「この子はモイちゃん。まだ1年生で、赤羽のシェアハウスから通ってるの。ちょっと失語症で喋れない子だけど、しっかりしてるのよ」


ミチルは軽く首をかしげ、イズミと横に立ちながらモイちゃんを観察する。にこにこ笑っているだけで、何も言わない。

「アンタもサボりなの?空きコマかなのかな?」ともう一度イズミが軽く話しかけると、モイちゃんは笑顔で小さく頷いた。



ミチルたちは自然とラクーアのケンタッキーへ向かう。途中、マサユキはヤヨイ先輩と軽く話しながら、彼女の自作シルバーアクセサリーに目を奪われる。

「先輩のアクセサリー、かっこいいですね」とマサユキ。

ヤヨイは微笑むだけで、特に説明はしない。その自信満々の表情がまた目立つ。


店内に入ると、窓際の席に腰を下ろす。

チキンの香りと賑やかな声に包まれ、少しだけ現実感が戻ってくる。

ミチルはふぅ、と大きく息を吐き、イズミとモイちゃんの様子をちらっと見る。モイちゃんはずっとにこにこ笑ったままだ。


「じゃあ、昼飯食うか」とミチル。

「そうッスね!午後は流石に授業出ないとヤバいんで」とマサユキ。

ヤヨイは軽く頷き、モイちゃんは笑顔を崩さない。


窓の外には東京ドームとその周囲の街並みが広がり、少しずつ午後の光が差し込む。

小さな5人のグループが、東京の中心でささやかな昼休みを楽しんでいた。



放課後のN大経済学部水道橋キャンパス。タカはスマホを覗き込み、眉をひそめた。


「…何だろう?飛鳥山の集いって?なんの集まりなのかな?」


タカの声に、ミチルは軽くドキッとする。

「…宗教みたいな心の浄化とか、そういう会らしいよ?巣鴨のピンサロ嬢のチカちゃんが言ってた…」


タカは苦笑を漏らす。

「え?ミチルさん知ってるんです?」


ミチルはちょっと心配そうにタカを見つめる。

「知ってるってか、最近結構その話連続で聞くんだよ。宗教ぽくて気持ち悪いなって…。タカが変なことに巻き込まれないかちと心配?」


タカは口元に笑みを浮かべ、少し嫌味っぽくも仲間意識を漂わせる。

「大丈夫ですよ、ミチルさん。僕がそーいうのに引っかかると思います?高校の同級のアコちゃんが行くってインスタで見て、ちょっと様子を見に行こうと思っただけです!アコちゃんと久しぶりに会えるチャンスなんで!アコちゃんM治大学に行ったんで!僕はなんでこんなバカばかりのN大なんかに来てしまったのだろう!!」


ミチルは頭を掻きながら

「最近冗談抜きでめちゃくちゃ飛鳥山の集いの話聞くからさ…気をつけてね……」


タカはにやりと笑い、歩を進める。

「まあ、ミチルさんほど鈍感じゃないですし。アコちゃんのためなら、ちょっとの冒険くらい…ね」


飛鳥山に向かう為、水道橋駅にタカは軽やかに歩き出す。

スマホの画面には、飛鳥山の集いの情報とアコちゃんの笑顔が並び、胸の奥が少しだけ高鳴るのだだった。

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水道橋探偵団 宇佐美結愛 @yuriausami

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