第7話
王都の一等地に屋敷を構えるベルンシュタイン伯爵家。
そのダイニングルームでは、今夜、豪勢な晩餐会が開かれていた。
テーブルには銀の食器が並び、最高級のワインが開けられている。
本来ならば家族全員が揃う時間だが、そこに長女リリアナの姿はない。
代わりに、食卓を囲む伯爵、継母、そして義妹のエレナの顔には、隠しきれない晴れやかな笑みが浮かんでいた。
「乾杯しようじゃないか! 我が家の恥さらし、あの無能なリリアナがいなくなった記念すべき夜に!」
伯爵が高らかにグラスを掲げた。
継母とエレナも、クスクスと品のない笑い声を上げながらグラスを合わせる。
「本当に、清々しましたわあなた。あの子がいるだけで、屋敷の空気がジメジメと湿っぽく感じられましたもの」
「ええ、お母様。お姉様ったら、いつも暗い顔をして隅っこに突っ立っているんですもの。見ているだけでこちらの気分まで滅入ってしまいましたわ」
エレナがワインを一口含み、うっとりと頬を染める。
彼女はリリアナとは対照的な、派手な巻き髪と愛嬌のある顔立ちをしていた。魔力も人並みにあり、両親からは「ベルンシュタイン家の希望」と甘やかされて育った。
「これでようやく、この家も本来の輝きを取り戻すだろう。アレクセイ殿下も、エレナこそが王太子妃に相応しいと仰ってくださった。……あの無能な娘になど構わず、もっと早く追い出しておけばよかったのだ」
伯爵は上機嫌で、メインディッシュのローストビーフにナイフを入れた。
肉汁が溢れ、香ばしい匂いが……漂うはずだった。
「……ん?」
伯爵の手が止まった。
口に運んだ肉を噛み締め、眉をひそめる。
「おい、料理長を呼べ!」
怒鳴り声に、給仕をしていたメイドがびくりと体を震わせた。
すぐに、白い帽子を被った料理長が蒼白な顔で駆けつけてくる。
「お、お呼びでしょうか、旦那様」
「なんだこの肉は! ゴムのように硬いし、味がまるでしないぞ! 腐っているんじゃないのか!?」
「そ、そんな馬鹿な! 肉は今朝届いたばかりの最高級品です! 火入れもいつも通り完璧に……」
料理長は困惑しきっていた。
彼の手腕は確かだ。しかし、伯爵の言う通り、今日の料理はなぜか「死んだような」味がした。
肉だけではない。付け合わせの野菜は色が悪く、スープは泥水のように薄い。
「申し訳ございません! すぐに作り直させます!」
「ええい、もういい! 興が削がれたわ!」
伯爵はナプキンをテーブルに叩きつけた。
継母も不満げに口を尖らせる。
「本当に、どうなっているの? そういえば、部屋に飾らせた薔薇も、活けてから一時間もしないうちに茶色く枯れてしまったわ」
「私の部屋もよ、お母様。なんだかカビ臭いような気がして……メイドに掃除させたばかりなのに」
家族たちは口々に不満を言い始めた。
屋敷の中が、どこか寒い。
今まで感じたことのない、肌にまとわりつくような不快な湿気と、澱んだ空気。
まるで、屋敷全体が急激に老朽化したかのような錯覚さえ覚える。
(おかしい……昨日までは、こんなことはなかったはずだ)
伯爵は首を傾げた。
リリアナがいた頃は、どんなに安い食材でも不思議と美味しく感じられたし、庭の花々は季節を問わず咲き誇っていた。
屋敷の中は冬でも暖かく、夏は涼しく、清浄な空気に満ちていた。
それら全てが「伯爵家の格が高いからだ」と信じて疑わなかった彼らは、まだ気づいていない。
それら全てが、虐げていた長女――無自覚な聖女リリアナが、無意識に漏れ出させていた加護によるものだったということに。
「……おい、誰か窓が開いているんじゃないか? 風が入ってきているぞ」
伯爵が身震いをして、使用人に怒鳴る。
しかし、窓は全て閉め切られていた。
それなのに、蝋燭の火がゆらゆらと頼りなげに揺れ、影が不気味に伸びる。
パリンッ。
突然、飾り棚に置かれていた高価な壺が、何の前触れもなく割れた。
「きゃあっ!」
エレナが悲鳴を上げる。
「な、なんだ!? 風か? 地震か?」
「だ、旦那様! 大変です!」
そこへ、庭師が泥だらけになって飛び込んできた。
無礼な振る舞いに激昂しようとした伯爵だったが、庭師の形相があまりに必死だったため、言葉を飲み込んだ。
「どうした、騒々しい!」
「に、庭が……! 自慢の薬草園と果樹が、一斉に枯れ始めています! それに、井戸の水が急に濁って……!」
「なんだと!?」
伯爵たちは慌ててテラスへと出た。
月明かりに照らされた庭園。
そこは昨日まで、色とりどりの花が咲き乱れる楽園だったはずだ。
しかし今、彼らの目の前に広がっていたのは、見るも無残な光景だった。
木の葉は茶色く変色して落ち、花々は首を垂れて黒ずんでいる。
芝生は灰色にくすみ、まるで生命力を吸い取られたかのように、庭全体が死に絶えようとしていた。
「ば、馬鹿な……。害虫か? 病気か?」
「わかりません……。夕方までは何ともなかったのです。リリアナ様が出て行かれてから、急に……」
庭師が口走った名前に、伯爵は顔を真っ赤にして激怒した。
「黙れ! あの疫病神の名前を出すな! あいつがいなくなったせいでこうなったとでも言うつもりか!?」
「い、いえ、滅相もございません!」
「ふん! たまたま悪い病気が流行っただけだろう。明日、専門家を呼んで調べさせろ! ……まったく、忌々しい!」
伯爵は吐き捨てるように言い、枯れ果てた庭に背を向けた。
彼はまだ知らない。
これが、没落のほんの始まりに過ぎないことを。
屋敷の屋根の上、風見鶏がキーキーと悲鳴のような音を立てて回っている。
ベルンシュタイン家を守っていた見えない「結界」は完全に消滅し、今や彼らは、自分たちの力だけで世界の風雪に晒されようとしていた。
そして、彼らにその耐性など、これっぽっちも備わっていないのだった。
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無能と捨てられた令嬢を拾ったのは、国を影から操る最強の執事でした ~今さら聖女だと気付いて縋り付いても、もう手遅れです。徹底的に断罪させていただきます~ kuni @trainweek005050
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