水道橋探偵団

宇佐美結愛

第1話 飛鳥山のStargazer

 巣鴨でピンサロ勤務を終えたチカは、飛鳥山公園へ向かっていた。


 五月の夜は、昼間の熱をまだ少し残している。

 公園の噴水前広場には、すでに数十人の男女が集まっていた。年齢も服装もばらばらで、学生のような者もいれば、仕事帰りらしいスーツ姿もいる。誰かに指示されているわけでもないのに、自然と円を描くように並び、全員が同じ方向――夜空を見上げていた。


 前に立つのは、頭からローブをまとった一人の女性。

 誰がそう呼び始めたのかは分からないが、ここでは彼女を飛鳥山の女神で「アスカ様」と呼ぶ様になった。


「宗教じゃありません。信じるとか、縛るとか、そういうものでもないです」


 アスカ様は、穏やかな声でそう言った。


「宇宙から降りてくるエネルギーを、ただ受け取るだけ。心が疲れている人ほど、空を見上げてみてください」


 難しい言葉は使わない。祈りも、唱え言もない。

 ただ、立って、空を見る。


 チカは集団の一番後ろに立ち、噴水の水音を聞きながら夜空を見上げた。

 祈るつもりも、信じるつもりもない。ただ、今は寄り添える場所が欲しかった。


 不思議なことに、胸の奥に溜まっていた重さが、少しだけ薄れる気がした。


 ――楽だ。


 そう感じた瞬間、吸い込まれそうな夜空が少し怖くなる。


 チカは何も言わず、ただ空を見続けていた。


     ◆


 N本大学経済学部の学食は、昼休みのピークを迎えていた。


 学食を持った学生たちの列を抜け、東条ミチルはいつもの顔ぶれと席に着く。

 田井村ジュン、星川イズミ、鈴井タカ、そして箕田マサユキ。


「昨日の講義、ノート取らなくてもほぼ覚えてる」


 ジュンが少し得意げに言う。


「まとめてあるから、サボった人も安心していいですよ」


「はいはい、さすが記憶力オタク」


 タカが皮肉っぽく笑う。


「ミチルさん、さっきの講義、途中で出て行ってましたよね」


「うん。ちとヤニ吸いたくて」


 ミチルはあっさり答え、気にした様子もない。

 中性的な顔立ちと柔らかい声のせいか、多少いい加減でも咎められにくい。


「ミチルさん?放課後暇っスか?」


 マサユキが、先輩に話す程度の軽い敬語で声をかける。


「久しぶりに、巣鴨のあのピンサロ、チカちゃんの店でも行きません?」


 イズミは露骨に眉をひそめた。


「……あんたら、風俗とかマジでキショいんだけど」


「まあまあ」


 ミチルは軽く笑う。


「あっ!チカちゃんの店?

 昨日、バ先のおかまバーで『可愛い』って言われて、客にチンコ、ガッと掴まれてさ。マジで最悪だった」


「うわ……」


「だから、たまには純女の店で、男らしいことしたくてね!いいと思う♡」


 その場に、どっと笑いが起きた。


     ◆


 放課後、ミチルは原チャリ、マサユキは電車で巣鴨に向かい、合流しチカの店へ向かった。


 半年ぶりの再会だった。


「久しぶりだね、ミチル」


 チカは少し疲れた笑顔でそう言った。


「相変わらず夜職?」


「うん。お互い様だけど」


 サービスの合間、チカはふと真剣な顔になる。


「ねえ、夜の仕事ってさ……心、病むじゃん」


「まあね」


「だから私、最近“飛鳥山の集い”に行ってるの」


 ミチルは眉を上げる。


「なにそれ、宗教?」


「違う違う。ただの集い。アスカ様って人がいてさ、夜空から浄化エネルギーを貰うだけ。

 不思議だけど、ちょっと楽になるんだよ」


 ミチルは曖昧に頷いた。


 ――胡散臭い。

 けど、チカの顔は、どこか救われたようにも見えた。


     ◆


 店を出た後、マサユキが言った。


「飯でも食っていきます?」


「今日は無理。おかまバーだから」


「ですよね」


 軽く手を振り、二人は別れた。


 ミチルは巣鴨駅前の西友に停めていた原付に跨り、上野へ向かう。


     ◆


 夜の上野。

 ネオンの中にあるおかまバー「バナナビート」。


 源氏名ソウラとしてフロアに立つと、いつもの客――今井が指名してきた。


「ソウラちゃん、今日も可愛いのぉ」


 股間へと距離を詰める手に、内心うんざりしながら笑顔を保つ。


 隣には、同じキャスト仲間のウララがさりげなく立ち、牽制する。


「そういやな」


 今井が酒に酔った声で言った。


「うちの部下が、飛鳥山の変な集い行っとるらしくてな。

 アスカ様とか言う女がおるんやと」


 ミチルの耳が、自然とその言葉を拾った。


 ――飛鳥山。

 ――アスカ様。


 チカの話と、重なる。


     ◆


 深夜一時。

 仕事を終え、原付でミチルのボロアパートがある駒込へ向かう。


 走りながら、夜空をちらりと見上げる。

 王子方面――飛鳥山のある方角。


 正直、気持ち悪いという感覚だ。

 けれど、何かが静かに引っかかっている。


 アパートの鍵を開け、部屋に入ると、ようやく一日が終わった気がした。


 今日も、昼と夜の顔を使い分けた一日。


 自分には無関係だと思いながらも飛鳥山の話を、頭の片隅に残したまま――。

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