第2話 交錯するThunder Dolphin
東条ミチルは、スマホのアラームを三回目で止めた。
五月の朝の光が、駒込の古いアパートのカーテン越しに滲んでいる。
「……一限」
口に出しただけで、眠気が増した気がした。
ベッドの縁に座り、しばらく天井を見つめる。行くか、行かないか。そんなことを考えている時点で、たぶん行く気は半分もない。
半分もないが…
顔を洗い、適当に髪を整え、リュックを背負う。
ミチルは原付のキーとスマホと煙草を掴んで外に出た。
◆
駒込から水道橋までは、朝の風を切ればそれほど遠くない。
白山通りを抜け、徐々に街の色が変わっていく。ビルが増え、人の流れが太くなる。
白山通りを北側から来た水道橋駅前のところで、ミチルは少しだけアクセルを緩めた。
「着いちゃったな……」
N本大学のキャンパスは、そのすぐそばだ。
原付を停め、構内へ入ると、すでに見慣れた顔があった。
「一限、どーすんの?」
イズミが、講義棟の方を見ながら言う。
「微妙だな」
マサユキが答える。
ミチルは返事をせず、しばらく校舎を眺めていた。
「……午前、サボる?」
その一言で空気が決まった。
「じゃ、ドーム?」
イズミが即座に乗る。
「サンダードルフィン!ジェットコースターっスね」
マサユキも笑う。
ジュンも含めた四人で歩き出し、キャンパスを出て白山通りへ向かう。
◆
ラクーアへ向かう途中、ミチルの足取りは少し軽くなっていた。
白山通りをドーム方面へ歩くと、左手に遊園地の入り口が見える。通学路と非日常が、無理やり隣り合っている場所だ。
「今さらだけどさ」
ミチルが言う。
「俺、ああいうの高いの、得意じゃないからね?」
「知ってる」
マサユキが即答する。
「アンタ根性ないもんね」
イズミが笑う。
その横で、ジュンはレールを見上げて、少し考えるように顎に手を当てていた。
「……俺、やめときますわ」
三人が同時に振り返る。
「え?」
「まじで?」
「来たのに?」
ジュンはあっさり言った。
「記憶力いいんで。一限のノート、俺が取っときます」
「あと、サンダーファイヤー?あれは無理無理無理無理。絶〜対無理ッ!」
ちょうどその時、サンダードルフィンが落下していく。
金属音と、悲鳴。
「ほらね」
ジュンは、静かに言った。
「死にたくないんで」
「潔すぎるだろ……」
ミチルが呆れる。
「じゃ、俺は大学戻りますわ」
ジュンは手を軽く振った。
「後で学食で会えたら合流しましょう」
そう言って、来た道を引き返していった。
◆
残されたのは、ミチル、マサユキ、イズミの三人だった。
「……アイツ逃げたな」
マサユキが言う。
「賢い選択だと思うね」
ミチルは正直に答えた。
それでも、三人は列に並んだ。
もう、後戻りはできない。
「……マジで乗るんスか?」
マサユキが苦笑いを浮かべている。
余裕そうに見せているが、目がわずかに泳いでいた。
「マー坊もビビってんじゃね?」
ミチルが言う。
「い、いや。ミチルさんほどじゃないです」
マサユキは即座に否定する。
「お前ら張り合うな」
イズミが呆れたように言った。
「どうせ全員ビビってんだから」
ちょうど真上を列車が通過する。
悲鳴と一緒に、風圧が頬を叩いた様な気がした。
「ほら……今の」
ミチルは指をさす。
「絶対、魂どっか持ってかれてた」
「そういうこと言わないでくださいよ」
マサユキが顔をしかめる。
「仕方なくね?怖くね?」
ミチルは前を向いたまま言った。
「俺、身体の構造的にジェットコースター向いてないの…」
「またそれですか」
「片タマしかないからね…」
「そこ関係あるんですか!?」
マサユキが思わず声を上げ、
