無能と捨てられた令嬢を拾ったのは、国を影から操る最強の執事でした ~今さら聖女だと気付いて縋り付いても、もう手遅れです。徹底的に断罪させていただきます~

kuni

第1話

「リリアナ! 貴様のような無能な女との婚約は、今この時をもって破棄する!」


王宮の絢爛豪華な大広間に、第一王子アレクセイの怒号が響き渡った。

シャンデリアの煌びやかな光が、今日ばかりは処刑台を照らすスポットライトのように冷たく感じられる。


周囲を取り囲むのは、着飾った貴族たち。

彼らの扇子の隙間から覗く目は、憐れみではなく、明らかな嘲笑の色を帯びていた。


「……申し訳ございません、殿下」


私は、リリアナ・ベルンシュタインは、震える膝をドレスの中に隠しながら、深く頭を下げた。


反論など、できるはずもない。

ベルンシュタイン伯爵家の長女として生まれながら、私には魔力がなかった。

妹は稀代の天才ともてはやされているというのに、姉の私は「無能」「穀潰し」と罵られ、実の父にさえ疎まれて生きてきたのだから。


「ふん、しおらしい顔をしおって。心の中では、王太子妃の座にしがみつこうと必死なのだろうがな」


吐き捨てるように言ったのは、実の父である伯爵だった。

父は私の隣に立つ王子に媚びるような笑みを向け、それから私を汚物でも見るような目で見下ろした。


「ベルンシュタイン家の恥さらしめ。もはや貴様の居場所など、この国にはないと思え。今日限りで当家から除籍し、国外追放とする!」


追放。

その二文字が重くのしかかる。

けれど、心のどこかで私は安堵していた。


ああ、これでやっと終わるのだ、と。

毎日のように浴びせられる罵声も、冷たい食事も、誰からも必要とされない日々も。


「……謹んで、お受けいたします」


私の小さな返答に、会場からクスクスという失笑が漏れる。


「はっ、潔いのだけは取り柄だな。だが、丸腰で荒野に放り出すのも寝覚めが悪い」


王子はニヤリと口角を上げ、私の背後に控えていた影に視線をやった。


「その陰気な執事だけは、連れて行くことを許可してやろう。無能な主人の世話係には、その冴えない男がお似合いだ」


私の背後には、専属執事のヴィクターが立っていた。

長身痩躯、黒髪に黒目の、影のような男。

屋敷の他の使用人たちからも「何を考えているか分からない」「不気味だ」と避けられている彼だけが、唯一、私の側にいることを許されていた。


「……感謝いたします」


私は再び頭を下げた。

私ごときのために、ヴィクターまで巻き込んでしまうことが申し訳なくて、涙がこぼれそうになるのを必死に堪える。


「さあ、さっさと失せろ! 二度と私の視界に入るな!」


罵声を背に受けながら、私は踵を返した。


その時だった。

今まで空気のように気配を消していたヴィクターが、一歩前に進み出た。

彼は優雅な所作で私の手を取り、エスコートの姿勢を取る。


「行きましょう、お嬢様」


低く、落ち着いたバリトンの声。

彼は周囲の嘲笑など聞こえていないかのように、背筋を伸ばし、堂々としていた。

その毅然とした態度は、まるでここいいる誰よりも高貴であるかのようだった。


私たちは嘲笑の海を割って歩き出した。

罵詈雑言は止まない。

けれど、不思議と私の耳には届かなかった。

ヴィクターが私の手を引く、その掌の温かさだけが、私がこの世界に繋ぎ止められている唯一の証のように感じられたからだ。


   ◇


重厚な扉が閉まり、喧騒が遮断された。

王宮の外は、あいにくの雨だった。

冷たい夜風が、熱を持った頬を撫でていく。


屋敷の馬車も用意されていない。

私たちは文字通り、身一つで放り出されたのだ。


人気のない石畳の上で、私は足を止めた。

こらえていた涙が、ポツリと石畳を濡らす。


「……ごめんなさい、ヴィクター」


震える声で、私は彼に謝った。


「あなたには、才能があるのに。私のような無能な主人に仕えていたせいで、こんな……。今からでも戻って、父に頭を下げれば、きっと雇って……」


「お嬢様」


ヴィクターが、私の言葉を遮った。

彼は私の前に跪き、泥に濡れることも厭わず、私の両手を彼の手で包み込んだ。


「顔を上げてください」


促されて、恐る恐る顔を上げる。

月明かりすらない暗闇の中で、ヴィクターの瞳だけが、妖しく、鋭く光っているように見えた。


いつも無表情で、鉄仮面のような彼。

けれど今、彼の唇は、美しい弧を描いていた。


それは、私が今まで一度も見たことのない笑顔だった。

とろけるように甘く、それでいて背筋が凍るほどに恐ろしい、凶暴な笑み。

まるで、長く付けていた首輪が外れた猛獣のような。


「謝る必要などございません。むしろ、礼を言いたいほどです」


「え……?」


ヴィクターは私の手の甲に、敬虔な口づけを落とした。

そして、うっとりとした声で囁く。


「あの豚共は、自ら破滅の道を選んでくれました。……これでようやく、誰に遠慮することなく『掃除』ができますね」


「そう、じ……?」


呆然とする私に、彼は愛おしげに目を細め、不穏な言葉を甘やかに告げた。


「ええ。これからは私が、お嬢様にとって最高の国を作り上げましょう。手始めに、貴女を傷つけた愚か者たちに、絶望という名の教育を施さなくてはなりませんね」


雷鳴が轟く。

閃光に照らし出された執事の影は、どこまでも大きく、そして深い闇を孕んでいた。


追放された令嬢と、最強の執事。

私たちの本当の物語は、全てを失ったこの夜から始まるのだった。

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