第3話

旧校舎の二階、一番奥。


「ここが……放研の部室だ!」


先輩はそう言って、やけに誇らしげに扉を開けた。ぎい、と少し音を立てて開いた先にあったのは——六畳ほどの、小さな部屋だった。中央には古いテーブルと、ボロボロのソファ。隅には電気ポットと、カップ麺やスナック菓子などがぎっしり詰め込まれた段ボール箱。さらに端には毛布や枕まで置かれている。……まるで、ここで生活しているかのような雰囲気だ。


「……部室、というか……」


俺がそう言いかけると、先輩は間髪入れずにうなずいた。


「うん。元職員会議室。今は正式に“放研部室”! さぁさぁ、まずは座ってくれたまえ」


そう言って、先輩はソファに腰を下ろす。俺たちが向かいの席に座ったのを確認すると、先輩はぱん、と一度だけ手を叩いた。


「では! 簡単に活動内容を説明します!」


一拍置いてから、胸を張る。


「放研——正式名称、校内放課後研究会の活動は!」


さらに間を取って、力強く言い切った。


「放課後の在り方を——自由に研究すること!」


「……自由に」


「そう! 自由!」


勢いよくうなずいたあと、先輩はほんの一瞬、視線を泳がせる。


「たとえば……宿題! 雑談! ボードゲーム! あと……えーと……」


小脇に抱えていた分厚いノートを開き、ぱらぱらとめくる。


「……活動記録!」


「記録?」


「うん! 大事!」


そう言ってノートを掲げる。活動内容を聞くに、部活動というよりは放課後のたまり場に近い。——そんなことを考えていると、横で様子を見ていた鈴音が、そっと手を上げた。


「……先輩の名前、まだ聞いてないんですけど」


小さく、遠慮がちにそう呟く。先輩は、その一言に目を見開いた。


「……あっ、これは失礼! 私としたことが、自己紹介がまだだったな」


少し照れたように咳払いをしてから、改めて名乗る。


「三年二組、城崎玲奈だ。 二人の名前も聞いていいかな?」


そう言うと、なぜかノートを開き、ペンを構えた。


「一年三組、西野ハヤトです」


「同じく、田中鈴音です」


名前を告げ終えると、城崎先輩はそれを丁寧にノートへ書き込み、こちらに向けてページを見せてくる。


「字は、これで合ってるかな?」


俺たちがうなずくのを確認すると、城崎先輩は満足そうに笑って、こう続けた。


「じゃあこれで、二人の入部届、出しておくね」


「……いや、ちょっと待ってください」


思わず口を挟んでしまう。


「俺たち、まだ入部するって決めたわけじゃ——」


「うんうん」


城崎先輩は、すごい勢いでうなずいた。


「わかってる。体験入部だよね」


「そうです。体験です。 俺、本来は——」


「比較検討! 健全!」


被せるように言われて、言葉が止まる。


「でもまずは放研を知ってもらわないと、選択できないでしょ?」


「いや……入部届、出すって言ってましたよね?」


「うん。出すよ?」


即答だった。


「仮で」


「……仮?」


「うん!」


城崎先輩は身を乗り出して言う。


「放研のよさは、実際に入部して数日経たないとわからないからね。だから二人には、まず“仮”で入部してもらう」


「それで、もし合わなかったら—— いつでも退部してくれて構わないよ」


そう言い切る表情は、どこか必死で、反論の余地を与えないよう、先に塞いでいるようにも見えた。


「私は……ちょっと興味あるかも…です」


俺が断ろうとした、その横から。

鈴音がこちらを見て、小さく呟く。

その声には、遠慮と、ほんの少しの期待が混じっていた。

喉まで出かかった断り文句を、俺はゆっくり飲み込む。


(バスケ部は……最悪、明日でもいいか)


自分に言い聞かせるように、そう考える。体験入部は明日もある、初日ぐらい構わないだろう。


「とりあえず、今日だけでいいですか? 入部届は、まだ待ってください」


そう告げると、城崎先輩の顔がぱっと輝いた。


「うんうん! 構わないよ! 今後どうするかは、ゆっくり考えてくれ」


そう言って城崎先輩は立ち上がり、部屋を見回す。


「放研はね、形より中身。放課後をどう過ごすか、それを一緒に考えられるかが大事なんだ」


そう言って、棚の上から古いボードゲームを一つ取り出した。


「というわけで、本日の活動その一!」


テーブルに置かれた箱が、乾いた音を立てる。


「——雑談しながら、これ!」


「それ、活動なんですか」


「立派な研究対象だよ。 “人はなぜ、放課後にボードゲームをしてしまうのか”」


そう自信満々に言われて、俺は反論する気力が削がれた。


◆◆◆◆


ボードゲームは、思った以上に盛り上がった。 最初はルール確認に手間取っていたのに、気づけば声を出して笑い、テーブルを囲んで身を乗り出している。城崎先輩がやたら煽ってきたり、鈴音が顔を真赤にして悔しがったりして、時間はあっという間に過ぎていった。


「ふふん、見たまえ! これが三年生の経験値というものだよ!」


「それ、ただ運がよかっただけじゃ——」


「運も実力のうち!」


そう言い切って、先輩は満足そうにうなずく。


「よし! じゃあ次はこれ行こう!」


そう言って、棚の奥から別の箱を取り出す。箱を置いた瞬間、ふと視界の端に窓が映った。外はすっかり暗くなっていて、旧校舎の向こうに、校舎の明かりがまばらに灯っている。


(……あれ)


腕時計を見る。思った以上に、時間が経っていた。


「……あ、すみません」


俺は立ち上がりながら言った。


「もう、結構遅い時間なんで。今日はそろそろ——」


その言葉に、一瞬だけ城崎先輩の表情が固まり。 そして、すぐ笑顔に戻る。


「そっか。もうそんな時間か」


箱を棚に戻しながら、軽く笑う。


「二人は、今日はここまでだね。無理させるわけにはいかないし」


「はい。楽しかったですけど……」


そう言うと、鈴音も小さくうなずいた。


「……でも、先輩は?」


何気なくそう聞くと、城崎先輩はノートを抱え直す。


「私は、もう少し残るよ」


「残る?」


「うん。今日の活動記録、ちゃんと付けないと」


そう言って、ノートを胸に抱える。


「じゃあ、気をつけて帰るんだよ!」


城崎先輩の明るい声に背中を押され、俺たちは部室を出た。旧校舎の廊下は、昼間よりもずっと静かで、足音がやけに響く。 階段を下り、校舎を出ると、夜風が少し冷たかった。


「……楽しかったですね」


校門へ向かう途中、鈴音がぽつりと言う。


「ああ。正直、思ってたのと全然違った」


「部活、っていうより……遊び場、みたいでした」


その言葉に、さっきの城崎先輩の姿を思い出す。


(あの人、あそこに一人で残るんだよな)


校門の前で立ち止まり、振り返ると、旧校舎の二階に、ぽつんと一つだけ灯りが残っていた。


「……明日も、行くんですか?」


鈴音にそう聞かれて、少し考える。


「どうだろうな。でも——」


「でも?」


「今日の続きは、ちょっと気になる」


そう答えると、鈴音は小さく笑った。


「……私もです」


校門を出て、それぞれの帰り道へと分かれる。 高校生活、最初の一日は—— そんなふうに、少し名残を残したまま、終わった。

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