前に並んでいた客がちらっと振り返った。
「あるある」
ミチルは真顔だ。
「バランス悪いんだよ。心臓も半分になりそ…」
「はいはい」
イズミが鼻で笑う。
「自虐で逃げるタイプ」
列が進み、足元が金属床に変わる。
スタッフの指示と安全アナウンスが重なり、空気が一気に現実味を帯びた。
「……今から席、変われません?」
ミチルがぼそっと言う。
「無理ッス」
マサユキが即答する。
「俺、後ろですから」
「裏切り者」
「ミチルさんが前で叫んでくれたら安心です」
「叫ぶ余裕があればね…」
しかし、ゲートが開き、流れ作業のように案内される。
ミチルはイズミの隣の席へ。
マサユキはその一列後ろに座らされた。
安全バーが降りる音がして、逃げ場が完全に消える。
「……なあイズミ」
ミチルが小さく言う。
「なに」
「生きて帰れたらスタバ奢ってね」
「今この状況で縁起でもないこと言うな」
発車音が鳴った。
◆
所詮はただの絶叫アトラクション。
喉元過ぎれば…ではあるが
足が、まだ地面をちゃんと掴めていない気がした。
「……無理」
ミチルはベンチに崩れ落ちるように腰を下ろす。
視界が微妙に揺れている。
「生きてます?」
一歩遅れて降りてきたマサユキが、後ろから声をかける。
「半分ね」
ミチルは即答した。
「片タマ分、魂持ってかれた」
「だから関係ないですって」
イズミはベンチの背もたれに寄りかかり、空を見上げている。
息は荒いが、表情は案外落ち着いていた。
「……叫んでたじゃん」
「言うな」
耳の奥で、まだ風切り音が鳴っている。
サンダードルフィンは何事もなかったかのように、次の客を乗せて再び動き出した。
「もう二度と乗らないんで」
ミチルが言う。
「また来たら忘れて乗りますよ、ミチルさんは」
マサユキが笑う。
「乗らないっしょ?大学のすぐ側にこんなのあるのおかしいだろ!」
少し落ち着いてきて、ミチルは周囲を見渡した。
観覧車、売店、笑い声。
さっきまでの恐怖が、急に他人事みたいに思えてくる。
そのときだった。
少し離れたベンチに、妙に目立つ少年が座っている。
◆
一際目立つ赤いスーパーマリオのキャップに青いオーバーオールを着た小柄な少年が、にこにことこちらを見ながら近づいてくる。無言だが、笑顔だけで不思議な存在感を放っていた。
「……あのマリオの格好、ウチの変な1年生だ」
ミチルは小声でつぶやいた。
少年がゆっくり近づいてくる。この格好が、周囲の人ごみの中でもよく目立つ。
「……お前、1年生だろ?サボりか?」
ミチルが声をかける。イズミも隣で小さくうなずく。
しかし、笑顔のまま、何も答えない。ただこちらをじっと見ているだけだ。
「……ん?」
ミチルは少し首をかしげる。何度か同じ事を話しかけても、マリオ帽の1年生は無言で微笑んでいる。
「この子、話せないのかな……?」
イズミが小声でつぶやく。
ミチルはそっと思考を巡らせる。動きや表情は子どもっぽくも、落ち着いていて、何か事情がありそうだ。
笑顔を絶やさず、でも一切言葉を発しない――これはただの無愛想ではない。
「……あ、もしかして失語症なのかな?」
ミチルがそう言った。
そのとき、女の声が響いた。
「その通りよ、おかまくん!」
振り返ると、バイカーファッションのジャケットに、太陽の光を反射する自作のシルバーアクセサリーを身につけた女が立っていた。マサユキはすぐに気づき、手を大きく振る。
「あ!ヤヨイ先輩!」
ミチルたちを見渡して、マサユキが説明する。
「この人ヤヨイ先輩!こないだの4月の新歓で仲良くなって、4年生で、いつもこのバイカースタイル。自分で作ったシルバーアクセサリーをつけてるんスよ。ちと個性的ですけど、綺麗な人でしょう?」
