第2話
王宮の門をくぐり、私たちは夜の街道へと歩き出した。
雨はまだ降り止まない。ドレスの裾は泥で汚れ、冷たい雨粒が容赦なく体温を奪っていく。
けれど、ヴィクターに引かれた手だけが、火傷しそうなほどに熱かった。
「……ヴィクター、これからどうするの? 私、持ち合わせなんて何もないわ。行くあてだって……」
不安に駆られて問いかけると、彼は歩調を緩めずに答えた。
「ご安心ください。お嬢様がいつか自由になる時のために、ささやかながら準備をしておりました」
「準備?」
「ええ。西の辺境に、少しばかり土地と屋敷を用意してあります。少々荒れてはいますが、貴族のしがらみなどない、静かな場所です」
辺境。
そこは魔獣が跋扈し、人の住めない不毛の大地と聞いている。
けれど、今の私にはヴィクターの言葉を疑う気力も、他に頼る宛てもなかった。彼がそこへ行くと言うのなら、地獄の果てまでついていくしかない。
その時だった。
ズゥゥゥゥン……。
背後で、腹の底に響くような重い地響きがした。
地震だろうか。いや、それにしては感覚が違う。何かが決定的に「壊れた」ような、不吉な音。
私は思わず足を止め、振り返った。
「今の音、は……?」
闇に沈む王都。その中心にそびえ立つ王宮の輪郭が、ほんの少し歪んで見えた。
いつも王都の空を覆っていた薄い光の膜――魔物除けの結界が、ガラス細工のように砕け散り、霧散していくのが見えたような気がしたのだ。
気のせいだろうか。
それまで王都を温かく照らしていた街灯の魔石が、一斉に輝きを失い、どす黒い雲が空を覆い始めたように見える。
「……屋敷が、揺れた気がするわ」
「おやおや」
ヴィクターもまた、足を止めて王都の方角を見上げていた。
その整った顔には、驚きなど微塵もない。むしろ、予想通りの結果を確認するかのような、冷ややかな色が浮かんでいる。
「どうやら、王都を守っていた『加護』が消滅したようですね」
「加護が? まさか。あれは王家の聖なる力によって維持されていると……」
「ククッ……王家の力、ですか」
ヴィクターは喉の奥で小さく笑った。
それは、愚かな子供の妄想をあざ笑うかのような響きだった。
「奴らは何も分かっていなかったのですよ。この国を、この王都を、誰の力が守っていたのか。空気を吸うのが当たり前だと思っているように、貴女の恩恵を受けるのが当然だと思い上がっていた」
「え? どういうこと?」
「お嬢様が気になさることはありません。ただ、持ち主を追い出した家が、主を失って崩れ始めた。それだけの話です」
ヴィクターは興味なさげに王都から視線を切ると、再び私に向き直った。
「さあ、急ぎましょう。結界が消えれば、血に飢えた魔物たちが臭いを嗅ぎつけて寄ってきます。……ここもすぐに、騒がしくなる」
「ま、魔物が……? でも、足で歩いていては、辺境まで何日かかるか……」
私の言葉が終わらないうちに、体がふわりと宙に浮いた。
ヴィクターが、私を軽々とお姫様抱っこで抱き上げたのだ。
「きゃっ、ヴィクター!?」
「失礼。馬車を手配する時間も惜しい。私の足のほうが速いですから」
「え、あなたの足のほうが速いって、馬車よりも?」
何を言っているの、と聞き返そうとした瞬間、景色がブレた。
トン、と彼がつま先で地面を蹴っただけで、私たちは一瞬にして数メートル先へと移動していた。
風を切る音が、ごうごうと耳元で鳴る。
「舌を噛まないよう、しっかりと私に捕まっていてください。――少し、飛ばします」
人間離れした速度で、ヴィクターは夜の街道を駆け抜けていく。
背後の王都から、悲鳴のような喧騒が微かに聞こえた気がしたが、それはすぐに風の音にかき消されて、もう何も聞こえなくなった。
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