最終話『非効率なリソースの削減』
あの「最終宣告」が下されてから、数日。
健一は、まるで魂が抜けたようになっていた。
母(聡子)のロジックに一切反論できず、かといって「長男」としてのプライドが邪魔をして、素直に「はい」とも言えない。
だが、母はそんな健一の葛藤(タイムロス)を許さなかった。
「健一さん。あなたが会社に辞意を伝えるまでの間も、家事オペレーションは待ってくれません。今日から『OJT』を開始します」
翌朝から、健一は母が作成したマニュアルを叩き込まれ、有無を言わさず「主夫研修」がスタートした。
「違います。掃除機(タスク)は『奥から手前』が基本工数です。やり直し」
「なぜ洗濯と洗い物を同時に進めないのですか? リソース(あなた)が遊んでいます」
「『男だから』? その非論理的な言い訳(バグ)は、あなたの価値を下げるだけですわ」
母の容赦ない指導(ダメ出し)が、リビングに響き渡る。
それは、かつて義母が私にしていた「経験則」のイびりとは次元が違う、逃げ場のない「ロジック」による詰めだった。
その地獄の研修風景に、ついに耐えきれなくなった人物がいた。
義母・昭子さんだった。
「……もうっ! もう見ちゃいられないわ!」
ガタン! と椅子を立ち、義母が叫んだ。
「健一! あんた、いつまでそんな女の言いなりになってるの!」
「か、母さん……」
雑巾掛けの途中で、健一が情けない顔で母親を見る。
「私の可愛い健一になんてことを……! こんな家、出て行ってやるわ! 健一、お前も来なさい! 母さんと一緒に実家に帰るのよ!」
義母が、健一の腕を掴んで立たせようとする。
そうだ、逃げられる。
健一の顔に、一瞬だけ希望の色が差した。
だが、その希望を、母の冷徹な一言が打ち砕いた。
「……お待ちください、お義母さま」
「な、何よ!」
「お義母さまがこの家(プロジェクト)から離脱なさるのは、結構です。ですが、健一さんを連れて行って、どうなさるおつもりで?」
「どうって……決まってるじゃない! 私が面倒見るわよ!」
「ほう。経済的実力(キャッシュフロー)もないあなたが、どうやって?」
「なっ……!」
義母は、年金暮らしだ。
健一を養えるほどの経済力はない。
母は、立ち上がろうとする健一に、静かに問いかけた。
「健一さん。あなた、この家を出て、お義母さまに養ってもらうのですか? それとも、あの『低い稼ぎ』の会社に戻り、友香からの経済的支援を受けながら、実家で暮らすのですか?」
「そ、それは……」
「どちらにせよ、『生活破綻』するだけですわ。あなたが『長男』としてプライドがあるなら、どちらが合理的か、お分かりになるはず」
健一の腕から、力が抜けた。
そうだ。もう、逃げ場はないのだ。
この家(妻の稼ぎ)から離れれば、自分は「長男」どころか、社会的にも「無価値」になってしまう。
その現実を、叩きつけられた。
「……健一? 行くわよ?」
義母が、息子の腕を引く。
「……母さん。ごめん……俺は……」
健一は、母親の手を振り払った。
「な……っ! 健一!?」
「俺は……ここで、やるよ」
絶望したような、しかし、どこか覚悟を決めたような目で、健一は母に向き直った。
「……お義母さん。研修、続けてください」
「……!」
義母・昭子さんは、息子に裏切られた事実に、ワナワナと震えた。
「……もういい! 勝手にしなさい! 嫁の言いなりになって、主夫でも何でもすればいいわ! もう、あんたみたいな息子、知らない!」
義母は、それだけ叫ぶと、自分の荷物をひっつかみ、嵐のように玄関から出て行ってしまった。
バターン! と、ドアが閉まる音が響く。
「……行っちゃった」
私が呆然と呟くと、母・聡子は、何事もなかったかのようにマニュアルをめくった。
「ええ。これで『非効率なリソース(義母)』が削減できました。非常に効率的ですわ」
母は、床に膝をついたままの健一を見下ろした。
「さて、健一さん。家事のコストが減った分、あなたには『質(クオリティ)』を上げてもらいます。まずは、トイレ掃除のオペレーションから再確認よ」
「……はい、お義母さま」
力なく返事をする夫を見て、私は、窓から差し込む朝の光が、昨日よりずっと明るく感じられたことに、気づいた。
こうして、時代錯誤な「長男教」は崩壊し、我が家にはロジックと効率性に支配された、新しい秩序が始まったのだった。
(完)
『(長男)が専業主夫になりました。~「稼ぎも家事も妻以下」とウチの最強実母に論破された男の末路~』 品川太朗 @sinagawa
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