ヤヨイはにこやかに近づき、ミチルを一瞥して言った。
「学校内では何度か見た事あるし、噂に聞いたあのオカマの子ね?マーくんの友達なんだ…」
マサユキが慌ててフォローする。
「いや、ヤヨイさん、違うんです!ミチルさんは昼はオカマじゃなくて割と男です。見た目が中性的で夜はちょっとオカマで……なんか昔の事故で片方しか……まあ、半分だけ男みたいな感じです!」
ヤヨイは興味深そうに目を細め、ミチルを見つめた。
「なるほど、中身は男なのね…面白いわ」
その横で、マリオ帽の1年生がじっとこちらを見つめたまま微笑んでいる。
ヤヨイはさらに説明する。
「この子はモイちゃん。まだ1年生で、赤羽のシェアハウスから通ってるの。ちょっと失語症で喋れない子だけど、しっかりしてるのよ」
ミチルは軽く首をかしげ、イズミと横に立ちながらモイちゃんを観察する。にこにこ笑っているだけで、何も言わない。
「アンタもサボりなの?空きコマかなのかな?」ともう一度イズミが軽く話しかけると、モイちゃんは笑顔で小さく頷いた。
ミチルたちは自然とラクーアのケンタッキーへ向かう。途中、マサユキはヤヨイ先輩と軽く話しながら、彼女の自作シルバーアクセサリーに目を奪われる。
「先輩のアクセサリー、かっこいいですね」とマサユキ。
ヤヨイは微笑むだけで、特に説明はしない。その自信満々の表情がまた目立つ。
店内に入ると、窓際の席に腰を下ろす。
チキンの香りと賑やかな声に包まれ、少しだけ現実感が戻ってくる。
ミチルはふぅ、と大きく息を吐き、イズミとモイちゃんの様子をちらっと見る。モイちゃんはずっとにこにこ笑ったままだ。
「じゃあ、昼飯食うか」とミチル。
「そうッスね!午後は流石に授業出ないとヤバいんで」とマサユキ。
ヤヨイは軽く頷き、モイちゃんは笑顔を崩さない。
窓の外には東京ドームとその周囲の街並みが広がり、少しずつ午後の光が差し込む。
小さな5人のグループが、東京の中心でささやかな昼休みを楽しんでいた。
◆
放課後のN大経済学部水道橋キャンパス。タカはスマホを覗き込み、眉をひそめた。
「…何だろう?飛鳥山の集いって?なんの集まりなのかな?」
タカの声に、ミチルは軽くドキッとする。
「…宗教みたいな心の浄化とか、そういう会らしいよ?巣鴨のピンサロ嬢のチカちゃんが言ってた…」
タカは苦笑を漏らす。
「え?ミチルさん知ってるんです?」
ミチルはちょっと心配そうにタカを見つめる。
「知ってるってか、最近結構その話連続で聞くんだよ。宗教ぽくて気持ち悪いなって…。タカが変なことに巻き込まれないかちと心配?」
タカは口元に笑みを浮かべ、少し嫌味っぽくも仲間意識を漂わせる。
「大丈夫ですよ、ミチルさん。僕がそーいうのに引っかかると思います?高校の同級のアコちゃんが行くってインスタで見て、ちょっと様子を見に行こうと思っただけです!アコちゃんと久しぶりに会えるチャンスなんで!アコちゃんM治大学に行ったんで!僕はなんでこんなバカばかりのN大なんかに来てしまったのだろう!!」
ミチルは頭を掻きながら
「最近冗談抜きでめちゃくちゃ飛鳥山の集いの話聞くからさ…気をつけてね……」
タカはにやりと笑い、歩を進める。
「まあ、ミチルさんほど鈍感じゃないですし。アコちゃんのためなら、ちょっとの冒険くらい…ね」
飛鳥山に向かう為、水道橋駅にタカは軽やかに歩き出す。
スマホの画面には、飛鳥山の集いの情報とアコちゃんの笑顔が並び、胸の奥が少しだけ高鳴るのだだった。
水道橋探偵団 宇佐美結愛 @yuriausami
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